第14話 神、歯医者に行く決心をする

歯が、しみた。


冷たい水を含んだとき、きゅう、と小さな痛みが走った。




「……」




オメガさんは、居間でぼんやりと水の入ったコップを見つめた。


痛みは、まだ続いている。小さな、けれど確かな警告だった。




気づかないふりをするのは、たやすい。


だが今回は、無理だった。何かが、限界に達していた。




**




朝、カーテンの隙間から淡い光が差し込む。


オメガさんは、床に座り込んだまま、じっとしていた。


猫のたまが、こたつの上から心配そうに見ている。




「……おなかでも痛いの?」




オメガさんは、首を横に振った。




しばらくして、ようやく小さく声を出す。




「歯医者に……行くかもしれない」




たまの耳が、ぴくりと動いた。




「……今の、ほんとに聞き間違いじゃない?」




「ほんとだ」




オメガさんは立ち上がり、洗面所の鏡を見た。


鏡の中の自分もまた、疲れた顔でこちらを見返していた。




歯医者に行く。


それは、彼にとって、ロトを当てるより難しい挑戦だった。




**




まずは、調べるところから始まった。


スマホを開き、検索窓に「歯医者」と入力する。


近所にいくつか歯科クリニックがあるらしい。




オメガさんは、画面をスクロールしながら、真剣な顔をしていた。




「……どこがいいと思う?」




たまに聞くと、たまはしっぽをぱたぱたさせて考え込んだ。




「口コミ、よさそうなとこがいいんじゃない」




「うん」




レビューの星の数を数え、写真を眺め、診療時間を確認する。


神とは思えないほど、慎重な作業だった。




「……ここ、かな」




決めた歯科クリニックのホームページを開き、予約の案内を読む。


電話でしか予約できないらしい。




「電話……か……」




オメガさんは、目を閉じた。




電話をかける。


それは、彼にとって、宇宙の彼方へダイブするくらいの勇気を要する行為だった。




**




居間に戻り、スマホを手に取る。


画面には、歯医者の番号が表示されている。




「……いまだ」




意を決して、発信ボタンを押した。




コール音が鳴る。


オメガさんは、正座をして、息を潜めた。




一回、二回、三回──




「はい、〇〇歯科クリニックです」




女性の声が聞こえた。




「……」




声が出ない。


たまが、こたつの上で固唾をのんで見守っている。




「──もしもし?」




「あ、あの、初めてで……予約を……したいんですけど……」




自分でもびっくりするほど小さな声だった。


だが、通じた。


受付の女性は慣れた様子で、名前、希望日時、症状を尋ねてくる。




「はい……はい……冷たいものが……ちょっとしみる、みたいな……はい……」




オメガさんは、ぎこちない受け答えを続けた。


そして、通話が終わった。




**




しばらく、その場で動けなかった。


たまが、そっと声をかける。




「……予約、できた?」




「……できた」




オメガさんは、かすかに笑った。


予約日は、三日後。


それまでに心の準備をしなければならない。




「すごい……神が、電話予約……」




たまが、本気で感心した顔をしている。




オメガさんは、ソファに倒れ込み、天井を見上げた。




「……疲れた」




魂の半分くらいを消費した気がする。


だが、やり遂げたのだった。




**




夜。




こたつの中で丸くなったたまが、ぽつりと言った。




「歯医者さん、こわくないといいね」




「うん」




オメガさんは、毛布にくるまりながら応えた。




歯医者が怖いのは、子どもだけじゃない。


神様だって、怖いのだ。




でも、勇気を出した。


たった一本の電話。それだけで、世界が、少しだけ広がった気がした。




静かな夜。




オメガさんは、こたつのぬくもりに包まれながら、少しだけ誇らしい気持ちで目を閉じた。




──三日後の試練など、今は考えないことにした。

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