第13話 神、久しぶりに当てる
朝、少し冷えた。
廊下に出ると、床がひんやりしていた。
雲ひとつない青空。空気はまだ少し冷たい。
靴下を履いて、台所へ。
電気ポットのスイッチを押す。
カップにインスタントコーヒーの粉を入れて、しばらく待つ。
湯が沸くまで、スマホを手に取った。
いくつか通知が届いていた。
J◯ネットバンク、【重要】お客さま情報定期確認のご案内
S◯I証券、【S◯I証券】お取引銘柄の一時停止に伴う資産利用再開手続
S◯I証券、【至急】口座保護ための設定更新
どれも重要そうだ。
それらの中に、見慣れた件名のメール。ロトの結果通知だった。
指でタップして、画面を開く。
しばらく、画面を見つめたまま動かなかった。
数字が、全部合っていた。
「……ふむ」
ただ、それだけ言って、スマホを伏せた。
胸の中は静かだった。
久しぶりだったのに、驚きも喜びも、浮かんでこなかった。
ポットが湯の沸く音を立てる。
そのままカップに注いだ。
立ちのぼる湯気の奥に、ぼんやりと朝の空気。
砂糖は入れない。
苦いが、それでいい。
慣れた味だった。
少し冷める頃が、いちばん好きだ。
窓の外を見た。
木の枝に、雀が一羽。
細い電線が、かすかに揺れていた。
新聞を取りに玄関へ。
ドアポストに手を伸ばす。
ひんやりした金属の感触。
新聞の角が少し折れていた。
朝のにおいがふわりと入り込む。
扉を静かに閉める。
テレビをつける。
旅番組。海辺の町の商店街を歩いていた。
定食屋の前で立ち止まり、アジフライを紹介している。
「これは美味しいですねえ」とリポーターが言った。
それは、きっと本当に美味しいのだろう。
「たま」が、寝ぼけ眼でふらりとやってきた。
もそもそと床を歩き、ソファにぴょんと跳ねた。
毛が少し逆立っている。夜中に夢でも見ていたのかもしれない。
「また当てたの?」とたまが言った。
声はかすかに眠たそう。
「うむ」と答える。
「ふーん。久しぶり?」
「少し」
「なんか、もっとガッツポーズとか、バンザイとかさ。ないの?」
「ない」
「ま、いつもそうだもんね」
たまは身体をひねって丸くなった。
毛づくろいをしながら、あくびをひとつ。
テレビの画面が切り替わり、地元の喫茶店が映った。
マスターがネルドリップで丁寧にコーヒーを淹れていた。
店内の壁には、古い映画のポスター。
木のテーブルと、少しくたびれたソファ。
「たま」
「ん?」
「旅に出るとしたら、どこがいい」
「うーん……こたつがあればどこでも」
「それは旅なのか?」
「じゃあ、あったかい砂浜。あとカニ」
「それは冬の海だな」
コーヒーを飲み干す。
苦味が舌の奥に残った。
神棚の前に立つ。
手を合わせる。
祈ることはない。たまにやるただの習慣。
「神様が神棚に手を合わせるって、ちょっと変だよね」と、たまが言う。
「そうか?」
「うん。でも、そういうとこは好き」
ポットの電源を切る。
流しには、昨日使ったままのスプーンがひとつ。
洗って、伏せておく。
買い物メモを見た。
卵、納豆、ティッシュ。
どれも、まだ減っていない。
冷蔵庫を開ける。
昨日の味噌汁が目に入る。
それをあたためて、昼にする。
外で風がやさしく吹いた。
庭に、明るい影がちらちら落ちる。
雑草も陽に透けて、きらきらしていた。
たまが、小さく寝息を立てていた。
ときおり尻尾がぴくりと動く。
夢を見ているのかもしれない。
当選金の入金は数日後。
でも今日と明日で、変わることはない。
たぶん、明日も似たような一日になるだろう。
それで、かまわなかった。
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