第四話:錬成の光と揺れる警戒

バルガスと名乗った獣人の戦士は、依然として鋭い視線を俺に向けていたが、出血による消耗か、あるいは俺の(彼から見れば)突拍子もない申し出に毒気を抜かれたのか、先程のような切迫した警戒心は少し和らいで見えた。


「…本当に、何かできるというのか?」

「やってみる価値はあると思う。少なくとも、そのままよりはマシになるはずだ」


俺はそう言うと、バルガスの返事を待たずに近くの茂みに分け入り、手早く数種類の薬草を摘み取った。前世の知識と、この森で『情報奔流』を通じて得た知識が役立つ。これは止血効果、こっちは鎮痛作用、そしてこれは化膿止めに使えるはずだ。


洞穴から持ってきた(ひび割れた)杯で近くの小川から水を汲む。そのままでは飲用にも適さない濁った水だ。


バルガスが訝しげに見守る中、俺は杯に片手をかざし、意識を集中した。


「…《浄化(クリア)》」


小さく呟くと、掌に淡い光が灯る。杯の中の水が微かに振動し、濁りが急速に沈殿していく。数秒後には、驚くほど透明な水が杯に満たされていた。


「なっ…!?」


バルガスが息を呑む音が聞こえた。俺は構わず、その水を清潔な(これも錬金術で洗浄殺菌した)ボロ布に浸し、バルガスに差し出す。


「これで傷口を拭いて。かなり染みると思うけど我慢してくれ」


バルガスは戸惑いながらも、俺から布を受け取った。その手が微かに震えている。無理もない。目の前で、不可解な現象が起きたのだから。


彼が痛みに顔を歪めながら傷口を清めている間に、俺は次の準備に取り掛かった。摘んできた薬草と、腰の袋に入れていた動物性の油脂(保存用に錬成処理したものだ)を取り出し、平らな石の上に置く。


再び片手をかざす。今度はより複雑なプロセスが必要だ。


《理解》――薬草と油脂の成分、構造情報を読み取る。頭痛が走るが、無視する。

《分解》――それぞれの有効成分を分子レベルで抽出し、不要な不純物を分離するイメージ。

《再構築》――有効成分を最適に混合し、浸透性と抗菌性を持つ軟膏の形へと錬成する。


「…《錬成(アルケミー)》…!」


掌から放たれる光が、先程よりも強く、複雑なパターンを描く。石の上の薬草と油脂が溶けるように混ざり合い、緑がかった滑らかな軟膏へと姿を変えていく。錬成に伴う微かな熱と、薬草の良い香りが辺りに漂った。


「これは…一体…魔法、なのか…?」


バルガスが呆然と呟く。俺は額の汗を手の甲で拭い、息を整えた。連続した錬金術の行使は、精神力をごっそり持っていく。特に、生命に関わるような精密な錬成は負担が大きい。


「魔法とは少し違う…と思う。俺にもよく分からない力だ」


嘘ではない。この力が錬金術と呼ばれるものだという確信はあるが、その本質も、なぜ俺が使えるのかも、まだ何も分かっていないのだから。


俺は錬成した軟膏を指で少量すくい取り、バルガスに差し出した。


「これを塗れば、出血も止まるし、化膿も防げるはずだ」

「…お前が、作ったのか? その…光る力で?」

「まあ、そうだ」


バルガスは俺の指先と、緑色の軟膏を交互に見つめ、逡巡しているようだった。得体の知れない子供が、得体の知れない力で作った薬。警戒するなと言う方が無理だろう。


だが、左腕から流れ続ける血と、ズキズキとした痛みが、彼の決断を促したようだった。彼は意を決したように頷き、傷口を俺の方に向けた。


「…分かった。頼む」


俺は頷き返し、慎重に軟膏を傷口に塗り込んでいく。前世の知識に基づき、傷の深さや筋肉の走行を考慮しながら、丁寧に処置を進めた。バルガスは時折痛みに顔を歪めたが、暴れたりはしなかった。むしろ、俺の子供らしからぬ手際の良さに、再び驚いているようだった。


軟膏を塗り終え、最後に清潔な布で傷口を保護するように巻く。幸い、骨に異常はなさそうだ。


「…これで、ひとまず大丈夫だと思う。だけど、安静にしていないと傷が開くかもしれない」

「…ああ。助かった。信じられないが…痛みが和らいでいるし、血もほとんど止まった」


バルガスは自分の腕を動かし、感嘆の声を漏らした。彼の表情からは、先程までの険しさが消え、驚きと、そして少しの安堵が見て取れた。


「礼を言う、アッシュ。お前、一体何者なんだ? どうしてこんな森の奥に…その力は…」


矢継ぎ早に質問が飛んでくる。当然の疑問だろう。


俺はどう答えるべきか少し迷ったが、正直に話せる範囲で答えることにした。


「言った通り、気づいたらこの森にいた。親の記憶もほとんどない。この力も、いつの間にか使えるようになっていた。それだけだ」

「…それだけ、か」


バルガスは納得していない様子だったが、深く追求はしてこなかった。代わりに、彼は俺をじっと見つめ、何かを考えているようだった。


「ともかく、恩に着る。この借りは必ず返す」

「別に、借りのためにやったわけじゃない」

「それでもだ。俺はそういうのはきっちりしたい性分でな」


バルガスは不器用そうに笑った。獣人らしい鋭い犬歯が覗く。


「さて…これからどうするか。この傷じゃ、しばらくまともに動けそうにない…」


彼は溜息をつき、森の奥を見つめた。日が傾き始めている。夜になれば、さらに危険な魔獣が活動を始めるだろう。今の彼では、到底太刀打ちできない。


俺は少し考えてから、口を開いた。


「…俺の住処が、近くにある。小さい洞穴だけど、雨風は凌げるし、魔獣もあまり寄り付かない。傷が癒えるまで、そこで休んでいけばいい」


自分でも驚くほど、自然に言葉が出ていた。ついさっきまで、他者との関わりを極力避けようと思っていたはずなのに。


バルガスは驚いたように俺を見た。


「…いいのか? お前の寝ぐらを、俺のような流れ者に…」

「一人より、二人の方が安全かもしれない。それに、あんたには聞きたいことがたくさんある。外の世界のこととか」


下心がないわけではない。だが、それ以上に、目の前の傷ついた相手を放っておけないという気持ちの方が強かった。この感情の変化が、俺にとって吉と出るか凶と出るか…。


バルガスはしばらく黙って考えていたが、やがて決心したように頷いた。


「…分かった。世話になる、アッシュ。その代わりと言ってはなんだが、俺が知っている範囲なら、外の世界の話でも何でもしてやる」

「…うん」


俺は小さく頷いた。


こうして、俺の七年間に及ぶ孤独な森での生活は、一人の傷ついた獣人戦士との出会いによって、予期せぬ形で終わりを告げようとしていた。

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