第2話 「忘れられない夜」

──熱い。

何もかもが、燃えていた。


夜の闇を、紅蓮の炎が貪る。

家も、道も、人々の叫びも、

全てが、燃え尽きようとしていた。


「ケイ! こっちだ、早く!」


誰かが叫んでいる。

伸ばされた手を、かろうじて掴む。


だが、空気が熱すぎる。

息を吸うだけで、肺が焼けそうだ。


(逃げなきゃ……!)


必死に足を動かす。

けれど、がれきに躓き、何度も転びそうになる。


視界の端で、誰かが崩れ落ちた。


幼い声が泣き叫ぶ。

助けなきゃ──そう思うのに、体は動かなかった。


恐怖で、金縛りに遭ったみたいに。


──こうなると分かっていたのに。


ケイはそのまま気を失った。


* * *



数日前、

ケイは村中を駆け回り、叫び続けていた。


「近いうちにここは爆発する!」

「火事になる!みんな死ぬんだ!」

「早く、村から離れないと!」


村人たちは、そんな様子を見て笑って言った。


「おいおいケイ!昼間から酔ってるのか?」「寝ぼけてんのか!」


ケイは、それでも叫び続けた。

(⋯⋯どうして誰も信じてくれないんだ!)



* * *


目が覚めたのは、数時間後だった。


煙に咳き込みながら、ケイは瓦礫の中から這い出す。


辺りには、黒焦げになった家々。

立ち上る白い煙。

すすけた空気の中、ただ焼け残った石壁だけが、夜空に無残に突き立っていた。


膝をついたまま、ケイは呆然とそれを見上げた。


(守れなかった……)



ふと、自分の腕に目を落とす。

火傷の痕が、赤黒く膨れ上がっていた。

皮膚が裂け、痛みは鋭く、ひどく冷たかった。


それでも──


「……生きてる。」


かすれた声で、ケイは呟いた。


生き延びてしまった。

大切なものを、何も守れないままに。


* * *


それから、何がどうなったのか、記憶は曖昧だ。


必死に手伝った。

倒れた人を引きずり、まだ火の残る家から物資を運び出し、

泣き叫ぶ子供を背負い、焼け跡を走った。


だが、足りなかった。


人の手では、炎を止められなかった。

備えも、道具も、知識も、何もなかった。


(あのとき、もっと水があれば……)

(もっと早く逃げられたら……)

(もっと火を防げる方法を知っていれば……)


後悔だけが、心に澱のように沈んだ。


「どうしてこんなことに……」


誰かが、すすり泣いた。


燃え跡の中で、ケイは唇を噛み締めた。


二度と、こんな光景を見たくない。

何もできずに、ただ絶望するだけの自分には、なりたくない。


小さな決意が、心の底に灯った。


それは、炎に焼かれた夜の中で、唯一残された"希望"だった。


* * *


数ヶ月後。

ケイは、荷物を背負い、静かに別れを告げた。


焼け跡に立つ村の人々は、ただ無言で彼を見送った。


もう、ここでは生きていけない。

生き延びたとしても、すべてを失ったこの地で、過去と向き合い続けるだけだ。


新しい場所へ行こう。

未来を変えるために。


歩き出した背中に、朝日が射し込む。


その光は、どこまでも眩しかった。


(備えあれば──)


ケイは、小さく口の中で呟いた。


声にならないその言葉は、胸の奥深くに、静かに刻み込まれた。

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