第1話 「備えあれば!」

夜。

黒い霧のような煙が村を覆い、空は赤く燃えていた。

人々の悲鳴、犬たちの遠吠え、崩れ落ちる家々の音。


ケイは、燃えさかる炎の中で立ち尽くしていた。

拳を握り締め、唇をかみしめる。


──また、守れなかった。


目を覚ました。

荒い呼吸が耳の奥で響く。

冷たい汗が額を伝っていた。


(……予知夢。)


ケイは静かに起き上がり、ぼんやりと窓の外を見た。

まだ夜明け前の薄暗さが広がっている。


「……備えあれば。」


小さく呟くと、ケイは立ち上がり、外套を羽織った。


* * *


アッシュ村の朝の市場は、活気に満ちていた。

野菜を並べる老婆、魚を捌く若者、笑い声を上げる子どもたち。

平和な村の光景が広がっている。


ケイは広場の隅に小さな旗を立てた。

子どもたちが、ぞろぞろと集まってくる。


「よし、今日はダンスの練習だ!」


「えー、またぁ?」


「恥ずかしいよ〜!」


不満げな声が飛び交うが、ケイはにやりと笑った。

村の飴屋で仕入れた小さな袋を、ちらりと見せる。


「ちゃんと踊ったら、これ、やるぞ?」


「やるー!!」


手のひらを返した子どもたちが、元気よく動き始めた。

ぎこちない動き、バランスを崩して転ぶ子もいる。

それでも、繰り返すうちに少しずつ形になっていった。


* * *


陽が傾き始めると、ケイは村はずれの草地へ向かった。

誰にも気づかれないよう、道具を隠しながら。


地面を掘る音だけが、静かに響く。

掘り、掘り、また掘る。

夜が更けても、ケイはシャベルを止めなかった。


「またあいつ、変なことしてるぞ」


「夜中に穴掘り……気味悪ぃな」


村人たちの声は、耳に入っていた。

それでも、手は止めなかった。


「備えあれば。」


シャベルを突き刺し、土を投げるたび、ケイは小さく呟いた。


* * *


裏山には、ぽっかりと小さな池ができていた。

子どもたちは「秘密の湖だ!」とはしゃぎ、遊び場にしている。


その脇では、ケイがせっせと水路を整えていた。

木材を組み、水の流れを細かく調整している。


「水車でも作る気か?」


通りがかった村人たちは笑った。

ケイは何も言わず、静かに手を動かし続けた。


* * *


夜、村を歩くケイの姿があった。

薪小屋、ランプの油、井戸の周り。

ひとつひとつ、細かく見回る。


何かに取り憑かれたようなその行動を、誰も気にも留めなかった。

誰も、火種を摘み取る小さな努力に気づきはしない。


* * *


数日後。


ダンスの動きも、子どもたちはいつの間にか軽やかになっていた。

旗の周りを、楽しそうに駆け回る。


誰も知らない。

この小さな積み重ねが、やがて村を救うことを。


そして──

その夜は、静かに近づいていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る