第2話
「お姉さまの嘘つき!結婚はまだ先だって言っていたじゃない!」
「先方が突然来て早めようだなんて言い出したんですよ。もちろん旦那様も話がちがうと止めたのですが、マリィ様が根負けして……」
ベッドに突っ伏したまま、怒りと悲しみをぶつける。
お姉さまから香水をもらったあと、わたしは上機嫌でそのままぐっすり眠ってしまった。
その夜、お姉さまは突然連れ去られるように行ってしまったのだ。
目を覚ましてからそのことを知り、わんわんと泣くわたしの様子を見に来たメイドのハナは、慰めるように背中を優しく撫でてくれた。
「……ごめんなさい。ハナが悪いわけじゃないのに」
「キーナ様がマリィ様のことを大好きだということは
どうやら向こうとは連絡がついていないらしい。
次、お姉さまとはいつ会えるのだろうか。
「あら、キーナ様。この香水、マリィ様のものではありませんか?」
ぱっとハナが言う。
視線の先を見ると、机の上に置いてあった小瓶があった。
「お姉さまがくれたの……」
「マリィ様が大切にされていたものですね。それをキーナ様にお譲りしたのだから、マリィ様もキーナ様のことが大好きなんですよ」
ハナが懸命に励ましてくれる。
もう拗ねるのはよそう。きっとそのうち、お姉さまにも会えるはずだ。
「うん。ハナ、ありがとう」
にっこり笑うと、ハナもほっとしたようにゆっくり頷いた。
「それにしても素敵ですねえ。すごくシンプルなのになぜか見入ってしまうわ」
ハナが香水をまじまじと見る。
キーナもベッドから降り、机の上にある香水を手に取ってじっくりと見つめた。
お姉さまはお母さまからいただいたと言っていた。お姉さまがこの香水を使っている場面を見たこともある。というか、ほぼ毎日使っていたんじゃないかしら。なのに……全く減っているようには見えない。まるで新品だ。
「……キーナ様、少々出過ぎたお願いをしてもよろしいですか?」
ハナがおずおずと訊ねる。
いつも控えめで大人しいハナが、お願いごとなんて珍しい。
「どうしたの?」
「ひと吹きだけ、自分に振りかけてみてもよろしいですか?本当に、ずっと憧れで……」
マリィお姉さまからはいつもいい匂いがしていた。
近くにいたわたしでもそう思うのだから、メイドの中でも話題となっていたのだろう。
「いいけれど……」
と、香水をハナに手渡した瞬間、お姉さまの忠告が頭をよぎった。
——他の誰かに振りかけては駄目。
ごめんなさい、やっぱり、と言いかけたが遅かった。ハナは香水を自分に振りかけてしまった。
が。
……特に変わった様子はない。
お姉さまはけちとか、独り占めしようとか、そういうことを考えるような人ではない。
あれは、お母さまから受け継いだ大切なものを誰かれ構わず使わせることはよくない、ということだったのだろうか。
「ハナ、大丈夫?」
黙ったままのハナに声をかける。
振り向いたハナを見て、ぎょっとした。
——視線が、違う。
明らかに熱を持ち、潤んだその視線は、まだ誰からも受けたことがないものだった。
でも見覚えはある。いつも——いつも、他の人がマリィお姉さまを見つめる視線だ。
「ハナ、どうしたの?大丈夫?」
「キーナ様……」
ふらふらとハナが近寄ってくる。
思わずその迫力に後ずさりしたところで、躓いてベッドに倒れ込んでしまった。
どさりとハナが上から覆い被さってくる。
ハナは年齢の近いメイドで、小さな頃から友人のように接してきた。
しっかり者のハナはお姉さまとも仲が良く、まるで姉がふたりいるみたいだと思っていた。
「キーナ様、お慕いしております……」
「ハナ⁉︎しっかりして」
そんなこと知らない。初めて聞いた。ハナが?わたしを?
でもやっぱり、様子がおかしい。
以前、実はいつも買い出しに行く先の店番をしている男の子が気になっているとこっそり教えてくれたのに。
ぷち、ぷち、とメイド服のボタンをハナが外しはじめたので、わたしは驚き渾身の力を込めハナを突き飛ばした。
ハナは軽く、ふわりと浮いたように床へ尻餅をつく。
「ご、ごめんねハナ」
慌てて声をかけるが、ハナの表情に変わりはない。肌が上気したようにうっすらと赤い。
このままここにいてはいけない。わたしは落ちていた香水の小瓶をしっかり握って、お姉さまの部屋へ急いだ。
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