その香りは『国滅ぼしのキーナ』

しお しいろ

第1話

 マリィお姉さまからはいつも良い匂いがした。

 肌は真っ白で、睫毛が長くて、優しく微笑むお姉さまのことが大好きだった。


 「マリィお姉さま、何をしているの?」

 つい、部屋のドアが少しだけ開いていたので覗き込むように声をかける。

 勝手に入ってはいけないと言われていたけれど、自分でドアノブを回したわけじゃないからいいだろう、と思ったのだが、お姉さまは少し呆れたように笑った。

 「キーナ、駄目でしょう。ノックもなしに」

 「ごめんなさい……でも、ドアが少し開いていたのよ」

 「あら、きちんと閉めたと思っていたのだけれど。それじゃあキーナは悪くないわね」

 ごめんなさいね、と優しく撫でられ、わたしは微笑んだ。


 「お姉さま、その小瓶はなあに?」

 お姉さまが手にしていた小さな小瓶を指差す。

 小瓶はシンプルな形をしており、手のひらに収まるほどの大きさだったが何故か惹かれるほど美しく、目を奪われた。

 「ああ、これは……香水よ。お母さまからもらったの」

 「お母さまから!」

 わたしは飛び跳ねるようにお姉さまに抱きついた。

 お母さまはまだわたしの記憶がないくらい小さなころにいなくなってしまった。

 亡くなった、とは聞いていないので、生きてはいるのだろうけれど……。お母さまのことを少し知ることができた気がして、嬉しくなった。


 「これ、キーナにあげるわね」

 そう言って、お姉さまは優しく小瓶を差し出した。

 わたしは目を丸くして小瓶を見つめる。

 「でも、お母さんからいただいた大切なものなんじゃ……」

 「わたくしにはもう必要ないもの。それに、キーナとも会いづらくなるでしょう?お母さまとお姉さまだと思って、これからはキーナが持っていて」

 はっとしてわたしは俯く。

 お姉さまは、近々遠い国へ嫁ぐことが決まっていた。

 人気者のお姉さまはたくさんの人に求婚されて、その中でもいちばん地位があり、いちばん優れていて、いちばん好きな人と結婚するというのだから、良いお話なのだけれど。

 「そんな顔しないで、キーナ」

 「……そうね。もう会えないわけじゃないものね。遠い場所だけれど、たまには帰ってきてくれるのでしょう?」

 うっすらと滲む涙を拭う。

 お姉さまは困ったように笑った。


 「……そうだといいのだけれど」

 

 その言葉に首を傾げていると、お姉さまはしっかりとわたしの手に小瓶をおさめた。


 「この小瓶には不思議な力があってね。キーナが自分に振りかけるのは問題ないわ。ただ……」

 「ただ?」

 すんすんと香水の香りを瓶越しにかいでみる。淡くて、ほろ苦くて、誰でも夢中になるような……そんな素敵なにおいがした。

 「むやみに、他の人に振りかけては駄目。」

 「どうして?だって、こんなに素敵なら、貸して欲しいって人が現れるかも」

 「それは絶対に駄目なのよ。覚えておいてね。」


 柔らかいお姉さまの手の温度が伝わる。

 マリィお姉さまとお話したのは、それが最後だった。

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