第20話 妹、紫葵
翌日から、来る日も来る日も静蓮に贈り物が届いた。
かんざしのみならず、着物、化粧道具、香炉、茶器、本──。
「私、こんなの持ってたら後宮でかなり目をつけられちゃいますよ!? 下女なので!」
高級な品々に囲まれながら静蓮が叫んでいると、孫賀がぼっそりと言った。
「そんなに気にしているなら、本人が来ればいいのにねえ」
静蓮は固まる。あの雨の日の逢瀬のようなもの。甘美だったがお互いを傷つけ合ってしまった時間。あれがもう一度あるのかと思うと心臓に悪い。
彼は悲痛な声で静蓮に訴えてきた。
──……私はあなたのことしか考えられない。
「いやあ?」
静蓮は首をブンブンと大きく振った。
──他の女にも言ってるでしょぉぉぉ! どうせ! 范美人、郭淑妃、蔡昭容、賈充儀……!! 全員に! 後宮の女官たちにだって挨拶代わりに言ってるでしょ!?
首に跡をつけられたことを思う。牡丹か芙蓉の花のように首元で咲く跡を鏡で見るたび、静蓮は気がおかしくなりそうになる。
父を悪く書いた人。父から王朝を奪った人。あの華紹の息子。
でも、華紹から救ってくれて。元婚約者の自分に気遣いをしてくれて。何より、自分は小さい頃から彼が大好きで──。
頬が朱に染まっていく。頭が爆発しそうになり、フラフラする。
井戸の冷たい水で顔を洗った。顔を拭いていると、「もし」という高く愛らしい声が聞こえる。
「すみません……あの……」
舌足らずの喋り方で、人見知りをしているかのようにたどたどしく声が響いてくる。
懐かしい喋り方。懐かしい声。
なぜだか自然と涙が込み上げてくる。
「……紫葵?」
振り向けば、日に透けるほど透き通った肌を持つ、整った長い黒髪の華奢な少女が立っていた。
「あ、あね、うえ……姉上」
気がつけば、少女を抱きしめていた。
「紫葵!」
「姉上」
少女はそのくりくりとした瞳に涙をたたえていた。
「……生きてらした」
紫葵は静蓮の肉体を確かめるようにあちこちに触れた。
「生きてらっしゃる……!! 姉上!」
孫賀が蔵書閣から顔を出す。
「何ごと?」
蔵書閣の応接間で、白茶とともに
十六になっても、結婚しても、まだ本当に愛らしい。
「紫葵〜」
静蓮は紫葵を見ると目尻が垂れてしまう。
「姉上……ご無事で良かったです」
「うん。いろいろあったけど無事だったの」
孫賀が「いろいろあったけどで済む!?」などと言ってくるが、紫葵の前では大した問題ではない。
「紫葵は結婚したのね。聞いたわ」
すると末妹は、頬を朱に染めて頷いた。
「
静蓮はひどく安心した。紫葵は嫁ぎ先で虐げられなどはしていないようだ。
「そうだ。どうしてここに来たの?」
孫賀が「それをまず一番最初に聞きなさい」などと言ってくるが、会えたことの嬉しさに忘れてしまっていたから仕方ない。
すると紫葵は珍しく眉を吊り上げた。
「あの澄瑜が!」
びくりとする。そうだった、と思い出す。この妹、静蓮の婚約が成立してから姉を取られるのが嫌で澄瑜を嫌っている。
直後、妹はブルブルと首を振った。
「いけない、主上だわ。主上が、姉の居所が知りたいなら蔵書閣にいると言ったのです」
「……え」
「えっと……えっと、旦那様と一緒に久しぶりに瑠京に来たのです。主上に挨拶しに」
普段大貴族である荀家は領地に籠もっている。たしか西の方に大きな領地があったような。たまに皇帝に挨拶しに首都の瑠京に来る。
「そうしたら……琴瑶姉上が主上のお側にいるから驚いて……それで……静蓮姉上の居所も教えて欲しいと言ったら、こっそり教えてくれたのです。姉上は死んでなんかいない、わたし、そう思ってましたから。嬉しくなっちゃって急いでここに来ました。後宮に入る許可もいただきました」
琴瑶が澄瑜のそばにいたらしい。やはり琴瑶は貴妃となり、皇后となるのであろうか。
そう思ったらなんだか力が抜けた。
──澄瑜殿は私のことなどもうとっくに頭から抜けていて、昔の婚約者が現れたから遊んでいるだけなんだわ。
自分は澄瑜の一挙手一投足に振り回されることなどなかったのだ。彼はもう静蓮のことなど考えてはいない。華紹から救ってもらったのはありがたいことだが、もう静蓮としては彼の愛情を期待しない。
父から王朝を奪った人で、父を歴史書のなかで悪く書こうとしている人だ。
そう思ったら憑き物が落ちたような気がした。
紫葵は静蓮をぎゅっと抱きしめた。
「姉上」
「どうしたの?」
「姉上、一緒に荀家に行きましょう? 荀家はいいところです。旦那様の懐瑾様はお優しいし。今までと同じように暮らしましょう」
その申し出は天啓のようだった。
静蓮は紫葵を抱き返す。
「行きたい……」
だが、何故かその天啓に心が奇妙にさざなみ立つ。
──澄瑜殿と会えなくなる、か。
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