第21話 大貴族、荀懐瑾

 皇帝が客人との謁見などに使う部屋を龍頭りゅうとうきゅうという。豪壮なその宮殿は、各地から集められた珍宝で飾り尽くされていた。


 澄瑜は羽林軍将軍の光潔とともに、珍しい客を迎えていた。


 飄々とした風のその青年は、西方を治める大貴族である荀懐瑾じゅんかいきん。先帝の第三皇女秋麗公主しゅうれいこうしゅ紫葵しきの夫だ。


 華紹が派遣してきたのに、お気に入りの宦官と目配せし合う琴瑶きんようを言葉巧みに立ち去らせた澄瑜は、紫葵に長姉の居場所を教えた。すぐに後宮へ飛んでいった妻を見送るなり、懐瑾はすぐに言った。


「とうとう夏白公主を貴妃にお迎えになるご様子。めでたいことで。わが妻の紫葵は喜びましょう。純真な性格ですので」

「いや……」


 澄瑜の曖昧な返事に、光潔が目を泳がす。華紹が后候補として琴瑶を送り込んできた。澄瑜には琴瑶をどうこうするつもりはない。


ようの宗室から玉座を奪った簒奪者には、夏白公主くらいがお似合いでしょうねえ。春蓉公主が女帝になられ、あなたこそ後宮で過ごしていたかもしれないものを」


 懐瑾はくすりと笑う。澄瑜は「これはこれは」と言葉の刃から身をかわすように美しく微笑んだ。


「懐瑾殿は身の程というものをなにもわかっておられないようだ」

 

 光潔は身構えたが、懐瑾をどうにかしろという命令は降らなかった。

 大貴族たる懐瑾は泰然としている。


「主上と我々で編纂をすすめております『熔書』、どうでしょう。聡景帝の項はお気に召されましたか?」

「ああ、とても」

「聡景帝陛下は稀代の暗君ないしは暴君。そうでなければならないのですね」


 澄瑜は昔のことを思い出す。飛び回った市井での日々。飢えた民たち。泣く泣く身売りする少女たち。弛緩している、ないしは過酷過ぎる役人の統治。街に響く皇帝への怨嗟の声。


 反面、宮城での華やかにして陰湿な日々。


 穏やかで優しい皇帝を巡る皇后と賢妃の静かな争い。

 贅沢好きな公主たち。特に街の人間が明日の暮らしに頭を悩ませる中、第二公主の琴瑶は贅沢を尽くした料理や豪華な着物について頭を悩ませていた。諫言しても無駄骨だった。


 太子である珠懿と第二皇子の暁嵐の後継者争いに貴族たちの勢力争いが重なって。


 澄瑜はそれが悔しくて悲しくてたまらなかった。そんなとき、婚約者の静蓮が笑顔で言った。


 ──だったら、あなたが救えばいいんじゃないかしら。あなたならできるわ。


 だから、玉座に座り民を救うことにした。


「珠懿様が生きておられたらなあ」


 ぽっつりとそういうと、懐瑾はくすくすと笑った。


「昔を懐かしむのはやめましょう。主上。今はあなたが主上ですよ、沈澄瑜様」

「そしてお前はその余の首を狙っている」


 すると懐瑾は吹き出した。


「当然です。熔の宗室をお守りしていたものとしては」


 荀家は熔の重臣で忠臣だった。最後まで澄瑜の治世に抗い、穏健派の懐瑾が当主になることで澄瑜の支配下になっている。そのかわり懐瑾は、『熔書』の編纂に自らを加えるように言ってきた。なるべく熔の皇帝たちの評価を正確なものにしたいのだろう。


「ああ、それから」


 懐瑾は声を落とした。


「春蓉公主様は生きておいでだったのですね」

「ああ。下女としてお暮らしだった」

「では我が家で引き取りましょう」

「……」


 そうしてくれるか、といいたいのに、言ったほうが静蓮の幸せになるのに、何も言葉が出てこない。


「どうなさいました?」

「……」


 澄瑜は顔を背けた。懐瑾は首を傾げる。


「……?」

「……」

「では、引き取ってもよろしゅうございますか?」


 途轍もない疑念が頭をもたげてきた。これほど熱心に引き取ると言うことは、妻にでもするつもりなのか。紫葵がいながら。

 静蓮は妹の夫に抱かれるのか。静蓮が目の前の男の腕のなかで悶えて嬌声をあげるさまを想像するのは耐え難かった。

 思わず、こう答えていた。


「いや、いいのだ。実は春蓉公主様はこちらで面倒を見ると決めていてな」

「ほう?」

「公主が妃嬪になった例はいくらでもあるし、余としては邪心などなく、ただ身分の保証をして差し上げたいだけなのだ」

「……わかりました。であれば春蓉公主様を妃嬪になさるということで」


 次の瞬間、澄瑜はひどく後悔した。


 ──確実に静蓮様に嫌われる。いや、いいか。嫌われても。


 父親から王朝を奪ったのだ。これ以上何を嫌われることがあるだろう。

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