第19話 病死……のはず
***
静蓮は蔵書閣の本棚の前で、死んだような顔をしていた。
──ど、どど、どうしましょう……、
皇帝に暴言を吐き、しかも寵愛を断った。
「ただの下女が何してるんだっていう……もう公主じゃないんだぞっていう……」
でも。静蓮自身は。
——私も……どうしたらいいかわからない。
澄瑜に抱擁されるのは嫌ではなかった。むしろ望んでいたことで、もし彼がもう少し性急に身体を動かしていたら、静蓮の理性が飛んでしまうところだった。
——って、何考えているの!? 私、やめて! やめなさい! だから好色だとかいわれるのよっ。
だというのに、どうして澄瑜が歴史書に父を悪く描いたのかがひっかかってしまう。正確にいえば、父はどんな人物だったのかが、気になる。
父は穏やかで優しい人物だった。民の為に尽くしていた。けれど、逆臣に殺された。
父は何を見ていたのだろう。そして、いま同じ場所に座っている澄瑜は、何を知り、何をもって父を断罪しているのだろう。
そんなことを悶々と考えているとどんどんと感情が薄闇に囚われていってしまう。
——いけない。し、仕事しよう! そうしましょう!!
というわけで、仕事をすることで澄瑜のことを考えないようにしていた。
本棚の整理をし、貸出本の記録をつけ、今度はおすすめの貸し出しの目録まで作り上げた静蓮に、孫賀はため息をついた。
「あんまり無理するんじゃないわよ」
「大丈夫です!」
袖をまくって力こぶを見せる元公主に、孫賀は苦笑する。
「そうだ。静々。先帝の第一皇子、珠懿殿下を知っているだろう? もちろん」
静蓮はぴくりと肩を震わせた。そのあと肩を竦ませてへらへら笑う。
珠懿。静蓮の四歳年上の兄だ。そういえば澄瑜と同い年で仲が良かった。
聡明でしっかり者で、父は常に彼を頼っていた。彼が死んだ時は父の悲嘆は限りなく、皆で慰めた。そのあと、太子は静蓮たちの異母弟暁嵐に譲られた。その暁嵐も死んでしまった。皇子はいなくなった。三姉妹だけ残された——直後の父の死。
静蓮は聞かれてもいないのに孫賀に言った。
「言っておきますけど、なーんどもいろんな方に聞かれますけどね、兄上は病死ですよ」
「へえ。何も聞いてないけどね」
目を泳がせながら、静蓮は言った。
「病死……のはず」
死ぬ半月前から、兄は咳をし、頻繁に血を吐くようになった。医者に見せたら労咳だと言われた。懸命に看病したが、病状は重くなるばかりで、あっけなく死んだ。
でも、静蓮は疑問に思うことがある。
——労咳ってあれだけ進みが早いのかしら。
ふつう、時間をかけてひどくなるものだと聞いたことがある。
それに、看病していた者達はひとりも労咳にならなかった。それは幸運なことだと当時は思っていた。
しかし、兄は血を吐きながら言ったのだ。
——当然だろう。ああ。静蓮。私に与えられる薬を間違って飲んだりなどしてはいけないよ。
「病死……だと思う」
静蓮は首を横にブンブンと振った。
どうしてあの時子供だったのだろう。大人であればもう少し何かが理解できて、兄を救えたのだろうか。
真剣に考え始めた静蓮を見て、孫賀は「そう」とだけ言った。
「その珠懿殿下の墓廟が建て直される」
「え?」
「かなり派手に」
珠懿の墓は生前の意向でかなり小さく作られたはずだ。澄瑜は派手好きだから、と静蓮は頬を膨らます。
——兄上が聞いたらどれだけ恥ずかしがるか! まったくあの人は人を恥ずかしがらせる天才なんだから。
静蓮は顔を真っ赤にし、本棚をまた整理しだした。
澄瑜は自分の政権の安定のために静蓮の父を悪く書いている。であれば兄はどう書いているのだろう。
孫賀がどこかへ行ってしまうと、棚から『熔書草稿』を取り出して開いた。
──太子珠懿、聡明にして明哲。
そう、そのとおりよ、と静蓮は何度も頷く。
──しかれども、帝、皇后所生の太子珠懿の明晰なるを疎んじる。
「疎んじてませんっ。頼りにしてました」
──珠懿、貴族の酒宴に招かれて毒を盛られ、
「……え」
──半月あまり苦しみ薨去す。
血の気が引いていく。あれは毒を盛られていたのだろうか。貴族に? なぜ。どうして。
まとめればこうだ。聡明な兄珠懿を疎んじ、別の妃の子である弟暁嵐を寵愛していた父は、貴族に命じて珠懿を殺させた。これが聡景帝の悪政の中でも最悪のものである、と。
記憶にない。父は兄をともすれば非常に深く愛していた。父は兄の死をこれ以上ないほど深く悲しんだ。食を絶って自分も病気になったほどだ。
──でも、兄上が殺されたとして、父上はそれをご存知だったの? ご存知ならどうして誰にも何もなさらなかったの。
澄瑜の父である沈丞相。静蓮の兄の珠懿。ふたりは病で死んだはず。
「失礼します」
韓策の声が聞こえる。振り向くと、彼は一礼していた。
「あのう」
「主上からでございます」
銀のかんざしを渡された。芙蓉の花が細工してあり、雌蕊が真珠であった。
「……!?」
「お受け取りくださいませ。それから、お言葉が。『申し訳なかった』と」
澄瑜に謝罪されてしまった。
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