12話 霧の中で
※
あっという間に二時間が経過した。
しかし、山に突入した和洋折衷コンビが戻ってくる気配は一向になかった。
「これは……、何かあったかな?」
流石に遅すぎる。きっと、上で問題が起きていると考えるべきだろう。
「さてと、どうしようかな?」
こうなった以上、最悪も考えるべきだ。つまり、二人は妖魔の手に堕ちている状況。そう仮定した時、誠が取れる選択は自ずと二つに絞られる。撤退か、救出か。しかし、どちらを選ぶにしても少年を一人置いていくわけにもいかない。
「困ったなぁ」
誠は彼にして珍しく、口をへの字に曲げていた。
というのも、この被害者の少年が目覚めてから何度も避難するように誘導した。だが、少年は両親が戻るまで動かない、と頑として拒否してくる。
「考えるのは、得意分野じゃないんだよなぁ」
考える前に即実行の人生を過ごしてきた彼に、今の状況はあまりに酷だった。一人頭を捻っていると、
「ねぇ、お兄ちゃん。僕たちも行こ」
少年の方から提案があった。
「ん〜、いや〜、うん、やっぱりダメかな」
最近、綾音に度々「貴方には恐怖がない以前にデリカシーがない」と注意されている誠だが、そんな彼にも良識はある。プロが二人向かって帰って来れない場所に、一般人を危険な現場に向かわせられない。それが子供ともなれば尚更だ。
「でも、このままじゃお姉ちゃんたちも帰って来ないかもしれないよ」
「俺的には、君が避難してくれたら気兼ねなく行けるんだけど」
「それはイヤだって言ったでしょ。ねぇ、お願い。一緒に行こうよ。お兄さんの側を何があっても離れないからさ。ね、いいでしょ!」
少年はゲームショップでソフトをねだるみたいに身体を前後に大きく揺らして誠の服を引っ張る。
「……まぁ、離れないんだったらいいか」
どっちにしろこのまま水掛け論していても仕方がないので、誠は頭を切り替えて少年の提案に乗ることにした。
「じゃ、行こっか。ただし、俺の手を離さないでね」
「うん!」
誠が手を差し出すと、少年は破顔して握った。
二人は、まるで兄弟みたいに手を繋ぎながら階段を登って行った。
※
異変はすぐに起こった。
「うーん、霧が濃いな」
階段のわりかし広い踊り場に差し掛かったところで突然濃霧が視界を覆った。
足元すらまともに見えない霧。山の天気は変わりやすいとはいえ、些か異常である。とても自然発生したものとは考えにくい。であれば、結論は一つ。
「妖魔の仕業かな?」
もしそうだとすれば、まんまと妖魔のテリトリーに入ってしまったということになる。ミイラ取りがミイラになってしまった。
「しくじったなー。多分、ただの霧じゃないんだろうし。――あ、君も大丈夫?」
誠は視線を下に落として、手を繋いでいる少年に声をかけた。
そして気づいた。
今の今まで手を繋いでいたはずの少年の姿がないことに。
「……やっべ、やっちまった」
ミイラ取りがミイラどころの騒ぎではない。ミイラ取りがネギを持ったカモをプレゼントした上でミイラになったのと変わらない。妖魔の毒牙にかかる前に、すぐにでも少年を見つけ出さなければならないが、
「でも、探すにしてもこの視界じゃなぁ」
殆ど前が見えていない状況で、闇雲に探すのは徒労だ。そもそも、これが全て妖魔の仕業だったのなら、ちょっと捜索した程度で見つけられるようにしているわけがない。
「よし、進もう!」
だったら元凶の妖魔を叩いてしまった方が早いし、自ずと消えたみんなも救えるはずだ。そう判断して、誠は歩を進めた。
その時だった。
霧の奥に人影が見えた。
少年かな、と思ったが背格好はどの角度から見ても大人だった。ならば、綾音かキララのどちらかと思ったがこれも違った。
「なんで?」
霧の奥から出てきた人物を見て、眉を顰めた。
「なんで婆ちゃんがいるの?」
そこには、とっくの昔に亡くなったはずの祖母がいた。
※
二時間前。
綾音とキララは神社へと続く階段を駆け上がっていた。
そのまま後の誠と同じく踊り場に辿り着いたところで、濃霧に道を阻まれた。
「これは、妖術ですね。気を付けて下さい何かきます」
「言われなくともですわ」
妖気の流れからすぐに妖魔による攻撃だと看破し、一旦足を止め、臨戦態勢に入る。
そして、霧の奥から現れた人物を見て、綾音は驚愕した。
「お姉……ちゃん?」
腰まで伸びた黒髪と恐ろしい程に整い過ぎた顔。間違いない。十年前に死んだ姉――水蓮寺楓がもの言わずに立っていた。
同じものが見えているのか確かめる為に、キララの方を見たら、いつの間にか彼女の姿がなかった。
(幻覚か……!)
一瞬で見破る。
恐らく、霧の中に侵入した者の記憶を読み取り、その人物にとって重要な人間を映し出す精神干渉系の妖術。
(クソ! よりにもよって一番面倒なタイプッ!)
精神系は長引けば長引くほど程ハマり込んでいってしまうパターンが多い。このまま放置するのは危険だ。であれば、対処法は一つ。
(一瞬で決める!)
幻術からの脱しる条件は使い手によってまちまちだが、あえて楓を出して来たということは、きっと彼女がトリガーだ。そう結論付けて、綾音は姉の姿をした幻覚に斬りかかった。
綾音の高速斬撃が姉の偽物の首を捉え――。
「綾音」
「――」
名前を呼ばれて、綾音の手が止まった。
ずっともう一度聞きたかった優しく懐かしい声が、綾音の心を掴んでしまった。
(違う、違う! これはお姉ちゃんじゃない! お姉ちゃんの姿をしたただの幻だ! しっかりしろ私!)
惑わされるな、と心に喝を入れ、再び刀を握る手に力を込めた。
しかし、
「私を殺すの? また?」
決心など、たった一言で覆された。
「あ……あぁ」
刀を地面に落として、一歩後ずさりしてしまう。すると、何か踏んだ感触がした。下を見ると、――そこには血塗れの両親が地に臥していた。
「パパ……、ママ……」
呼吸が荒い。上手く思考が回らない。
動揺を隠せない綾音の足首を両親が掴んだ。グルン! と首だけが歪に回って両親の目が綾音を捉えた。
「どうして貴女だけ生きてるの?」
両親の喉から出たとは思えない地の底の這うような低く骨に響く声が、綾音の心臓を打った。
「卑怯者」
「卑怯者」
「卑怯者」
お前も死ねばよかったのに、血涙を流しながら家族が罵ってくる。
「やめて、やめてよ!」
あの優しかった人たちが、自分にこんな言葉をかけるはずがない。敵の罠だと幻覚だと脳では分かっている。しかし、心だけが受け入れなかった。
聞き分けのない子供のように耳を塞いでうずくまる。だけど、声は鼓膜を無視して頭に直接響いてくる。
「死ね、しね、シネ!」
この世で一番大切な人達からの呪詛の言葉に、綾音はもはや何もできずに、ただうずくまるしかなかった。
※
そして現在、山の頂上にある神社の境内にて、
「アハハハハハハ! 傑作だよ!」
嘲笑う声があった。
それを一言で表すなら八メートルを超える巨大な蟲だった。しかし、現在確認されているどの虫にも該当しない姿で、脚の本数と形は蜘蛛のようではあるが、その外郭は昆虫のように黒光りしている。
妖魔の名は幻蟲。妖魔組織『百鬼連盟』の一体である。
幻蟲の前には、霧で生み出された三つの円が浮いていた。そこには、監視カメラのモニターのように闖入者三名が個別で映し出されている。
「我ながらアタシの妖術は人間共と相性抜群だねぇ! 見ろよこの女ども! 頭押さえて子鹿みたいにプルプル震えてやがる! 面白いったらありゃしない!」
現在、この幻蟲の妖術に完全に呑まれたのは綾音とキララの二人。どちらも自分の家族や親しい人間の幻覚に囚われ、身動きが取れない状態になっている。
「人間には誰しも偽物だと分かっていても傷つけられない、あるいは傷つけたくない奴がいるもんさ。アタシの術はそいつらを考える限り最悪の形で登場させてやるだけ。たったそれだけのことで、どんなに強い奴も簡単に膝を折っちまう。全く難儀な生き物だよ人間て生き物は。――なぁ、アンタもそう思わないかい?」
幻蟲は頭を神社の本殿へと向けた。そこには、さっき下で倒れていた少年が三角座りの形で身を縮めていた。――その頭には、誠たちの前にいた時にはなかった狐の耳のようなものが生えている。
狐耳の少年は何も答えずにジッとしている。
「チッ、無視とはいい度胸じゃないか。……まぁ、いいさ。アタシは寛大だから許してやるよ。今まで通り、この山に来た
言われて、少年はさらにぎゅっと身を縮めた。すると、
「もう許して下さい!!」
本殿の奥から二つの人影が飛び出してきた。それは男女で、見目は殆ど人間と同じであったが、少年と同じく頭から狐耳が生えていた。狐耳の男女は左右から庇うように少年を強く抱きしめる。
「お願いします! もう充分手伝ったでしょう! これ以上、この子に人間を殺す手伝いなんてさせないで!」
少年の母親が叫ぶように懇願する。
「わ、私からもお願いする。私たちはずっとこの山で人間たちに目をつけられないようにひっそりと暮らしてきたんだ。頼むからこれ以上私たちの平穏を脅かさないでくれ!」
続いて父親の方も訴えかける。
しかし、
「黙りな!」
幻蟲の複数ある脚の内の一本が、本殿の柱ごと二人を吹き飛ばした。
「あ、うぅ」
両親が頭から血を流して横たわる。そんな彼らに幻蟲は告げる。
「いいかい! アタシたち妖魔はね、人間を殺すのが本能なんだ! つ・ま・り、アタシが正しくてアンタらが間違ってんだよ! 本来なら、人間と共存しようなんて世迷言を吐くアンタらは粛清された然るべきなんだ! それをアタシが有効活用してやろってんだろ! 感謝されることはあっても文句を言われる筋合いはないよ!!」
「そ、それはお前たち『百鬼連盟』の詭弁だろう! 元々、
頭から流れる血を押さえながらも父親が反論する。事実、彼の方が正しかった。しかし、正論などこの場においては意味をなさず、「調子に乗るんじゃないよ!」と、幻蟲は己の尖った脚を父親に突きつけた。
「いいかい、何をのたまおうとお前たちの命はアタシの気分次第だということを忘れるんじゃないよ! 試しにそのちっぽけな頭、プチッと潰してやろうか?」
幻蟲の爪が父親の頭に触れる。「ヒッ」と父親は死の恐怖で身を震わせた。
「や、止めて! 父様と母様をイジメないで!」
その光景を見て、これまで黙っていた少年が両手を広げて、両親の前に立った。
「言うこと聞くから! 人間だって何人も連れてくるから! だからお願い! 二人を傷つけないで!」
目尻に涙を溜めながら、少年は叫んだ。
その様子を見て、幻蟲は黒い体表に反してウザいくらい白い歯を広げてニタリと笑った。
「分かりゃあいいんだよ。分かりゃあ。お前らはアタシの奴隷なんだから、黙って従っておけばいいんだ」
狐耳の一家から脚を退ける幻蟲。首の皮一枚繋がって少年はホッと胸を撫で下ろす少年を「ごめんね、ごめんね」と涙を流しながら両親が抱きしめた。
お涙頂戴には興味がないのか、幻蟲は獲物の苦しむ様の鑑賞に戻った。
「さぁて、小娘二人は完全に堕ちたね」
もはや、歯向かう気力も残っていないようだった。特に黒髪の剣士の方は、泣きながらひたすら謝罪を繰り返している。その姿がひどく滑稽で、幻蟲は手ならぬ脚を叩いて笑った。
「これならいつでも収穫できそうだね」
幻覚で疲弊しきった人間を、自慢の脚で潰して喰らう。いつも通りの作業だ。
「楽しみだねぇ。絶望に呑まれた人間の味は絶品だからねぇ。ホント、他の奴らがただ殺すだけに留めているのが信じられないよ」
想像しただけで涎が止まらなかった。今すぐにも狩りに行きたいが、まだ獲物は一人残っている。
「あとはあの男だけだったね。さぁ、どんな風に絶望するか、たっぷり愉しませてもらおうじゃないか」
期待と興奮で胸を膨らませながら、幻蟲は霧の中を覗くのだった。
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