13話 到着

 ※


 黒瀬誠はお婆ちゃん子だった。というより、まともに誠に接してくれるのが祖母だけだったのだ。特に家族は、怪我をしても、酷い目に遭っても、何一つ変わらず赤子のような好奇心で危険に進んで突っ込んでいく誠を酷く気味悪がって、必要最低限のコミュニケーションしか取ってこなかった。


 周囲に冷遇されることを誠は一切気にしたことはなかったのだが、祖母はそれを酷く悲しんで、孫を可愛がってくれた。

 祖母の家は自宅から歩いて十分ぐらいのところにあって、誠はよく遊びに行っていた。


 祖母は癇癪持ちの母と本当に血が繋がっているかと疑問に思うぐらい穏やかな人で、何事にも動じない強い心を持っていた。まだ元気だった時は、色々な場所に連れて行って貰ったものだが、晩年はそんな精力もなくなって、よく縁側で庭をぼんやり眺めていた。誠はいつも祖母の横に座っておやつを食べながら、他愛のない話を繰り返していた。


「誠、アンタは人とは違った特別な力がある。でも、それを自分の欲の為に使ったらいかんよ。他人を助ける為に使いなさい」


 警察官になったのも、祖母のこの言葉がきっかけだった。


 大切な人も大切じゃない人も特にいない誠にして、祖母だけは特別な存在だった。だからこそ、祖母が死んだ時、誰も信じてはくれなかったけど、とても悲しかったのを覚えている。

 




 そんな祖母が、現在誠の前にいる。かつての記憶と何一つ変わらずそのままの姿で立っている。


「誠」


 祖母に名を呼ばれる。


 姿も、声も、雰囲気も、何もかもかつてと同じで、少年時代の記憶が栓が壊れた蛇口のように止めどなく溢れてきた。


 祖母が次の句を紡ごうとしている。だから誠は、


「よっ」


 思いっきり祖母の顔面をぶん殴った。


「あ、消えた」


 所詮は幻。拳がヒットした感覚はなく、祖母の姿は呆気なく霧散した。


「よし、行くか」


 誠は特に物思いに耽ることなく、階段の続きを走り出した。


 ※


「ハァアアアアアア!? なんだコイツ!!」


 この結果に最も驚愕したのは他ならぬ幻蟲だった。


「な、なんであんな躊躇いなく殴れる!?」


 思い出したはずだ。大切な人との大切な思い出を。そして、思い出が金色に輝けば輝くほど、その影に潜む闇もまた深く濃さを増すものだ。


「そ、そうだ! きっと霧でよく見えてなかったんだ! そうに違いない!! アタシとしたことがしくじったよ! しょうがない、もう一回だ!」


 幻蟲はそう結論付けて、もう一度さっきの老婆を青年の前に出現させる。


『あ、また出た。――フン!』


 しかし、さっきよりも早く幻影は掻き消された。


「なっ!?」


 今度こそ間違いない。あの男は老婆を認識した上で殴っている。


「〜〜ッ!! だったら、別の奴ならどうだ!!」


 人間の大切な人間は一人とは限らない。幻蟲の霧はその中から最も強くイメージされる人物を映し出しているだけ。ならば、男の記憶から読み取れた人物を手当たり次第に出して、かの薄情者の足を止める。


 意気込みを確かに、幻蟲は霧を操作した。

 

 家族を出した。――ぶん殴った。

 恋人を出した。――ぶん殴った。

 友人を出した。――ぶん殴った。

 同僚を出した。――ぶん殴った。

 

「……………………………………………………………………………………………………あ?」


 悉くを一抹の躊躇なくぶん殴りながら、男は無人の野を行くように駆け上ってくる。


「頭オカシイんじゃねぇの!?」


 幻蟲が咆哮する。

 背後では、ついさっきまで怯え、震えていた狐の家族までもがポカンと口を開け、目を剥いていた。

 全員が唖然としているうちに、


「あ、着いた」


 霧の階段を超えて、いかれ野郎が神社に足を踏み入れた。


 ※


「ん? 奥にいるのってもしかして、――やっぱりさっきの子じゃん!」


 境内に入った誠は、圧倒的に目立つ蟲の妖魔はまさかのスルーして、本殿にいる少年に声を掛ける。

 少年は後ろめたそうにビクッと肩を震わせた。


「よかったよかった。死んじゃってなくて。……あれ? でも、その耳は……、あー成程。そういう感じかー」


 少年の正体と立ち位置を察して、誠は声を洩らす。特にそれは残念だったからという訳ではなく、ただ単に事実を受け入れただけだったのだが、どうやら少年の罪悪感を刺激してしまったようで、


「お、お兄ちゃん逃げて!!」


 少年は本殿から飛び出して叫んだ。


 それがお気に召さなかったのか、


「うるさいよ!!」

「ぎゃっ!」


 蟲の脚が一本、少年の前に振り下ろされ、直撃こそ免れたものの、少年は風圧で吹っ飛ばされた。その様を見て、奥から彼の両親らしき人物が飛び出し、息子を抱き寄せた。そして、キッと黒き妖魔を睨み付けたものの、


「なんだい? 文句でもあるってのかい?」

「――ぐっ」


 逆にひと睨みで黙らせられてしまった。悔しそうに両親は唇を閉ざす。


「フン、ザコが生意気にもこの幻蟲様に楯突いてんじゃないよ」


 幻蟲と名乗った妖魔は不愉快そうに鼻を鳴らすと、誠と向き合った。


「アンタ、一体何者だい? なんだってアタシの妖術が効かない?」

「妖術って、あの婆ちゃんたちの幻覚ですか?」

「そうだ! 何故殴れる!? 大切な奴だったんだろう! 心は痛まないのかい!?」


 まさかの妖魔に善意を問われ、さしもの誠も少々ムッとしながら答える。


「失礼な、俺だって心ぐらい痛めますよ。――でも、それとこれは関係ないじゃないじゃないですか!」

「ハァ!? どういう意味だい!」

「だから、あれが仮に本物だとしても、悪事に加担したならぶん殴るのは当たり前じゃないですかってことです」

「……なっ」


 つまり、大切な人であろうがなんであろうが、殴らないといけない状況なら殴る。そんな誠の結論に、幻蟲が言葉を詰まらせる。


 理屈としては間違っていない。むしろ、ある意味正しい。ただ、頭で思っていても普通の人間なら罪悪感や嫌悪感に蝕まれて身動きが取れなくなる。一体この世にどれだけ躊躇いなく実行できる人間がいるだろうか。少なくとも幻蟲は出会ったことがなかったのだろう。ぐぬぬ、と歯を八の字にした。


「質問タイム終了ですか? じゃ、いきますね!」


 問答が終えたのを確認すると、誠は盾を展開し、地面を蹴って加速した。


「どっせい!」


 不意打ち気味に放つ一撃の狙いはもちろん顔面だ。誠は、推進力で威力をアップさせた盾を幻蟲の顔面に叩きつける。


 ゴン! と、低重音が境内で唸った。手応えバッチリだったのだが、


「その程度かい?」


 てんで効いちゃいなかった。八の字だった口角が反対側に吊り上がる。


「消えな!」


 幻蟲の左脚がブレたのを視界の端に捉えて、誠は盾を横に構える。この判断は正しく、盾に横なぎに放たれた脚が直撃した。


「おォ!」


 想定以上の威力に、誠の身体は浮き上がり、そのまま林の中へと吹っ飛ばされた。ガサガサガサ、と木々の枝をへし折りながら転がった。


「イテテ、前の鳥といい、妖魔って硬いの多いんだなぁ」


 頭に付いた木の葉を払いながら誠が言う。


「ハハハハハハ! アタシはね、妖術抜きにしても強いんだよ!! ナメんじゃないよ!!」


 高笑いを響かせながら幻蟲が凄んだ。


「別にナメてはなかったんですけどね、っと」


 軽く言って、誠は草むらを分けて境内に戻る。


「だとしても分かったろう! アタシにテメェのへっぽこ攻撃は効かないんだよ! どうだ、怖いだろう! 恐ろしいだろう! 足がすくんで動かないだろう! いいんだよ、それがお前たち人間という生き物の性なんだか――」

「ほいさ」


 口上が終える前に、誠がもう一度、盾で幻蟲の顔面を殴打した。当然、結果はさっきと同じで一ダメージも入らない。


「あー、やっぱダメか」


 当の本人も分かりきった結果だったのか、特に落胆はしておらず、粛々と現実を受け入れていた。


「人の話を聞けぇ!!」

「人じゃないじゃん」

「屁理屈を言うんじゃないよ!」


 追い出すように脚が振るわれる。これを誠は今度は受けず、背後に跳んで回避した。


「いいかい? いくらやったって無駄なんだよ。アンタじゃアタシには敵わない」

「そうスっか? 一・二回じゃダメでも同じ場所に集中して百回やればってこともありえると思うんですけど」

「ないよ! いや、仮に有り得たとして、アタシの攻撃を一発も浴びずにできる自信があるってのかい?」


 指の代わりに、脚の一本を誠に突きつけて訊く。

 確かに、幻蟲の言う通り、誠の考えは不可能に近い。さっきの一撃だって、たまたま防御が間に合ったからいいものの、まともに浴びていれば内臓が破裂していた。


 つまり、誠がやろうとしているのは、百発以上ヒットしなければダメージが入らない、もっと言うと入るか分からない癖に、向こうの攻撃は一発でもまともにヒットしたらアウトのクソゲーだ。そして、これはゲームではなく現実で、やり直しなんて都合の良い選択肢は存在しない。即刻デットエンドだ。


 それらを全て理解した上で、誠は答えた。


「まぁ、やってみなきゃ分からないっスからね」


 本当にゲームでもやるみたいに気軽に。


 当たり前だ。恐怖のない彼にとって、ゲームも現実も変わりはない。


 しかし、青年の事情などつゆ知らない幻蟲にしてみれば、それは侮りにしか感じ取れなかったのだろう。


「そうかいそうかい。――やれるもんならやってみやがれってんだ! クソジャリが!!」


 怒りを露わに、魔脚を放った。


 ゲームスタートがする。


「お待ちなさい!!」

 

 かと思われたが、凛とした声がポーズボタンを押した。


 声は階段の方からだった。

 幻蟲は警戒から、誠は興味から動きを止め、声の方を見やる。


「あっ! 水蓮寺さん、キララさん!」


 現れたのは、先行隊で絶賛行方知れずだった金髪ドリルツインテールの淑女と黒髪ストレートの淑女だった。

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