第5話

カリンが目覚めると、石造りの天井という見慣れない光景が目に入る。

身体のあちこちに軋むような感覚を覚えながら、ゆっくりと起き上がる。

石畳の上で寝たのは初めての経験だったが、これはあまり身体に良くなさそうだ。

ぼんやりとした頭でそんなことを考えてながら、身体を伸ばすと、徐々に意識がはっきりとしてくる。


鉄格子の向こう側にある階段から射し込む白い光が朝の訪れを告げている。


大鬼族の女性、キャロメティアは既に起きており、鉄格子の内側の壁にもたれるように立っていた。

人間を信用していないというキャロメティア。


彼女から信用を得ることが出来れば、街を脱出した後、世界を旅することが出来るはずだ。

昨日は、焦って失敗ばかりだったが、今日こそは信用を得たいところである。


「……さて、いい朝ね。今日は何か予定があるかしら?」


信用を得るためにも、まず脱出口を一緒に確認に行きたい。

正直に言えば、脱出口さえ確認できれば、そのまま逃亡することが出来ると思っている。

信用の有無に関わらず、目の前に脱走の機会が訪れて、この環境から抜け出さない者がいるとは思えない。


「仕事」


キャロメティアが呟くように言う。


「仕事?」


カリンも大鬼族は地下水道で労働をしているだろうと予想はしていた。

しかし、具体的に何をしているのかまでは把握していない。

何をするのか確認しようとカリンが口を開いた瞬間、鉄格子の内側にある地下水道への扉が開かれる。


カリンが驚いて扉の方を見ると、驚いた顔の男と目が合う。

男はすぐに無表情になり、ぶっきらぼうに言う。


「……仕事だ。」


言うだけ言って、男は扉の向こう側へ消える。


キャロメティアがゆっくりと歩いて扉の向こう側へと出ていく。

カリンは仕事について、あるいは男について確認する機会を失い、黙ってキャロメティアの後をついていく。


扉の向こうはまるで洞窟のようで、薄暗い空間にヒカリゴケやヒカリキノコが蔓延り、発光している。

地下水道というだけあり、足元を川のように水が流れている。


カリンは、先導する男とキャロメティアに倣い、バシャバシャと音を立てながら歩いた。


カリンが歩く度に、水が靴に染み込んでくる。

幸いにもそこまで冷たくはないが、べちゃべちゃとした感覚が少し気持ち悪い。


「……何なのよ……というか誰なのよ……」


何をするのかも、どこに行くのかも分からない状況で、靴はべちゃべちゃ。

思わず文句が出てしまう。

不愉快な状況ではあるが、勝手についていっているのはカリンの方で、その自覚はある。

なので、体感的な不快感はさほど問題ではない。


問題は、突如現れた男の存在だ。

男は貧困街の者がよくしている小汚い恰好をしており、おそらくは奴隷かそれに近い存在だと思われた。

正直に言って、身分や恰好はどうでも良い。

ただ、キャロメティアと男の関係が分からない。


キャロメティアは人間は信用できないと言っていたことから、この男は仲間ではないだろうと思う。

けれど、あの発言がカリンのような貴族へのみ向けたものである可能性もある。

この男がキャロメティアにとって仲間なのだとしたら、味方に付ける必要がある。

しかし、人間が街の外を旅するなどという発想に賛成するとは思えない。


キャロメティアの様子を後ろから窺うも、後ろ姿からは特に何も得るものがない。

男も振り返ることなく歩いているし、あまり仲良くはなさそうではある。


カリンが、後方から二人の様子を観察していると、二人がいきなり立ち止まる。

と同時に、男が慌てて引き返してくる。


驚いたカリンの視界に、毛玉が飛び出してきた。

丸々と太った身体に短い手、前歯を二本ほど飛び出させた姿をした毛玉が、先ほどまで男がいた場所に現れる。


(ドブネズミ!?)


魔物図鑑で見たことがある。

ドブネズミは低級ダンジョンから出現するとされている魔物で、弱いが毒を持っており、非常に獰猛だと言う。

知能は低く、相手の力量も分からず、何にでも襲い掛かる習性を持つ。


地下水道とはいえ、街中に魔物が侵入してきている事実にカリンは驚いた。


ドブネズミは奇声を発しながら、キャロメティアに飛び掛かる。

しかし、あっさりと払いのけられ、壁にぶつかり鈍い音を響かせると、そのまま落下し水音を立てて、動かなくなった。

低級とはいえ魔物を歯牙にもかけない。

カリンでも倒せる自信はあるが、ここまで簡単に討伐できるかと言われると自信がない。

大鬼族の身体能力が高いことは本の通りのようだ。


「……すごいわね。ってあれ? あの人は? 着いて行かなくていいの?」


カリンがキャロメティアを賞賛していると、ここまで案内していた男がどこかへ歩き出している。

何も言わずに移動するのは、何なのか。


「いい。」


キャロメティアが短く返事をし、ドブネズミを片手で持ち上げると、来た道を歩き出す。

カリンはそれに再び付き従いながら、思案する。


男は仲間ではない。

だから最低限の会話しかないのだろう。

もしくは、カリンを警戒してそういう演技をしている可能性もあるかもしれない。


いずれにしても、カリンがやることは変わらない。

キャロメティアを仲間に引き込むために、信用を得る。

そのためには、脱出口に一緒に来てもらうのが早いと思っているけれど、どうみてもまだ仕事中だ。

手伝いは必要なさそうだが、ここでドブネズミの運搬を手伝うことで点数稼ぎは出来るだろうか。

ドブネズミの体格はそれなり大きい。

カリンよりも巨大なそれを運搬することは、通常ならカリンには困難だろう。

しかし、カリンは空間魔法が使えた。

空間魔法にドブネズミをしまうことで、重さや大きさに囚われることなく運搬することが出来る。

問題は、空間魔法はカリンにとって虎の子であるということだ。

使えることは誰にも教えていないし、見せてもいない。


キャロメティアの前では、こっそりと使ってコップを出し入れしたが、空間魔法だとバレてはいないだろう。

いや、バレたところで証拠がない状況に出来るため、問題ないと判断して使っているのだが。

しかし、ドブネズミを空間魔法にしまうのは問題かもしれない。

どこかに運んでいる以上、また誰かに会う可能性がある。

キャロメティアだけに空間魔法を見られても、大鬼族の奴隷の妄言として誤魔化すことは出来る。

他の誰かと一緒に空間魔法を見られてしまうと、さすがに誤魔化すことは難しいかもしれない。


カリンは迷った結果、キャロメティアに話しかけるだけに留めた。


「それって、ドブネズミよね? 泥臭くて食べれたものじゃないって聞いたわ。」


ひとまず、知識アピール。

外の世界で生きていくために、役に立つことをアピールしておこう。


「……昨日の苔みたいな味がするよ。」


少し苦々し気な声色だ。

カリンはキャロメティアの後ろに着いていっている形のため、表情を見ることは出来ないが、渋い顔をしているのだろう。


昨日の苔については、カリンの明確な失敗だ。


「それは、ごめんなさい。」


謝罪するしかない。


キャロメティアが一瞬、立ち止まってカリンに振り返る。

そして、首を傾げてから、納得したような顔をして言った。


「……ああ、別にいいよ。 これもおいしく食べる方法があるの?」


言いながら、キャロメティアがまた歩き出す。


どうやら昨日の失敗を指摘されたわけではなかったらしい。

思えば、最初に声をかけてくれた言葉は、苔が美味しくないということだった。

苔だけでなく、ドブネズミも食べたことがあるということで、単純に味を教えてくれたようだ。


「肉はあんまり美味しくないっていう話だわ。 でも、肝は泥抜きしたら独特の風味で居酒屋なんかで人気だって聞いたわ。」


カリンは、答えながら、作ってみたい感情が湧き上がる。


「へぇー」


キャロメティアの少し感心したような声を聞きながら、カリンは試してみるか提案しようとして思い留まる。

カリンの視界に、二人が朝いた部屋とは別の扉が見えてきたからだ。

扉には双剣の紋章が書いてあり、冒険者ギルドの入口を示していた。


キャロメティアがその扉を開け、部屋に入っていったので、カリンも続く。

部屋の中は、鉄格子で遮られており、奥にカウンターがある。

カウンターにはさっきとは別の男がいて、胸に付けている双剣のバッチから冒険者ギルドの職員であることが分かる。

男は、キャロメティアとドブネズミを一瞥すると、カウンターの奥からパンを取り出した。


キャロメティアがドブネズミを床に落とし、ドサッとした音が部屋に響く。

男は、パンを二つほど持ってくると、それをキャロメティアに渡した。

キャロメティアが受け取り、そのまま何も言わずに部屋を後にしたので、カリンも続けて部屋から出る。


扉が閉まるのを振り返って見ていると、ふいにキャロメティアがパンを手渡してきた。


「え? ありがとう。 」


カリンはパンを受け取りながら、お礼を言う。


キャロメティアの労働環境が分かった。

地下水道に侵入したドブネズミを討伐し、冒険者ギルドへと届けることが仕事なのだろう。

低級とは言え、魔物の討伐報酬としてパン二個というのはあまりにも少ないと感じるが。


ただ、報酬が少ないことよりもカリンとって重要なことがある。

この少ない報酬をキャロメティアがカリンに分け与えてくれたという事実である。


信用していないと言いながらも、キャロメティアはカリンを邪険に扱わない。

どころか、この少ない報酬すら分けてくれるのだ。


カリンは、自然と顔が綻んでしまう。


しばらく歩くと、元居た部屋に辿り着き、キャロメティアは早々に寝っ転がる。


カリンはその様子を見ながら、考える。


また、ドブネズミの討伐依頼が来るとしたら、ここで待機する必要があるだろう。

カリンとしては、当初の予定通りに脱出口を一緒に見に行きたい。

あのサイズのドブネズミが進入しているのだから、それなりの大きさの出口があると予想できる。


「えっと、まだ仕事中? ここで待機しとかなきゃ行けないのかしら?」


カリンは、遠慮がちに尋ねた。


「今日はもうないんじゃない?」


キャロメティアの返答は若干の曖昧さを伴っていた。


「そう! じゃあ、ちょっと一緒に出掛けない?」


少し焦りすぎな気もするが、いくら外壁に近い貧困街の地下とはいえ、外まではそれなりの距離があるだろう。

昼と夜では、外の世界の危険度が全く異なる。

出口を見つけて、一緒に脱走することになっても、それが夜となると、少し躊躇せざるを得ない。

出来るだけ早い時間帯に脱走し、外でもある程度安全な場所を確保したかった。


カリンの問いかけに、キャロメティアは懐疑的な表情を浮かべていた。


「ええっと! いきなり脱走するわけじゃないわ。経路の確認よ!」


出口まで一緒に行ってしまえば、そのまま脱走することになるだろう。

キャロメティアがカリンを置き去りにする可能性も本来ならあるだろう。

というか、普通ならそうするのだろうが、キャロメティアはそんなことをしないとカリンは確信している。


キャロメティアが鉄格子越しに階段の方を見たので、カリンは訂正する。


「そっちじゃないわ。」


カリンは、言いながら地下水道の扉を開け、流れる水を指さす。


「この水の流れに沿って歩けば、外に通じているわ。」


地下水道は、街中の汚水を街の外へと排水するために作られたものだ。

水の流れは自然と街の外へと続いていることになる。


キャロメティアが首を傾げるのを見ながら、カリンは、小声で付け足す。


「それなりに歩くかもだけど。」


カリンの小声が聞こえたのかどうかは分からないが、キャロメティアはゆっくりと起き上がってくれた。


今度はカリンが先導する形で、二人は再び地下水道を歩き出した。

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