第4話

キャロメティアは人間を信用していない。


昔、まだ奴隷仲間がたくさんいた頃は信用していたかもしれない。

しかし、奴隷仲間の人間に促されるままに脱走した結果、全ての仲間を失った。

そのときのことは、未だに夢に見るほどだ。


仲間を失ってから、どれほどの時間が経ったのか。


かつてと同じく、脱走を唆す人間が目の前に現れた。

そいつは、人間の少女だった。


見たこともないほど綺麗な衣装を身にまとい、肩にかかる程度に伸びた赤い髪は美しく輝いている。

明らかに奴隷仲間ではない。


いきなり現れ、脱走を唆すそれが、何者であるのか。

キャロメティアは判断ができないが、何者であっても関係はなかった。

脱走など出来るはずがないのだから。


脱走を誘いを断った結果、目の前の少女は困り果てていた。


キャロメティアは人間を信用していない。

していないが、同時に目の前の少女を警戒もしていない。

明らかにキャロメティアの方が強いと確信しているからだ。


それ故に、人間とは言え目の前で頭を抱えている子供の姿には、少し庇護欲すら湧いていた。


唆されて脱走したりする気はないが、このまま放って寝てしまうのはさすがに可哀相だ。


そんなことを考えている間に部屋は薄暗くなっており、壁に生えた緑色の苔が僅かに発光し出していた。

その苔を赤髪の少女が凝視していたため、キャロメティアは声をかけた。


「……それ、おいしくないよ」


かつて空腹に耐えかねて食べてみたが、とても食べられた味ではなかった。

味としては苦味が主体で、何かが腐敗したような臭いが口から広がるのだ。


「これ、ヒカリゴケでしょ! 美味しく食べる方法があるのよ!」


赤髪の少女は、話しかけられ、嬉しそうにはしゃいで言う。

言いながら、壁から苔を削るように取り、どこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていた木製のコップに苔を入れた。


不思議にそうにキャロメティアはその様子を窺う。


「ウォーター」


少女がコップに手をかざし、呪文を唱えると、どこからともなく水が現れ、コップを満たした。


魔法だ。

初めて見る。


魔法というものが存在することはかつていた仲間たちから聞いていた。

しかし、実際に使える者はいなかったため、見たことはなかった。


キャロメティアが少し興奮気味に見つめていると、コップから僅かに光が溢れ出した。


「出来たわ! 見て!」


少女がそう言いながら、コップをキャロメティアの方へと突き出してくる。


コップの中は、薄緑に発光する液体で満たされていた。

匂いは、苔のままであり、美味しくなったとは思えない。


そもそも魔法で出した水というのは、飲めるものなのだろうか。


「飲んでみる!?」


少女の瞳は、大きく見開いて、キラキラと輝いていた。


得体の知れない飲み物だ。

匂いも美味しそうではない。

しかし、パンばかりの食事に飽きているし、空腹でもある。


「あ、毒なんかじゃないからね」


キャロメティアが躊躇している様子を見て、少女が少しトーンダウンする。


何だか、悪いことをした気分になったキャロメティアは、強気で宣言する。


「大鬼族の戦士に毒は効かない」


屈強な大鬼族の戦士に毒など効かないというのは、今は亡き仲間の談である。

実際、キャロメティアは、何かを食べて具合が悪くなったことはない。

ただただ不味いだけだ。


「そうなの!? じゃあ、飲む?」


少し驚いた声を上げ、少女は、遠慮がちにコップを差し出してくる。

差し出されたコップを受け取り、キャロメティアは口をつけた。


口の中に苦味と青臭さが広がっていく。

そのまま食べたときのような腐敗臭こそないものの、美味しいとはとても言えない。

いや、はっきり言ってとても不味い。


少女の方を見ると、再び目を輝かせていた。

キャロメティアは、一口だけ何とか飲み込み、コップを少女に返す。


何というべきか。

いや、少女にとって、これは美味しいのかもしれない。


「もういいの?」


少女は、首を傾げるような仕草をしながら、コップを受け取った。

そして、そのまま口をつける。


少女は目を見開いて、少しむせるようにしてから呟いた。


「……不味い」


どうやら、少女の好みの味でもなかったらしい。


少女は、顔を顰めながらコップと睨めっこをしていたが、

キャロメティアの視線に気付くと、少し慌てたように謝罪した。


「ごめんなさい! 本では甘くて美味しいって書いてあったのよ!」


必至に身振り手振りで言い訳する姿を見て、キャロメティアも納得する。


どうやら初めて作る飲み物だったようだ。

味は悪いが、悪気があってやったわけではないのだろう。


キャロメティアは納得したが、少女の方は相変わらず焦った様子でバタバタとしている。


人間は信用していないことを伝えた後のことなので、余計に焦ってしまっているのだろう。


可哀相なので、別に大丈夫だと伝えようとキャロメティアが口を開いたとき、少女が呟いた。


「……そういえば、名前も聞いてなかったわ……」


少女は、キャロメティアの顔をしっかりと見て、続けて言った。


「私はカリンっていうわ。 あなたのお名前を教えてくれる? こんなもの飲ませた後であれだけど……」


少女が自信満々といった風に始めた自己紹介は、後半は小声になっていた。


コロコロと変わる表情は、見ていて面白い。


「……キャロメティア」


キャロメティアも名乗った。


それを受けて、少女は花が咲いたように笑顔になり、片手を差し出してくる。


「キャロメティア! よろしくね!」


キャロメティアは返事をせず、静かに差し出された手を軽く握った。


脱走はともかく、魔法や表情は見ていて面白い。

何でここに入れられたのかは分からないが、危険な相手でもないし、同居人として、多少仲良くしても問題ないだろう。

キャロメティアはそう判断した。

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