第3話

カリンを乗せた馬車は、貧困街に辿り着き、古びた建物の前で止まる。

衛兵と一緒に馬車を降りたカリンは、先導する衛兵に連れられて建物の中へと入る。

建物の中には、地下へと続く階段があるのみで、そのまま衛兵は階段を下っていく。


やはり、大鬼族の生き残りは、地下水道で労働しているようだ。


大人しく衛兵に付き従って、階段を下ると、鉄格子のある部屋へと辿り着く。


鉄格子の内側には、大鬼族の生き残りと思われる人がいた。


緑色の肌をした女性で、頭には二本の角が生えており、背は成人男性よりも少し高く、やせ細っている。

服装はボロ布であり、かなり年季が入った汚れ具合だ。


本当に大鬼族の生き残りがいたのか。

やせ細っているけれど、労働を行なっていることを考えればそれなりに身体能力は期待できるはず。

そもそも背が高いだけでも、外で役立つ場面は多いだろう。


そんなことを考えていたカリンは、衛兵に押し込められるように鉄格子の内側へと追いやられる。

特に抵抗することなく、鉄格子の内側へと足を踏み入れたカリンは、衛兵が鉄格子の扉を閉めるのを確認する。

衛兵は、そのまま振り返ることなく、さっさと階段を上がっていく。


必要以上に関わりたくないのだろう。


カリンは、衛兵の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、大鬼族の方へと振り返る。


大鬼族の女性は、カリンを見ながら、目を細めている。


想像以上に劣悪な環境のようだし、簡単に説得出来そうだ。


「あなた、わたしと一緒に脱走しない?」


とりあえず、提案する。

後日、このことが他の人間にバレたとしても、貴族の発言と奴隷の発言ならば貴族の方が優先される。

義母からこれ見よがしに厭味を言われることはあっても、それで何かあるわけじゃない。


カリンは返事を待ちながら女性を観察していたが、女性は訝しむようにこちらを窺うだけだった。


「こんなところ脱走して、街の外で一緒に過ごしましょう?」


カリンは先ほどの発言では言葉足らずだと思い、街の外でも共に過ごすことを強調した。


カリンの目的はあくまでも、外の世界を旅することだ。

街から脱出しただけで解散になって困るのは、カリンの方である。


カリンの発言を聞き、大鬼族の女性は顔を顰めると、短く答えた。


「……嫌だけど」


カリンは目を見開いて驚いた。


断られるとは思っていなかった。

服装や体型を見れば、ここの暮らしが快適でないことは明らかだ。


何がイヤなの!?


いや、普通の人間にとって、あるいは同じ状況の奴隷にとってもいい話ではない。

冷静に考えれば、街の外は魔物に溢れている危険地帯なわけで、奴隷としてでも街中で暮らすことの方が安全でマシな生活なのだ。

大鬼族は頭が弱いという話だったが、さすがに街の外は危険な場所だという認識はあるようだ。


カリンは、あまりにも環境が悪いから、簡単に乗ってくると高を括って、少し先走ってしまったことを後悔する。


「確かに街の外は安全とは言えないけれど……」


カリンは少し早口になりかけ、一旦言葉を止めて呼吸を整える。

緑色の苔が生えた石壁で作られた部屋を見渡すように見て、カリンは力を込めて言う。


「こんなところよりは遥かにマシよ!」


正直に言えば、安全性で言ったらここの方がマシだろう。

しかし、外の世界は安全性を捨ててもお釣りが来るほどの魅力に溢れていると、カリンは確信している。


大鬼族の女性は、カリンの発言に返事をすることもなく、ただこちらを見つめてくる。

その表情は、困惑しているように見える。


「見たこともないような景色が見られるし、なにより自由だわ」


大鬼族の女性から目を逸らさずに持論を展開するも、手応えはない。

それどころか、大鬼族の女性の目から光が失われていくように感じる。


失敗したかもしれない。

景色を楽しむなど余裕のある者の発想だろう。

奴隷生活をしている大鬼族の女性にこんな説得が刺さるわけがない。

しかし、奴隷生活から解放され自由が得られるということは魅力的に映るはず。

実際には、自由と責任はセットになっているものだから、言葉通りの魅力はない。

けれど、大鬼族は頭が良くないという話だ。

自由は、言葉通りの魅力的に映っているはず。

過去に脱走を図っているのだから、それは間違いない。

いや、そもそも頭がそこまで良くないという話なら、もっと直接的な利益を提示するべきなのかもしれない。


カリンは大鬼族の女性から目を逸らして、少し思案してから発言する。


「お腹いっぱい美味しいものが食べられるわよ?」


随分とやせ細っている。

満足に食べられるというのは魅力的だろう。

しかし、大鬼族の女性から返事はない。


さすがに安直すぎただろうか。

カリンは盗み見るように大鬼族の女性の方を見て、反応を窺う。


大鬼族の女性の眉間に皺をよせ、かなり険しい表情をしている。

全くと言っていいほど、説得が響いていない。


「ここの暮らし、そんなにいいものには見えないんだけど?」


カリンは再び部屋を見渡しながら、遠慮がちに尋ねる。

何かしら説得の取っ掛かりのようなものが欲しい。


「……そうだね。」


しばらくの沈黙の後、ようやく大鬼族の女性が答えた。


「だったら!」


「人間は信用できない。」


続けて説得しようとしたカリンの言葉は遮られた。


人間は信用できない。


それは当然そうだろう。

奴隷として使役する側の人間がいきなり現れて脱走の提案。

いきなり受け入れる方がどうかしている。


普通に考えたら分かることではあった。

普通の人間ならそうなる。

でも、大鬼族はバカで騙しやすいって。


カリンの今までの人生で信用できる人間なんていない。

同時に、カリンを信用している人間もいないだろう。

そういった関係の構築を今までしてこなかった。


ここにきて、あと一歩で、世界への旅に出られると勇んでいたのに。

誰よ! 大鬼族は頭が弱いから騙しやすいなんてことを本に書いたのは!


カリンは自身の計画が音を立てて崩れていくのを感じていた。

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