第5話 相棒は研究者
「やはり例のわさびだが、本来含まれていないはずのグルタミン酸が見つかったよ」
白い白衣を纏った男はデータをまじまじと見ながら話した。結城はそれに対して問いかける。
「つまり?」
「ゲノム編集の可能性も無くはないが、おそらく遺伝子組み換えだろうね。どちらにせよ、人の手が加わっていることは確かだ」
白衣の男は淡々と語る。
「そして、これが裏社会のマーケットで入手したわさびさ。ご覧、完全に成分が一致する」
結城がデータを見ると、99.の後に数えきれない9があり、その後に%が書かれていた。結城は考える。
(遺伝子組み換え作物はいまだに規制が厳しい。特に個人でやっていたとなればなおさらだ)
「問題は、手に入れたもう一つのわさびだ。合法じゃない成分が、複数含まれていた」
白衣の男はもう1つ、わさびを結城の前に並べた。
「普通のわさびに見えるが」
「もちろん見た目じゃ分からないようになってるさ」
白衣の男はパソコンに打ち出したデータを結城に見せる。そこには麻薬に使われているような危険物質も含まれていた。
「マジか」
「隠れ蓑としてはこれ以上ないだろう。苗の段階から取り込む技術、詳しくは分からないがこれがあることで粉として検出されない。よりバレにくくなるってことさ」
白衣の男はパソコンを閉じて結城に尋ねる。
「このわさびを作っていた彼女の父親には近づけたんだろ? どうだったんだ?」
「あぁ、ただ本人からはそこまでの知性は感じられなかったな。油断もすごい」
「なるほどね」
「シノ、ここまでを踏まえての結論は?」
「AIみたいに呼ばないでくれ。おそらく他の個人、あるいは組織が関わっているとみていいだろう」
シノと呼ばれる白衣の男の名前は東雲壮馬、結城と二人で会社を立ち上げた人物である。
「耀、ここは慎重にいこう。ただでさえ京極に目を付けられている」
「まぁな、あの爺さんは確かに怖かったよ」
結城がパーティーを抜けて部屋に入ると、そこには京極が一人で座っていた。
「よく来てくれた、結城君。君の噂は聞いているよ。なんでも凄まじい成長を成し遂げているんだとか」
京極の鋭い眼光は結城を捉えている。
「ありがとうございます。京極さんに褒めていただけるとは、光栄です」
「気を緩めたまえ。ここには監視カメラも無ければ防音もしっかりしている」
「いえいえ、リラックスさせていただいていますよ」
そう言いながら結城は周りを確認する。確かに京極の言っていることに嘘はないようだ。
「それで、ご用件は何でしょうか? わざわざここに呼び出すということは何かあるんですよね?」
「うむ。私は地獄耳でね。入ってくるのは良い噂だけではないんだ」
「そうですか。それはお気の毒に」
「君の企業が行っていることは慈善事業に近い。普通の企業ならすぐに潰れているだろう」
結城は落ち着きを保っている。その様子を横目に、京極は続ける。
「資金源について、私はすでに見当がついている。他の企業の社長、あるいは重役だろう? 君たちは彼らの弱みを握って、資金援助を受けている」
場の空気が凝固する。部屋の外の音も聞こえない。静寂に包まれた中で、結城は沈黙を破る。
「……だとしたら?」
「別に遠くでやってくれる分には構わないんだけどね。私のグループ企業にも手を出しているらしいじゃないか」
追い打ちをかけるように京極の目が厳しくなる。それはまるで蛙を睨むヘビのようだった。結城はひるまずに明るく返す。
「手を出したなんてひどいなぁ、そんなに嫌なら訴えればいいじゃないですか。こっちは別にかまいませんよ」
「君たちが掴んでいる情報は、企業の裏側、つまり闇の部分だ。すべてが暴かれれば、日本経済が一時的に麻痺する。それを分かった上でやっているのだろう?」
京極はため息をつく。結城はただ一点、京極を見つめている。
「今私は社長だが、私ももう歳だ。そろそろ後の世代に社長の座を譲ろうと思っている」
「そうですか、それはいいことですね」
「そうだな、行動の自由が利くようになるからね」
京極は立ち上がり、結城の肩に手を置く。
「私は自分の縄張りに入られるのが嫌いでね、ハイエナは生かしておかないんだ。私の目が黒いうちは好き勝手させるわけにはいかない」
そう言うと京極は部屋を出て行った。結城は平然を装っていたが、足には力が入っていなかった。まだ5月なのに、額には汗がじんわりと沁みついていた。
「あの爺さん、会長になったら何するか分からないぞ」
「確かにな。会長なら多少の不祥事はもみ消せるし、社長じゃない分、世間への影響も最小限だ。バックに政財界とのパイプでもあれば、さらに厄介と言えるね」
シノは腕を組んで、深く息を吐いた。彼の視線はパソコンの画面を通り抜けて、先の未来を見据えているかのようだった。
「京極のことだ。おそらく、表に出る前に裏で動く。証拠や告発が表沙汰になる前に処理してくる可能性が高い。そうすれば、何もなかったことになる」
結城は生唾を飲み込んだ。京極のあの無機質な目、感情を持たない深海魚のような視線を思い出すと、背筋が凍るようだった。しかし同時に、ある記憶が脳裏をよぎる。
「京極は、俺の名前を知っていても顔色一つ変えなかった……忘れてやがるんだ!」
炭酸のようにはい出てくる苛立ちが抑えきれず、結城の拳が机を叩く。その不安な音をかき消すように、シノが語り掛ける。
「いつか京極が動くことは、最初から想定内だ。だったら、こちらも本気で行こう」
その言葉に、結城の怒りが少しずつ理性に置き変わっていく。
「……あぁ、すまん。取り乱した。俺とお前が組めば、やれるさ」
結城の目に光が戻ると、シノは無言で頷き、セキュリティシステムの再構築作業に戻った。何重にも施された高い防壁に、新たなトラップが組み込まれていく。
結城はパソコン画面に映るわさびの研究データを見つめながら、ふとチャットアプリを開いた。そこには、まだ未読のままの葵からのメッセージがいくつか届いていた。
そのとき、結城は決意するように、ある人物の番号を押す。
「急用だ。お前に頼みたいことがある」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます