第6話 嘘と真実、境界線はスレッドに
「ねー、例の社長さんとはどんな感じなのよ?」
桃は好奇心全開で身を乗り出してきた。いつものカツ丼屋で、二人分の味噌汁が湯気を立てている。
「いい感じだよ。この前、実家にも来てくれたし」
「え、うそ!? もう実家!? 早っ!」
桃は今にもイスから転げ落ちそうな勢いで驚いている。今どきこんなにリアクションが大きい子も珍しい。それが桃の持つ魅力であり、友人としても飽きないところだ。
「まさかそんなに進展してたとは……うーん、挨拶の言葉、ちゃんと考えないと」
「挨拶? 何の?」
葵は首をかしげる。
「何言ってんの、あんたらの結婚式でしょ?」
「えぇ!? まだ結婚とか全然考えてないよ!」
葵は目を丸くして両手を振る。桃の暴走トークについていけない。これ以上は身が持ちそうにないので、葵は桃の近況に話題を切り替える。
「じゃあ逆に聞くけど、モモはどうなの? あの後のパーティーで付き合ったんでしょ?」
葵の質問に、桃は急にテンションを下げて分かりやすくため息をついた。
「それがさ~、社長は捕まえたんだけど、ぜんっっっぜん面白くないの。やっぱ金だけあっても、ダメだね」
「また手のひら返し……」
「だって本当だもん。会話はふまんないひ、価値観合わないし。あーあ、まぁ、人生経験ってふぉとで」
全力でカツ丼を頬張りながら話す桃の姿に、葵は苦笑しながら水を差し出す。
「食べるか喋るか、どっちかにしなって」
水を一気に飲み干した桃は、ようやく静かになった。
「まあ、そんなわけでしばらく独身満喫するわ! でも披露宴には呼んでよね~?」
「だから、まだ結婚しないってば!」
「……まだ、ね?」
ニヤニヤ笑う桃の顔にツッコミを入れる暇もなく、葵のスマホが震えた。電話画面を開くと、そこには結城の文字が。桃はあらーと茶化してくる。
「あっ、ごめん。私片付け手伝ってくる!」
わざとそそくさ立ち去った桃を見送りつつ、葵は電話に出た。
「はい、結城さん?」
『葵さん? 今度のデートのことなんだけど……』
数日後の夜。桃はいつものように仕事を終えて自宅に帰った。シャワーを浴びたあと、パジャマ姿で缶ビールを片手にパソコンを開いた。
彼女の密かな趣味、それは電子掲示板巡り。今日も適当にスレッドを流し読みしていたとき、あるスレタイが目に飛び込んだ。
【悲報】トリニティ・コレクト、他企業を脅しまくる
(……え?)
軽い気持ちで開いたそのスレッドに、冷たい汗がにじむ。
1:名無しのゴンザレス 2025/11/07 13:54:40:96 ID:*********
“トリニティ・コレクトの結城代表が某企業の重役と密会しているところが目撃された。3時間近く話し込み、周囲の目を気にしつつそれぞれその場を後にした。今後の経営への影響が懸念される。”
2:恩着せがま爺 2025/11/07 13:56:55:12 ID*********
ついにトリニティ終わったか
桃の目がスクロールに合わせて走る。
9:スーパーボウル 2025/11/07 14:02:76:35 ID*********
>>1ソースはよ
12:サバ缶 2025/05/07 14:18:27:95 ID*********
また京極一強時代か(`・ω・´)
「なにこれ……」
桃はそっとパソコンを閉じた。葵に話すべきか、それが桃の一番の悩みの種だった。下手に話して二人の関係に亀裂が入るのは避けたい。しかし、黙っていて後でバレた時のことを考えると、ぞっとした。
桃は手に持ったビールを飲み干し、静かに考える。ネット上に点在する黒い噂、そして情報提供サイトの存在。ソースは曖昧だが、全てがデマとも言い切れない。
一晩悩んだ末、桃は決断する。
(……やっぱり、葵には話そう)
一方その頃。
「耀、これを見てくれ」
シノが画面を指差し、緊張した表情で言った。
「うちの会社に関する情報提供を募っているサイトだ。一見すると普通に見えるけど、裏のセキュリティが異常に強固だ。ハッカー対策済みってやつだな」
「京極か?」
「間違いない。奴が関わっている可能性が高い」
シノはパソコンを睨みつつ言った。その手はキーボードの上で動き続けている。
「今ハッキングを試みているけど、可能性は薄いと思ってくれ」
「分かった。任せる」
結城は、ふと外に視線を送った。
「実は最近、誰かに尾行されてるんだ。多分、京極の手下だ」
一人を撒いても、すぐに次が現れる。結城に向けられた監視の目は途切れることがなかった。
「気をつけろ。直接の襲撃や情報漏洩があると厄介だ」
「あぁ。用心する」
短いやりとりの後、結城は静かに立ち上がる。
(京極……お前だけは、絶対に潰す)
その決意を胸に、結城はある人物と最終確認をするため、会いに向かった。
「……うそ」
葵の手から書類が滑り落ちそうになる。
「いや、可能性だよ!? あくまで可能性だから!」
桃の必死のフォローも、葵の心には届かなかった。
(まさか、結城さんが……)
信じたい、信じたいのに。それでも、葵の胸には確かな不安がよぎっていた。ここ最近、結城とはほとんど会えていない。
この前掛かってきた電話も、待ちに待ったクリスマスデートのキャンセルだった。
(せっかく浮かれて買った洋服、結局クローゼットの奥だもんな……)
それでも信じようとする心と、目の前の現実との乖離に、葵はもがいていた。桃はコーヒーを買ってきて、そっと彼女に差し出す。その優しさにも葵は気づけないほど、心ここにあらずだった。
1月だというのに、窓の外は異様なほど晴れていた。明るすぎる空が、逆に葵の不安をあぶり出すようだった。
何とか仕事を終えて、2人はカフェの席についた。桃はできるだけ明るく話し続ける。
「ほら、人気者にはアンチって絶対いるからさー。あの記事もただの炎上狙いじゃない?」
「……でも、もう3ヶ月もデートしてないんだよね……」
実家に来てくれたのが最後だった。仕事が忙しいとはいえ、遠距離恋愛でもないのにこの期間はさすがに長すぎる。
「じゃあさ、いっそ本人に聞いてみよ!」
「え? 本人って……」
「あんたの彼氏に決まってるでしょ!」
桃は葵から躊躇なくスマホを奪い、結城に電話をかける。
「ほら、私も一緒にいるからさ。大丈夫!」
「ありがと……」
発信音が鳴る。規則的なその音は、葵の心を不規則に乱れさせる。暫くして、電話が繋がった。
「もしもし、葵さん? 珍しいね、葵さんから電話なんて」
変わらない結城の声。それだけで葵の心は少し緩んだ。
「……あの、少し気になることがあって。電話したんだけど……」
緊張で口が渇く。けれど、真っ直ぐに伝えなければならない。葵は記事のこと、会えていない日々、そして今の不安な気持ちを率直に吐き出した。
しばしの沈黙のあと、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「本当に申し訳ない!!」
「えっ?」
思わずリアクションが漏れる。電話をスピーカーにしていたため、葵は桃と目を見合わせる。
「心配かけて本当にごめん! デートも行けなくて……全部、僕が悪い」
思わず、心が揺れる。
「じゃあ、記事のことって……本当なの?」
我慢できず、桃が口を挟む。
「あ、柏木さんもいらっしゃったんですね。いえ、それは完全なデマです」
葵はホッと胸を撫で下ろすと同時に、半年以上前の一度の出会いで桃の名前を覚えていた結城に感心した。
「でも、言葉だけじゃ信じられないよね。電話だし……あ、そうだ」
結城が提案したのは想定外の内容だった。
「よかったら、今度うちの会社に来ない? もちろん柏木さんもご一緒に」
「え!?」
「直接会って、ちゃんと話したいんだ。仕事が忙しいのは本当だけど、会社なら案内くらいはできるし……どうかな?」
「行きたいです!!」
桃が元気よく答え、葵も続く。
(まさか、この歳で社会科見学をすることになるなんて)
葵は桃と一緒に結城の会社に向かうことにした。いざ、トリニティ・コレクトへ。
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