第4話 実家の夜に伸びる影
そこから三か月ほどが経ち、外ではセミが激しく鳴き合っていた。今年の夏は特に暑かった。結城は忙しく、デートは数回しかできなかったが、連絡は毎日してくれていた。
この日はお互い時間に余裕があり、電話で話していた。お互いの近況や次のデートの予定について話す中で、流れから葵の実家の話になった。
「葵さんの家ってわさび農家って言ってたよね。気になってたんだけど、山瀬ってもしかして……」
「あ、そうです。うちの父が過去に山瀬ブランドっていうわさびを出してて」
「やっぱり! 僕も食べたことあるんだけど特出して美味しかったよ」
結城が自分の実家のわさびを食べてくれていることはとても嬉しかったが、それと同時に意外だった。
「でも個人経営で、もう十年以上前に辞めちゃったんです。なのに結城さん食べたことあるってすごい偶然ですね!」
「あぁ、たまたまね。かなり前に知人に貰ったんだ。あれほど美味しいわさびは中々ないよ」
結城は嬉しそうに語った。
「喜んでいただけて何よりです」
「ちなみにどうして辞めちゃったの?」
「お父さんかなり拘りが強くて、今育てているわさびが満足いく出来になるまでは出さないことにしたんです」
「そうだったのか。きっとその頑張り屋さんなところが葵さんに似てるんだね」
葵は照れる。結城はうーん、と少し考え込んだ後、口を開いた。
「今度実家にお邪魔しても良いかな?」
「え!?」
声が裏返り、椅子から転げ落ちそうになる。葵は聞いたのが家で良かったと心から思った。
「急にごめん。葵さんとちゃんと付き合いたいから、やっぱりご挨拶した方が良いかなって思ってたんだ」
「そうだったんですね……すいません取り乱してしまって」
「いいんだよ。それに葵さんを育てたご両親を見てみたいなと思って!」
葵は嬉しそうに頬を赤らめる。しかし葵の頭には一つの不安がよぎっていた。
「あの、私の実家って北関東の山奥の田舎なんです。結城さんがお気に召すかわからなくて……」
「そんな心配は無用だよ。葵さんが育ったところを嫌いになるわけない」
それを聞いて安心した葵は承諾した。お互いの予定が合う一か月後、葵の実家に帰ることになった。結城は電話を切った後、フッと笑みを浮かべる。
その夜、葵は母に電話を掛けた。
「彼氏ができた!?」
母が急に大きな声を出したので、葵は慌ててスマホから耳を離す。
(スピーカーにしてなくてよかった……)
「いつ? どこで? どんな人?」
「いきなり全部聞かないでよ」
葵はこれまでのあらましを説明した。母はこれまでかというほどに驚いておりうるさい。
「あんた絶対そんな人離しちゃだめよ! いつでも連れておいで!」
電話が終わり、葵は疲れ果てていた。彼氏と実家に行くことが急に客観的に見えてきて、葵はまた顔を赤らめる。
「いらっしゃい! 長旅だったでしょう」
実家に帰ると真っ先に葵の母が迎えてくれた。母はいつもよりおめかしをしているように葵には見えた。
「いえ、急だったのに承諾していただきありがとうございます」
結城はいつも通りのスマートさで話を続ける。家の前に車を停めて、2人は家に入った。結城の運転は安定感があり、止め方もスマートなのを見るとやはり桃の言う通りハイスペックなのだと確信する。
客間に通されると、父親が座っていた。すかさず結城は前に正座する。
「初めまして。娘さんとお付き合いさせていただいている、結城耀と申します」
父は暫く結城を見て、口を開く。
「君が結城君か! うちの娘と付き合ってくれてありがとう! ホントに彼氏ができるかだけが心配で……」
「ちょっとお父さん!」
あまりにフランクな父、裕次郎に流石の結城も驚いたようだが、すぐに体勢を立て直す。そこから結城は葵の両親とすぐに打ち解けた。お酒が飲めることもあり、特に裕次郎とはすぐに仲良くなった。
「そういえば葵さんから聞いたんですけど、今はもうわさびを売ってないんですね」
「あー今作ってるわさびがまだ納得いく出来じゃなくてね。商品化は見送ってるんだよ」
「そうなんですか、あんなに美味しいわさび他にないと思ったんですけどね」
結城ががっかりしたような表情を見せると、裕次郎は機嫌を更に良くしてこう言った。
「結城君、今日は夕飯食べていきなさい。わさび料理をご馳走するから」
「本当ですか!?」
「沢の方はもう収穫を終えてしまっているんだけど、畑の方はまだまだあるからね。あ、ちなみにこれはどっちも本わさびで研究の為に……」
「急にそんな専門的な話しても分からないでしょ」
裕次郎が葵の母に止められる。
「あはは、でも本当に好きなんですね。尊敬します」
さらに裕次郎は機嫌を良くする。その夜、葵の両親はわさび料理を作って振舞ってくれた。それだけでなく両親は葵と結城に気を遣って、二人だけにしてくれた。
「すいません、騒がしい家族で」
「いやいや、とても楽しませてもらったよ」
結城は笑いながら言う。やっぱり美味しいな、と舌鼓を打っている。
「あ、ちょっと私お手洗い行ってきますね」
襖が閉まり、部屋に静寂が戻った。その瞬間、糸が切れたように結城の口元の笑みが消える。
結城は周りに誰もいないことを確認して、カバンからビニール袋を取り出す。その中に、料理に添えられているわさびをピンセットで入れた。他の人にバレないように縁側に出て、電話を掛ける。
「遅い」
電話の相手の声は重い。すまん、と結城は言い、サンプルが取れたと伝えた。
「そうか、じゃあ早めに渡してくれ。解析しておく」
「まったく、食べたこともない山瀬のわさびをさも懐かしいフリするのは疲れたよ」
「でもそのお陰で早く会えたろ?」
「まぁな、お前には頭が上がらないよ」
結城が電話を切る。電話の相手は白衣を着て、研究室に向かった。結城も部屋に向かうと、すでに葵は戻っていた。
「どこか行ってたんですか?」
「うん、ちょっとね」
その後は楽しげに食事を終え、暫く談笑した。
「ごめん、そろそろ帰らないと」
「仕事ですか?」
「うん、急ぎの用事があってね。葵さんと泊まれないのが残念だけど」
「何言ってるんですか」
葵は顔を紅潮させた。
「でも、またいつでも遊びに来てください!」
「もちろん、また来るよ」
葵の母はもう帰っちゃうの?と寂しがっていた。葵はちょっと送ってくるからと言い、結城と共に家を出た。家を出ると、ちょうど遠くの方から声が聞こえた。
「葵!」
葵が驚いて振り向くとそこには幼馴染の翔の姿があった。
「お前、結婚するなら先に言っとけよな!……いや、勝手にしろとは思ってたけどさ」
「え、結婚って……まだしないし! ていうか、なんで翔に報告しなきゃいけないのよ」
「え、それはあれだ、やっぱり付き合い長いし…というか村中で話題になってたぞ?」
そんな……と落ち込む葵に結城が話しかける。
「あの、この人は?」
「あ、この人は幼馴染の翔です。村にまだ残ってる幼馴染の一人で」
葵は翔にも結城のことを紹介した。翔は納得いかない顔をしていたが、急いでいたようですぐに自転車で立ち去った。
「すいません、根は悪い人じゃないんですけどね」
「気にしなくていいよ、それに彼の気持ちも少しわかる気がするからね」
葵は首をかしげていた。こうして、初めての実家挨拶は幕を閉じた。
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