第3話 恋に落ちるには十分な日

 そこから暫くはメッセージのやり取りが続いた。そして2週間後、ついに結城の誘いでデートに行くことになった。初めてのデートだったため、葵は桃にメールで相談したが


『頑張ってこい!』という短い返信に、桃の性格がよく表れていた。そのころ桃は、パーティーで仲良くなった男を落とすのに全力を注いでいた。


(相談する相手を間違えたかもしれない……)


 そう心の中で思う葵だったがその口元には笑みがこぼれていた。いつか着ようと思っていた初夏らしいワンピースをクローゼットから取り出し、美容室の予約も入れる。


 そして迎えたデート当日。葵が駅の改札に着くと、すでに結城が待っていた。


「遅れてすいません!」

「いや、僕もさっき来たところだし、まだ五分前だからね」


 そう言って、結城はにこやかにペットボトルを差し出した。


「ミルクティーとココア、どっちの方が好き?」

「あ、じゃあミルクティーで……お金払いますね!」

「いいよ、わざわざ来てくれたんだから! さ、行こうか」


 結城は葵のペースに合わせて歩き出す。歩道ではさりげなく車道側を歩き、エスカレーターでは葵を上に立たせてくれた。


(完璧すぎる……)

 葵はただただ驚きながら、ぎこちなく後を追った。


 2人はランチをした後、カフェに向かった。カフェは白を基調にしたナチュラルな内装で、大きな窓から初夏の光が差し込んでいた。2人はテラス席に座る。


「すごい、こんなオシャレなカフェ来たことないです」

「たまたま知っていてね、葵さんと行きたいと思ってたんだ」

「何もかもリードしていただいてありがとうございます」

「いいんだよ。ありきたりなデートでこちらこそ申し訳ない」

「そんなことないです! とても楽しいです」


 慌てて否定する葵を見て、結城はふっと微笑む。


「本当はね、最初に車で迎えに行こうか迷ったんだけど……葵さん、デート初めてって言ってたから。いきなりだと、警戒されるかなって」


(……すごい)

 結城の対応はいつも一枚上だった。ここまで相手のことを考えて行動できる人がいるなんて。話すたび、結城への好意が膨らんでいくのを葵は感じていた。


 葵は、恋が一番のスパイスだ、という桃の言葉をやっと理解出来た気がした。


「そういえば結城さんってどんなお仕事をされてるんですか?」

「あぁ、そういえば話してなかったね。トリニティ・コレクトは環境をテクノロジーで進化させる事業をしてるんだ。具体的には使わなくなった田畑を機械で一括管理したり、全国のダムの制御システムを連携させて水の運用効率化を図ったりね」


 あまりにスケールの大きな話に、葵は頭が追いつかなかった。でも、ただ一つ、彼が本当にすごい人だということだけは、よくわかった。その後も様々な話題で盛り上がり、二人はカフェを後にした。


(ずっとこの時間が続けばいいのに)

 そんなことを思いながら歩いていると、結城がふいに尋ねた。


「そういえば葵さんは夕食何食べたい?」

「え?」


 突然の問いかけに葵はきょとんとする。戸惑う葵を見て、結城は慌てたように続けた。


「無理なら全然いいんだ。ただ、あそこのお店とかどうかな?」


 結城が指さした先には見るからに高級そうなフレンチレストランがあった。


「嫌なら断ってもらって構わないよ。今日は葵さんと一緒にいられて、それだけで嬉しかったから」


 その優しい言葉に、葵の胸がじんわりと温かくなる。


「あ、あの、嫌じゃないです! むしろ……すごく嬉しいです」

「よかった。じゃあ行こうか」


「結城様ですね」


 お店は予約制だった。前もって予約していた結城はスマートに手続きをこなしている。席についたあと、葵は結城に尋ねた。


「予約してくれてありがとうございます。でも、もし私が断ってたらどうするつもりだったんですか?」


 結城は穏やかに笑う。


「もちろん、キャンセルするつもりだったよ。一応、オーナーに事情を話して、仮で押さえさせてもらってたんだ」


(本当に、すごい人……)

 何度目かわからない尊敬の気持ちが、葵の胸にふくらんだ。


「私、ずっとこの時間が続けばなって思ってました……」


 ふと口をついて出た本音に、葵は慌てて口を押さえる。しかし、そんな彼女に向かって、結城は重ねるようにまっすぐ言った。


「実は僕もずっとそう思ってたんだ。こんなに話してて楽しい人に出会ったのは初めてだよ」


 結城はほんの少しだけ顔を赤らめながら、優しく葵の目を見る。


 窓越しの灯りが彼の頬を照らし、静かに揺れるグラスの中のワインが、まるで時が止まったように感じられた。


(この人となら、きっと)


「葵さん、よかったら僕と付き合ってもらえませんか?」


 葵はもう驚かなかった。葵の中にNOの選択肢はなかった。

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