第2話 運命のパーティーで交わされた約束

 翌日。高級ホテルのエントランスに立った瞬間、葵は思わず息を呑んだ。


「最大限綺麗な格好してきたけど……浮いてないかな」

「大丈夫だって! もーわさびちゃんは心配しすぎ!」


 会場に足を踏み入れると、そこは葵が思っていたより10倍広い空間だった。天井のシャンデリアが、万華鏡のようにきらめいている。その光は煌びやかだったが優しく、葵の肩の力を少しだけ抜いてくれた。


 やがて、京極社長が壇上に現れた。今年で80歳だと言うがその足取りは若々しく、手入れされた白髭を蓄えていた。スピーチは思ったよりも早く終わり、葵が想像していた堅苦しさは微塵もなかった。実際に聞いてみると要点を綺麗にまとめていてとても分かりやすかった。


「本日はお集りいただきありがとうございます。それでは皆様、しばしご歓談を」


 スピーチが終わると、場の空気が一気に砕けたように柔らかくなる。葵は何をすればいいのか分からず、視線を横に向けた。桃はすでに狩りモードに入っていた。まるで獲物を狙うチーターのように、目をギラギラさせている。


 あきれつつ、葵も周囲を見渡してみる。やはり上品にスーツやドレスを身に纏っている人がほとんどだ。中にはつまらなそうにパーティーを見つめている、白衣を着た研究者のような人もいる。


 その中でも一際目立っていた人がいた。整った顔で高級感のあるスーツを完璧に着こなし、ワイングラスを片手に談笑している。たくさんのお嬢様に取り囲まれていて、遠目でも人気が凄いことが分かる。ぼーっと見ていると、桃が話しかけてきた。


「あ、やっぱりわさびちゃんもあの人気になる?」

「うん、凄いオーラだよね……」

「でしょ? あの人、結城耀っていうの。最近勢いづいてるトリニティ・コレクトっていうベンチャーの社長さん!」


 桃はどうやら予習してきたらしく、結城に限らず会場にいるほぼ全ての社長、重役の情報を知っていた。


「ちょっと話しかけてみなよ、チャンスだよ?」

「えぇ……いや無理だよ。囲まれてるし」

「もうそんなんだから彼氏できないんだって! 私も一緒に行ってあげるから!」


 そんな言い争いの最中、柔らかい声が二人の間に差し込んだ。


「少し、お話ししても良いですか?」


 見上げると、結城の顔があった。


「楽しそうにお話しされていたので気になって。ご迷惑でしたか?」

「あの……その……」


 結城が近くに来ており、まさか話しかけられると思っていなかった葵はテンパっていた。すかさず桃がフォローに入る。


「全然迷惑じゃないですよ! むしろ私達も結城さん達の会話に入れてもらおうかって話していたところで!」

「お名前を知っていただけてるんですか。光栄です。改めまして、結城耀と申します」

「ご丁寧にどうも。私は柏木桃です。ほら、わさびちゃんも自己紹介して!」

「わさびちゃん?」

「あ、あの……山瀬葵です。名前の最初と最後を取って“わさび”って呼ばれてて。実家が……わさび農家で」


 葵はどぎまぎしながらもなんとか話した。


「なるほど。葵さんというお名前も素敵ですけど、わさびってユニークですね」


 結城が、くすりと笑った。その仕草だけで、空気がふわっと和らぐ。


「個人的には葵っていう名前の響きが好きなので、僕は葵さんとお呼びしても良いですか?」

「え、あ、もちろんです」


 隣で桃がにまにましている様子が視界に入るが、葵は見なかったことにしてなんとか話を続けようとする。


「お若いのに社長をやられていて凄いですね。尊敬します」

「そんなことないですよ、たまたま運が良かっただけで。最初は二人で始めたんですけど、やっと従業員の数も増えてきたところです」

「たった二人で始められたんですね、すごい!」

「そうそう、実はそのもう1人もここに来てて……あれ? さっきまではいたんだけど。ああ、自由すぎる性格なんです」


 結城が苦笑する。葵もつられて思わず笑ってしまった。


「笑っていただけて良かったです。緊張されているように見えたので」

「あ、お気遣いありがとうございます。おかげで、少しリラックスできました」


(もっとこの人のことを知りたいな……)

 そんな思いがよぎったとき、別の声が遠くからかかる。


「結城君、わが社とのプロジェクトについて少し確認したいことがあって、時間を貰えるかな?」

「結城様、京極様がお呼びです」

「はい、ただいま。プロジェクトの件についてはその後に伺いましょう」


 一度に2人から呼ばれるなんて、葵にはない経験だった。忙しそうに去っていく背中を見送りながら、葵はぽつりと心の中で呟いた。


(やっぱり……住んでる世界が違うんだな)


 浮かれていた自分がばかだったと葵が落ち込んでいると、結城が踵を返した。


「すいません、仕事の人間ばかりなのでどうしても……」

「いえいえそんな! 結城さんとお話しできて嬉しかったです」

「……よければ、またゆっくりお話しできたら嬉しいです」

「え?」

「連絡先、交換していただけますか?」


 まるで映画のワンシーンのような展開に、葵の思考は一瞬フリーズした。

「ここだと忙しくて中々話す時間も取れませんし、もし二人で会えれば嬉しいなと思いまして。急ですいません」

「あ、もちろんです! ありがとうございます」


 葵は結城と連絡先を交換した。


「またどこかで、お話しできたら嬉しいです」

「……はい!」


 連絡先を交換したあとも、葵はしばらくその場から動けなかった。その背中を桃が叩く。


「わさびちゃんすごいじゃん! シンデレラストーリーみたい!」

「そう……だよね、私も信じられないかも」

「よーし、私も目指すぞ玉の輿!」


 やる気を漲らせている桃の横で、葵はただポカンとしたまま。結局パーティーが終わるまで、ご馳走を口にする事は無かった。

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