エビザンス

Hogeko

第1話

 堀田萌和(ほったもえかず)80歳は、株式会社ディグ・ライスフィールズの会長である。月初めの火曜日は午後1時から定例の重役会議が行われていた。今回の議題は、「社外広告のエビザンスについて」であった。

 会社は創立から50年の節目を迎えていた。主力商品は会長が40歳の時に開発した「納丸スーツ(おさまるすーつ)」だった。

 堀田は商品にこだわりがあった。労働者の作業着を改善したいと思っていた。事務員はスーツで仕事をしている。汚れが気になるので、現場に行くときは作業着に着替える。これによって時間の無駄を生じる。さらに服装の違いから誘発される作業員と事務員の壁をなくしたいと思っていた。

 そこで、現場でも事務所でも違和感なく着用できるスーツの開発に着手した。それが「納丸スーツ」。水、油をはじく素材を使用し汚れがつきにくい構造とした。体の屈伸に合わせてスーツが伸び縮みするので、現場での作業も都合が良い。

 スーツの形状なので現場で作業を行った直後に重要得意先と打ち合わせをすることもできる。

 販売直後は、売れ行きは伸びなかったが、作業員たちが徐々に使用しはじめた。火をつけたのは課長格の人たちだった、彼らは現場に行くことが多かった。その都度、スーツの上着を脱いで、作業着の上着を使用することが多い。しかし、納丸スーツを使うことで、この手間が省け時間をムダにすることがなくなった。

 その後、事務員も採用しはじめた。作業着に着替える面倒さをなくしたかったのだ。

 こうして納丸スーツは、ジワジワと売り上げを伸ばし、労働者の定番となった。現在では、事務員も作業員も分け隔てなく、納丸スーツを着用するのが当たり前になっている。

 さて、会議である。

今回のテーマの「エビザンス」だが、会長のお気に入り用語だった。一般的には「エビデンス」と表現する。だが、どこでどう間違ったのか、会長は「エビザンス、エビザンス」と言っている。これを訂正するものは誰もいない。「会長、もしかしてエビデンスの間違いじゃないですか?」なんてことを言ったら大変、逆鱗に触れてしまう。

 ワンマン社長として会社を率いてきた堀田にとって、部下から間違いを指摘されることは我慢ならないことだった。

 しばらく前のこと、会長に諫言をした者が左遷させられるという事件があった。このことが、皆の記憶に強く刻まれている。ささいなことを言って、職を追われるハメになるのは避けたいと思うのが人情だろう。

会社内では「エビデンス」は禁句になった。

会議の決定事項が報道発表された。「エビザンス」の文言が改まることなく、そのままニュースとして流された。

 市民は報道を眼にしたとき、とまどいを感じた。昨日まで「エビデンス」とされていたものが、今日からは「エビザンス」に変わってしまった。テレビを見ても、新聞を読んでもすべて一律である。

 これには訳があった。堀田会長の影響力の大きさである。政財界に絶大な力を持っていた。そのため、マスコミですら、このことを指摘するのをためらった。

この報道以降「エビザンス」が標準の用語となった。


 のちに堀田会長がインタビューに次のように応えている。

 「横文字を使えば有難がるって考えには賛成しないよ。日本人なんだからね。デンスなんて響きは日本語には無い。近い言葉なら上品言葉のザンスでしょ。それとエビも縁起物としていいよね。エビのように腰が曲がるまで達者でいられるのと同じように、長期間に渡って信頼できる根拠を示すってことだよ。だからエビザンスでいいんだ」


(この物語はフィクションです。実在する人物や団体などとは関係ありません)

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エビザンス Hogeko @Hogero

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