第2章「再始動」

第1話「逃」

「お兄! なんで彩星あやせちゃんが声優部に入らなきゃいけないの!?」

「芸能事務所には、芸能事務所なりの考えがあるんだよ」


 男の俺からすれば、おさげヘアーと称するしかできない妹の髪型。

 だけど、彼女女曰くフィッシュボーンと呼ばれるアレンジが施されているとのこと。

 髪型のアレンジにフィッシュボーン……髪と魚の骨になんの関係性があるのか分からないが、今日も妹はダサいおさげヘアーとは一味違う女子中学生らしい髪型をしていた。


「彩星ちゃんに、辞めないでって伝えてー……」


 妹が彩星の卒業に涙している姿を見て、本当は一緒になって泣きたいよとツッコんでしまいそうになる。


「だってー、彩星ちゃんが大人の魔の手に染められちゃうのー」

「彩星は、まだプロでもなんでもないから」

「ううん! 彩星ちゃんは絶対に声優になるよ!」


 GLITTER BELLグリッターベルに加入したばかりの彩星に惚れこんだ妹は、兄である俺の気持ちを最もよく理解してくれている。


「私も、お兄と同じ高校に通いたい……」

「だから、彩星はまだプロじゃない」

「だって彩星ちゃんの声、聞き放題だよ!? 何、その神がった展開!?」


 立花彩星を推す毎日を送ってきた妹にとっては、推しが夢を叶えるために遠くに行ってしまうような感覚が耐えられないはず。

 耐えられないはずだが、妹はテンション高く接してくるから涙を零すことすらできなくなってしまう。


「彩星ちゃんは、声優部のトップに君臨するね。間違いない」

「俺だって、そうであってほしいよ」


 俺と彩星が通っている高校には、声優部と呼ばれる部活が存在している。

 明らかに高校生が使う規模のものでない、プロが使うスタジオ同様の設備を行政が整えてくれた。

 そこまでなら税金の力、すげーとしか思わないのだが、そのあとが問題だった。


「近所から、人気声優が誕生するのかー……」

「だーかーら、彩星はまだプロじゃないって」


 声優志望者の誰もが羨むような設備が完成したはいいのだが、実際の声優部は声優の真似事をする部活動でしかなかった。

 講師を招いての若手育成事業は一切なく、芝居の指導ができる教員が顧問にやってくることもない。

 生徒たちは自ら動いて、自ら声優部の活動を豊かにしていくしかなかった。


「大体、既に俺が活躍していること自体が凄いことだから! 夢はそんな簡単に叶わないんだよ! プロが誕生するって奇跡的なことが、これから何回も訪れるわけがない」

「う~わ~、相方の夢を応援できないお兄、最低!」


 大手芸能事務所のアルコイリス・エンタテインメントは、俳優やモデル・タレントのマネジメント業務を行っている超が付くほどの有名事務所。

 芸能事務所として十分な役割を果たしている大手が、声優のマネジメントを始めることになったという流れ。


「どうせ彩星の成功は、行政が取り組んできたおかげだーとかなんとか言って、ぱっとしないアニメイベントのゲストに呼ばれるんだろうなー……」


 新しく声優マネジメントを始めるにあたって、アルコイリス・エンタテインメントは看板声優が欲しかった。

 そこで目をつけられたのが、声優部が存在する高校に通っている立花彩星たちばなあやせだった。


「お金があればね、夢って叶っちゃうんだよ」


 妹が言っているのは、もっともだと思う。

 高校に声優部のための設備を整えてくれたことは、多くの声優志望者や声優という職業に関心を持つ人たちに希望を与えてくれたとは思う。


「子どもって、どんなに経験を積んだとしても子どものままなんだよ」


 大人たちが子どもの未来を想ってくれているのは事実だが、女性声優ユニットが始動するタイミングで権力ある大人たちが介入してくるなんて本気でありえない。愛がない。


「彩星ちゃんに、俺にはおまえしかいないんだー! って言ってみたら?」


 大手芸能事務所が声優事業を始めると発表があり、所属者のところには彩星の名前があった。

 情報が拡散する速さに驚かされるけど、それだけ彩星が世間の注目を集めるだけの力があったのだと知る機会にもなった。

 GLITTER BELLグリッターベルでの活動は、彩星にとっての黒歴史にならずに済んだらしい。


「もう女性声優ユニットのメンバー募集、始まってんだよ」

「ユニットなんて掛け持ちしちゃえ! 掛け持ち!」

「現役高校生の負担を増やせない」


 残り一年もない高校生活だからこそ、彩星の勉学に負担になるようなことはできない。

 大学に進学しないからって、それは勉学を放り出していい理由にはならない。


「学生時代にしか経験できないこともあるんだよ」

「そうだけどさー……」


 そんな風に心の中では良い子ちゃんらしく言い聞かせていくけど、妹は俺の顔を覗き込んでは溜め息を吐く。


「お兄、暗すぎ」


 朝から、妹が俺に気を遣ってくる。


「お兄も、まだ若いんだよ? いろいろ経験を積んで、自分の道を探せばいいのに」

「作曲家やめろって?」

「お兄が作る曲だからこその価値があるってこと」


 捻くれた兄に対して、難しい言葉を使って兄を励ましてくる妹。

 背中を軽く叩かれ、少し目が覚めたかもしれない。


「中学の頃までは、俺が世界を変えてやるーとか言ってたよ」

「俺の黒歴史に触れないでくれる!?」


 黒い歴史だ、なんて思っていない。

 作詞・作曲家として食べていくっていう夢と巡り合うことができた自分に、後悔という言葉はない。

 でも、ボーカル彩星を失った音楽ユニットが無職になってしまうという現実に変化は起きない。


「とりあえず、高校生らしい高校生活送ってくる!」


 そう宣言して、勢い任せで家を出てしまった。

 高校は徒歩でも通える距離で、まだゆっくりしていられたのに。

 それでも、無職という現実と闘うだけの元気が湧いてこず、俺は妹との戦闘を諦めた。逃げ出した。


「弱っ……」


 何をどうやれば、無職という現実から脱することができるのか。

 見えてこない未来に溜め息を吐きながら、俺は今日も彩星に会いに行く。

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