第4話「ありがとう」

「俺は……やらせでもなんでも、彩星あやせが声優として活躍できるなら協力したい」

郁登いくとくん……」

「でも」


 地元が現役高校声優の彩星に目をつけて、また彩星に地域振興をやらせるって未来が見えてくる。

 地元を活性化させるのは悪いことではないけれど、彩星が所属する女性声優ユニットは小規模な活動で終わってしまう。そんな未来が見えてくる。


「やらせをやる……やらせに加担するってことは、ファンの信頼を裏切るってことだろ」

「裏切らないよ! センターとして、恥じない活動をしてみせる」


 ここで彩星と久しぶりに目を合わせた。

 彼女の瞳は出会ったときと変わらず透き通って見えて、夢を叶えるために今日も純粋な気持ちを向け続けているんだってことが伝わってくる。


「恥じない活動かどうかを決めるのは、彩星じゃない。ファンなんだよ」

「…………うん……わかってるよ」


 声優志望が声優事務所ではなく、芸能事務所に所属を決めたところから怪しい予感はしていた。嫌な予感はしていた。


GLITTER BELLグリッターベルのボーカルを卒業する理由が、声優を目指すためって理由はファンも理解してくれると思う」


 彩星だって、安易に芸能事務所の提案に乗っかったわけじゃないってことは分かってる。

 でも、彩星を慰めるための言葉も、彩星を励ますための言葉も出てこない。


「でも、GLITTER BELLのボーカルを卒業して、アイドル活動を始めるっていうのは……」


 違う。

 そう言葉を続けようと思っていた。

 けれど……。


「…………」


 彩星が、唇を噛み締めながら無機質な床へと視線を下げていた。


(そんなに力みまくってたら、唇から血が出るって……)


 だけど、言ってやらない。

 力を抜け、なんて言ってやらない。

 察してあげる、なんて優しい自分に別れを告げるときは今なのかもしれない。

 拗れてしまった関係に別れを告げるなら、きっと今だ。

 そう思った。

 そう思ったけれど……。


「……アイドル活動やれば、声優としてデビューできるっていう……道筋ができているってことだよな」


 言わなかった。

 言えなかったが、正しいのかもしれない。


「悪い、ごめん、今のなし」


 GLITTER BELLを支え続けてくれた遠峯さんの表情が視界に飛び込む。

 多分、助けを求めれば確実に場に相応しい言葉を挟んでくれる。

 でも、今は、今の時間は、遠峯さんが俺たち二人に話し合いをさせるために与えてくれた時間だ。


「GLITTER BELLでボーカルをやってくれたのに、声優への道を拓いてやれなくて……本当にごめん」

「郁登くん、謝らないで……」


 慌てふためいた様子の彩星が視界に入って、思った。

 俺は彩星にこんな悲しい表情をさせるために、自分の夢に巻き込んだんじゃない。


「俺は彩星の時間を奪ったんだって」


 高校一年から三年になるまでの短い期間の中で、多くのアニメタイアップやゲームタイアップをいただいた。

 その間に、声優志望の彩星をゴリ押しで声優デビューさせる手段はいくらでもあったと思う。


(俺がレコーダー会社の人に掛け合って、それで、それで……)


 たくさんの後悔が浮かび上がってくるけど、今となってはその後悔を解消するための術は残されていない。

 異世界転生なんて人生を歩むことができない限り、人は今を生きていかなければいけないから。


「彩星……今まで、ありがとう」


 あのとき、ああ動いていたら。

 あのとき、こんな風に動いていたら。

 そんな、もしもの話が頭を支配していく。


「立花彩星の夢を支援できるなら、協力する。させてほしい」


 それでも、俺が動こうとしなかったのは……。


「郁登くん……」

「ただし! GLITTER BELL辞めて、アイドル活動始めるっていう、どう考えても過酷な道に進む覚悟を決めたなら……」


 立花彩星には、唄って踊れる声優じゃなくて。


「何かあったら、ちゃんと周りに相談すること」


 声の芝居で、声の表現だけで、人々を魅了する声優になってほしいって思っていたから。


「新しい事務所のマネージャーでも、新しく組むアイドルユニットのメンバーでもいい」


 一時だけ推されるような、そんな稼ぐだけ稼いで潰されるような玩具になってほしくないって思っていたから。


「力になれないかもしれないけど、俺相手でもいいから話してほしい」

「元マネージャーでも、ね」


 遠峯とおみねさんが言葉を挟んでくれると、場の空気が和らぐような感じがする。

 言葉も気持ちも柔らかくなって、ああ、俺もちゃんと言葉を選んで伝えられる人間になりたいなっていう考えまで生まれてくる。


「遠峯さんの言う通り! 一人で抱え込むことだけはするなよって話」


 感情任せに言葉を吐き出してもいい年齢だとは思う。

 思うけれど、俺だって彩星だって、もうプロとして仕事をさせてもらっている身。

 感情に流されるままの人生ではいられないってことを、遠峯さんは教えてくれる。


「……ありがとう、郁登くん」


 彩星から零れる『ありがとう』の五文字に、妙な照れが生まれてくる。

 お礼を言われるような人生を彼女に贈ることができたかって言えば否定したくなるのに、彩星から溢れてくる言葉は俺の人生を肯定してくれる。


「遠峯さん、アイドルプロデュースの件で打ち合わせ……スケジュール関連の調整、お願いします。学校のスケジュールは後で送ります」

「え、郁登くん! 帰っちゃうの!?」


 学校を出るときに見えていた夕陽が、もうとっくに沈む時間に突入していたことに気づかされる。

 事務所に差し込んでくる光の存在がなくなってしまったからこそ、未来を明るくするために行動したいと自分の身体が意気込んだのかもしれない。


「帰って、曲書く。卒業ライブは適当に」

「適当なの!?」


 立花彩星の卒業ライブを適当に済ませるわけがないのに、彩星は大慌てで俺を引き留めにかかる。

 こんなやりとりも最後だって本来ならしんみりするはずなのに、今日に限ってはそれがない。


「んなわけないだろ」


 彩星は、彩星で抱えているものがある。

 実現させたい夢を抱えている人は、たくさんの荷物を抱えているはずだから。

 自分は彩星の荷物を分けてもらえる人間に値しなかったから、未来の自分を変えるために動かなきゃいけない。


(彩星との関係が続くとか……)



 誰が想像していた?

 誰かは知っていたんじゃないか?

 周囲への疑心暗鬼のようなものが生まれてくるが、俺が追求したいのはそういうことじゃない。

 俺が今後の人生で追求していきたいのは、音楽のクオリティを上げていくためにはどうしたらいいかということ。

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