残業の日



「よ。色男。メシ行こうぜ?」


「……。」



 同僚の敬太が声をかけてきたのは、今朝急に飛び込んできた仕事にひと段落付けた、そんな昼過ぎのことだった。

 

 コイツのノリが妙に軽いのは、今に始まったことじゃない。だけど、イチイチ声がでかいのは勘弁してほしい。特に、今日みたいな忙しい日は。



 ……正直、イラッと来るから。



「……誰が色男だって?」


「お前以外の誰がいるよ?」


「心外な。」



 とはいえ……まぁ。コイツが五月蝿うるさいのはいつものことだ。気にするだけ無駄か。


 

「……じゃ、メシ行くか。」


「おぅ!」



 とりあえず敬太と二人、いつもどおりに食堂へ向かう。


 ちなみに今日の日替りランチは、何故かチャーハンに “カレー” をぶっかけたという衝撃的な一品だった。あと、なぜか味噌汁も付く。


 どこまでも前衛的で、どこまでも茶色いけど……。この食堂では当たりメニューだろう。不味くなり得ないからな。



「ところでさぁ……。」



 そんな、チャーハンだかカレーだかよく分からない昼食を一口食べた所で、敬太が口を開いた。



「お前、彼女できたろ?」


「はぁ?」



 ……何をどう勘違いしたら、コイツの脳ミソはそんな勘違いに至ったのか?


 あまりに理解不能すぎて思わずフリーズしてしまったのだけど。そんな俺に構うことなく敬太は話を続ける。



「総務の姉さん達が噂してたぞ?『なんか最近、幡豆くんシャキッとしてない?』『ほら。夕方になると時計見ながらソワソワしてる〜♪』って。」


「……。」



 ……そんな自覚、全くなかったんだけど。どうも傍から見た俺は、そんな風に見えていたらしい。不覚。

 

 

「何でそんな話になってるのか知らないけど。俺に彼女なんていないぞ?」



 とりあえず「彼女なんていない」という点だけは、誠に残念ながら事実なので。そこは一応、否定しておくことにする。


 ……が、そんな俺の言葉なんて聞いているのかいないのか。敬太はさらに続ける。



「俺から見てもさ?ここ数日の幡豆って、少し丸くなった印象なんだよな……あ、丸くなったっても、顔とか腹回りの話じゃないぞ?雰囲気が、な。」


「……そうか?」



 何だか落ち着かなくて、チャーハンなのかカレーなのかをもう一口。



 ……うん。


 何か悔しいけど。

 皿の上、どこまでも茶色いけど。


 美味いわ。これ。



「お前さ。特に今日みたいに忙しくなると、ドライって言うか、殺伐してるって言うか、声かけづらいイメージあるんだよな。」


「そうかもな。」



 ……残念ながら、その自覚はある。というか、お酒の席で上司にハッキリ言われた。


 どうも仕事中の俺は “話しかけるなオーラ” 出してるらしい。そんなつもり、全くないんだけどなぁ……。



「ところが、だ。そんなお前がだよ?ここ数日、何だか柔和な表情してるわけ。それはどういうことよ?」


「……。」


「しかも関係者の証言によれば、最近ちょっと早めに残業切り上げて帰っていると。そりゃ噂にもなるわな。」


「……。」



 普段、俺より遅くまで残ってるのは、隣のグループの小和田こわだ大嵐おおぞれしかいない。


 従ってその『関係者』とやらは、二人のうちのどちらか、もしくは両方だ。アイツらめ……。




 ……でもさ。




「お前ならわかってるだろ?まだちょっと……無理かな。俺は。」


「そうか。」



 スプーンを置きながら、敬太は少しトーンを落として応じた。――そう。敬太はちゃんと知っている。


 俺のトラウマ。

 酔いつぶれるまで飲んだ、その原因。



「……そろそろ戻るか。」


「ああ。」



 そして二人、どちらともなく。

 空になった皿を持って、席を立つ。


 午後からも仕事が山積みなのだから、早めに帰って準備しないといけないし。



 ……というか、マジで仕事が溜まってるんだよなぁ。


 だからノンビリしてるヒマはない。下手をすると、今日は終電ギリギリまで残業かもしれない……。



「……。」



 ……ふと。



 脳裏に、高森の笑顔が浮かんだ。

 彼女は今日も、駐輪場にいるんだろうか?



「……ん。」



 ブンブンと首を振って、そんな思考を振り払う。ともかく優先すべきは仕事だ。


 そんな俺の様子を、追いついてきた敬太が怪訝そうに見ていたけど。気づかないふりをしつつ、俺は職場へ戻った。





 ……そして。





 結局、何だか仕事が片付かなくて。


 この日は本当に深夜まで残業、帰りは久々に終電となった。



 いつもの駐輪場に着いたとき、

 そこに高森の姿はなかった。


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