第8章 対峙

1話 眠れる異形

乾いた風が、森の奥から吹き抜けた。


哨戒任務の帰路。

セリオスはふと足を止めた。


風が止み、葉擦れもない。

耳を澄ませば、あまりに静かだった。


(……動物の気配がない)


木々の間に沈むような沈黙。

その不自然さに、彼の意識は警戒へと切り替わる。


(報告にない、新たな崩壊域か)


風の匂いが変わっている。

わずかだが、精神干渉の揺らぎを感じる。

崩壊域特有の“澱み”だ。


森の奥へと慎重に歩を進める。


数十メートル先、視界が開けた。


そこには、奇妙な光景が広がっていた。


粗末な石を並べただけの小さな祭壇。

白布の装束を纏った者たちが、静かに円を組んでいる。

顔も姿も隠したその集団――エクロールだった。


セリオスは眉を寄せる。

彼らは、多くの報告が上がっている“祈りの民”だ。

異形を“鎮め”、神へと祈りを届けるという独自の儀式を持つ。


その場に漂う空気は、儀式の直後を思わせた。

供物は捧げられ、祈りは終わったばかりなのだろう。


そのとき、白布の一人が彼に気づいた。


「足を止めてください。この地は、神の祈りの場です」


「……祈り、か」


敵意はない。

だが、警戒の空気がわずかに張り詰める。


「我らはエクロール。

崩壊を鎮めるため、“奉納”の儀を終えたばかりです」


「奉納……異形に?」


「ええ。怒れる異形に供物を捧げ、鎮めました。

今では、跡形もなく消えています」


セリオスは静かに、首を横に振った。


「違う。……消えたんじゃない。眠ってるだけだ」


エクロールたちが一瞬だけ動きを止める。

だが、強く否定する者はいない。


「その言葉は、何度も耳にしました」

「以前にも適応者たちとお会いしましたが、我らの信仰を否定しに来ただけでした」


「お前たちにも信仰があるのはわかっている。だが……」


セリオスは一歩、祭壇から視線を外す。

この空気。この静けさ。

異形は、ただ静かに息を潜めているだけだ。


「……それでも、いずれまた目を覚ます」


言葉には熱はない。だが確かな実感があった。


「祈りだけでは、世界は救えない」

「討たなければならないんだ。……俺たち適応者の手で」


「俺が討つ。……見ていろ」


静かに背を向ける。

その背に、数名の白布の者が視線を向け続けていた。


誰も言葉を返さなかった。

だが、その無言こそが、“何かが変わり始めた”証だった。


「いいでしょう。今までの適応者の方たちはただ否定するだけでした」

「だが、あなたは違うようだ。見せてください、あなたの、適応者たちのやり方を」


セリオスはうなずくこともせず、奥地へと踏み込んでいった。

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