第4話 校門前、ふたりだけの朝

朝の模試が終わり、解放感と共に教室を出た。結果はまずまずといったところだろう。廊下に出ると、窓から差し込む夕陽が床を赤く染めていた。


「颯太」


振り向くと、玲衣が立っていた。昨日から続く冷たい態度とは違い、少し柔らかな表情をしている。


「今から帰る?」


「ああ、うん」


「一緒に帰らない?」


思いがけない誘いに、一瞬言葉に詰まる。


「いいけど……委員会は?」


「今日はないの」


そう言って玲衣は廊下を歩き始めた。僕もそれに続く。


二人で歩くのは久しぶりだった。以前なら当たり前のように一緒に帰っていたのに、最近はすれ違いが多かった。それは父の再婚前から、少しずつ始まっていたことだった。


「模試、どうだった?」


「まあまあかな。玲衣は?」


「普通」


彼女の「普通」は、ほとんどの場合トップ10入りを意味する。


階段を下りながら、昨日のことを思い出す。新しい家族のことを玲衣に言わなかったこと。彼女の冷たい態度。そして昨夜の紗耶との奇妙な一夜。


「あのさ」


「なに?」


「昨日は、ごめん」


玲衣は足を止め、振り向いた。その目には少し驚きの色が浮かんでいる。


「何が?」


「家族のこと、言わなかったの」


玲衣は一瞬黙り、それから小さくため息をついた。


「いいわよ、別に」


その言葉とは裏腹に、少し寂しげな表情が見える。


「ただ、びっくりしただけ。颯太が何か隠してるなんて、初めてだったから」


その言葉に、胸が締め付けられる感覚。確かに、幼い頃から何でも話してきた間柄だった。どんな些細なことでも、玲衣には話していた。母が亡くなった時も、一番に支えてくれたのは彼女だった。


「隠してたわけじゃなくて……」


「じゃあ、なに?」


言葉に詰まる。なぜ言えなかったのか。自分でもはっきりとした理由はわからない。


「言いづらかったんだ」


「どうして?」


「どうしてって……」


玲衣の鋭い視線に、目を逸らす。窓の外、グラウンドでは部活動が始まっていた。


「恥ずかしかった?」


「違う」


「じゃあ、何?」


「わからないんだよ」


正直に答えると、玲衣は首を傾げた。


「わからないって……」


「ただ、なんか……言いづらかった」


玲衣は黙って僕を見つめていた。その目は何かを見透かすように感じられた。


「でも、双子の妹さんたち、かわいいわね」


突然の話題転換に、戸惑う。


「え? ああ、うん」


「どっちが好み?」


「は?」


「冗談よ」


玲衣は小さく笑った。久しぶりに見る彼女の笑顔。それだけで、昨日からの重苦しい空気が少し軽くなった気がした。


「颯太は、変わったわね」


「どう?」


「なんだか、大人っぽくなった」


その言葉の意味を考える。確かに、この一ヶ月で色々なことがあった。両親の再婚、新しい家族との生活。それは僕を少しだけ変えたのかもしれない。


「そう?」


「うん」


玲衣はそれ以上何も言わず、再び歩き始めた。僕もそれに続く。


校門に近づくと、人影が見えた。菜々だ。制服姿で、校門の前でスマホをいじっていた。


「あ、颯太兄ちゃん!」


僕に気づくと、菜々は手を振った。その姿に、玲衣が足を止める。


「妹さん?」


「ああ、菜々だ。どうしたんだろう」


菜々は笑顔で駆け寄ってきた。


「終わったー?」


「ああ。でも、お前どうしたの? 今日は紗耶さんが迎えに来るんじゃなかったの?」


「姉ちゃん、バイト入っちゃって。だから一人で来た!」


「そっか」


菜々の視線が玲衣に向けられた。


「あ、昨日の! 白石さん、だっけ?」


「白石玲衣よ」


「よろしくね! 颯太兄ちゃんの彼女?」


唐突な質問に、二人とも声を詰まらせた。


「違うよ!」


「違うわ」


同時に否定する二人。菜々は不思議そうな顔をした。


「えー、でも幼馴染なんでしょ? 里奈が言ってた」


「そうだけど、別に……」


言葉を濁す僕を見て、玲衣が小さくため息をついた。


「ただの幼馴染よ。それ以上でも以下でもない」


その言葉に、なぜか少し寂しさを感じる。


「そっかー」


菜々は少し残念そうな顔をした。それから急に明るい表情に戻り、僕の腕を掴んだ。


「じゃあ、一緒に帰ろ!」


その仕草に、一瞬戸惑う。そして玲衣の方を見ると、彼女は無表情で立っていた。


「玲衣も一緒に帰るよね?」


僕の問いに、玲衣は首を傾げた。


「いいの?」


「当たり前じゃん」


その言葉に、玲衣の表情が少し柔らかくなった。


「じゃあ、お邪魔するわ」


三人で歩き始める。菜々が真ん中で活発に話し、僕と玲衣はそれを聞いている。玲衣はときどき微笑んでいたが、何か考え事をしているようにも見えた。


校門を出て、坂を下り始めた時、菜々の携帯が鳴った。


「あ、里奈だ」


菜々は電話に出た。しばらく会話した後、申し訳なさそうな顔で僕たちを見た。


「ごめん、里奈が具合悪いんだって。保健室にいるから迎えに行かなきゃ」


「大丈夫? 俺も行くよ」


「ううん、大丈夫! 里奈が『兄さんには言わないで』って」


その言葉に、少し心配になる。でも、里奈の性格を考えると、あまり構われたくないのかもしれない。


「わかった。でも大丈夫そうだったら連絡して」


「うん! じゃあね!」


菜々は小走りで中学棟方向へ戻っていった。その姿が見えなくなると、僕と玲衣が二人きりになった。


「心配なの?」


玲衣の問いに、頷く。


「里奈、昨日から少し様子がおかしかったんだ」


「そう」


再び二人で歩き始める。以前なら何も気にならなかった沈黙が、今は妙に重く感じられた。


「家族、増えて大変?」


唐突な質問に、考える。


「大変……というか、慣れないことが多い」


「例えば?」


「例えば……」


思わず昨夜のことが頭に浮かぶ。紗耶がベッドで眠った姿。それは口に出せない。


「色々」


曖昧な答えに、玲衣は首を傾げた。


「隠し事?」


「違うよ」


「そう」


短い返事の後、また沈黙が訪れる。坂道を下りながら、何か話題を探そうとする。でも、思いつかない。以前は何でも話せたのに、今は言葉が出てこない。


「あのさ」


「なに?」


「明日、時間ある?」


玲衣の問いに、少し驚く。


「ある、けど」


「図書館で勉強しない? 模試の復習」


その誘いに、少し考える。確かに、模試の復習はしたほうがいい。それに、玲衣と二人きりで勉強するのは久しぶりだった。


「いいよ」


「じゃあ、十時に駅前で」


「わかった」


交差点に差し掛かると、玲衣は立ち止まった。ここから彼女の家は別方向だ。


「じゃあ、また明日」


「うん」


玲衣が歩き始める。その後ろ姿を見送りながら、何か言うべきか迷う。


「玲衣」


呼びかけると、彼女は振り向いた。


「なに?」


「ありがとう」


「何が?」


「いや、なんとなく」


玲衣は不思議そうな顔をしたが、小さく微笑んだ。


「バカね」


そう言って、玲衣は歩き去った。その背中を見送りながら、少し胸が軽くなった気がした。


家に向かって歩き始める。空を見上げると、夕暮れが広がっていた。新しい家族との生活。玲衣との関係。全てが少しずつ変わっていく。


そんな中で、僕はどうすればいいのだろう。答えはまだ見つからないけれど、一歩ずつ前に進むしかない。


明日、玲衣と会うこと。それだけが、今の僕の小さな楽しみだった。

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