たった一つの願い事

浅霧紲

本文

 おれには、とても大切な人がいる。

 その人は、強がりばかりでなかなか弱音を吐けない人。

 少しつつけば壊れてしまいそうなほど脆いのに、人に頼ることのできない人。

 下記に語るはその人の人生の一部。




 人生の転機、それはもしかしたら物心つく前に起きていた母の離婚だったのかもしれない。

 言い出したらキリのないことだろうから、そこを起点として物語を始めよう。


 その少女は、姉と兄が一人ずついる、三兄弟の末っ子だった。

 彼女はそれはもうわがまま放題の甘えん坊。

 それが許される家庭環境であったこともあり、嫌なことがあれば泣き喚き、なんとしても自分の思い通りに事が進まないと癇癪を起こすのだった。

 そんな彼女の両親は、表向きは仲が良かったように思える。

 しかし、少女の知らない父親の何かに、母親は限界だったのだろう。

 少女がまだそれを理解できない年齢の頃、両親は離婚してしまった。

 姉と兄は父親、それとも友達を選んだのだろうか。

 母に着いていくと言ったのは少女だけだったという。


 少女を連れて家を出た母親は、それからしばらくして、今でいうところの出会い系○○というのが近いだろうか。

 それを使ってある男と出会った。

 両親の反対を押し切り、駆け落ちのようにその男と結婚をし、男は少女の父親になった。


 新しい父親は、所謂イケメンというやつだったかもしれない。

 今では考えられないようなことをへいきでしでかす刑事ドラマに出ていた俳優に、どこか似た顔をしていた。

 体を鍛えるのが好きで、細身な身体にはしっかりとした筋肉がついていて、少女はその腕に掴まってブランコのように遊ぶのが大好きだった。


 両親の離婚と再婚、そして大好きだった姉と兄の代わりのようにできた二人の兄。

 人によっては受け入れ難いことかもしれない。

 しかし、少女はそれを幸せなことと受け入れた。


 時は流れて少女が小学四年生になった時のことだった。

 少女の幸せは、一気に崩壊する。


 異性の体に興味を持ち始めた二人の兄。

 家に親しい、それでいて“家族ではない”女子がいる。


「プロレスごっこしようぜ」


 3歳年上の兄は、そう言って少女をベッドに誘った。

 少女はなんの疑いもなく、生来の負けず嫌いを発揮して兄の体を押さえつける。


「ここを触られたら、動けなくなるんだよ」

「え、でも、まだ動けるのに」

「そういうルールなの」


 兄は少女の足の間に手を伸ばし、服の上からそこを何度も撫でた。

 少女はそういうルールなら仕方ない、と動きを止める。

 兄の手は次第に少女の服の中へ、そして素肌に熱を持って触れ始めた。


 おっと、これ以上は若い子には刺激が強すぎるだろうか。


 まあ、そんな感じのことが何度か続き、少女の花は散ることになる。

 それが、何かなんて少女は知らなかった。


 それから少しして、5歳年上の兄が少女を昼寝に誘った。

 そちらは少し気難しそうな性格をしていて、積極的に話す方ではなかったので、少女は話しかけてもらえたことが何よりも嬉しかった。

 兄と同じ布団に入り、少女が目を閉じたところ、兄は何やらもぞもぞと布団に潜り込み、少女のズボンに手をかけた。

 そして、抵抗がないと見るやゆっくりと脱がせて、少女の足の間に顔を埋めた。


 これまた刺激が強すぎるだろうから割愛する。


 とまあ、そんなことが続いたある日、少女はふと考えた。


「次はお父さんかなあ」


 なんの気なしに考えたことではあった。

 それが現実となることを望んでいたわけではなかった。


 少女は、父親に“愛”を教え込まれた。

 無垢であった少女は、それを“愛”だと信じて疑わなかった。


 次第に、それが異常なことだと気付き始めても、もう時既に遅し。


 少女の体がいずれ成熟しても、その行為は止まらない。

 まるで恋人にするかのように、父親は少女を愛することをやめなかった。

 少女は、失うことと、瞳の奥の闇に恐怖するあまり、父親の“愛”を受け入れてしまった。


 しかし、少女も年頃になれば恋をする。

 相手は隣の席の眼鏡をかけた、成績優秀な男の子。

 少女は、淡い初恋を胸に抱くと。


 父親を憎むようになった。


 それからのことを少女は語ろうとしない。

 いや、語れない、と言った方が正しいだろうか。

 少女はそれまで“愛していた”父親への憎しみを抱いたことがきっかけとなり、強いストレスから度々記憶を失ってしまうようになった。


 そんな少女も、時が経てば大人へと変わる。

 大人になった彼女は、とあるところへと相談した。

 “そういう”被害を受けた女性が駆け込むところである。

 憎くて仕方が無いのに、嫌いになれない。

 その矛盾したような気持ちが耐えられなかった彼女は、相談員に全てを打ち明けた。


「好きならいいじゃないですか。嫌いな相手にされたわけじゃないでしょう? それならあなたは被害を受けたわけではないのでは?」


 何を言われたのか、彼女は理解するのに時間がかかった。

 捻くれ者で皮肉屋で、とても優しい性格とは言えない彼女だったが、根は真面目で素直なまま大人になっていた。

 彼女は、相談員の言葉をそのまま受け入れて、そして。


「私も、お父さんのことが、好き」


 言ってしまった言葉はもう、戻らない。

 それからも、彼女は父親と“愛し合った”。


 成長して、色々なことを覚えて、そしてとんでもない結末を迎えた後。

 彼女は大粒の涙を流しながら、後に夫となる男性に告げた。


「私が間違ってたんだよね。そうだよ、だって私は、お父さんに好きだって言ったんだもん」


 そう言って泣きじゃくって、それでも。


「……本当に、私が、悪かったのかなぁ?」


 疑問を持たずにいられず、彼女が少し冷めた声で言ったのは、ついに決意して被害届を出した後、父親が意味深な言葉を残してこの世を去ったと知った、その晩のことだった。




 と、まあ、こんな悲惨な人生だったのだ。

 守ってやりたいと思えないで、何が男だ、と。

 だけど、彼女が選んだのはおれではない。

 頼りなさげで、言ってしまえばかなりドジ。

 悩みを言えと言うくせに、それを話せば自分が苦しんでしまうような、そんな男。


 だけどまあ、いいよ。


 あの人がお前を選んだなら仕方ない。

 現実に存在し得ないおれでは、彼女を守れないから。


 だから。



 後は任せるよ、政景。

 おれの代わりに、彼女を幸せにしてやってくれ。

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たった一つの願い事 浅霧紲 @lycos_311

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