第7話 傍観の女騎士⑥

噂とは時に羽を持つ渡り鳥よりも足が速い――イブキが指揮の任を外れたことは王国軍の勇者たちや他関係者の間でも周知されるようになってきていたが、それを公の場で話す人間は全くと言ってよいほどいなかった。


何故なら――彼女を指揮の任から外すよう命じたのがあの『残虐卿』という異名まで囁かれるほど恐れられているブリオ・アルガスタスであるからだ。七公と呼ばれる王国の大公の中でも最古参——年の近かったジーク・ファン・レオンが死去した今、七公最大の重鎮となった彼のことを表で話し、万が一にも”彼に否定的なことを話した”と受け止められようものならただ事では済まない。


そしてブリオ・アルガスタス――凶暴で老獪な策略家が、指揮官の座からイブキを降ろした。それはイブキがブリオに”目をつけられた”ことの証明でもある。いつの時代も弱者が権威を持つ存在に目をつけられた時、それを囲む者達の反応も自ずと権威にすり寄るようになり――弱者は輪から排斥される。


それを象徴するようなイベントが、今日王都にて行われていた。

王都メルシージャの勇者の総本山、大聖堂エイクリス――そこで行われていたのは第四辺境地イビタスを守り抜いた王国の勇者たちの表彰であった。


「——イバン・テルーズ。イビタスを類まれな指揮能力で守り抜いた功績は二級王国勲章に値する」


一時は魔王軍に占領される寸前まで陥ったイビタスは、双子勇者ジェンとオルス、第三辺境地キーワからの援軍や王都より派遣された飛行船による反撃により再奪還に成功。さらには魔王軍に大きな深手を負わせ敗走させるに至った。その功績により双子勇者や、各飛行船の船長らにも勲章が授与される中、最後に最大の誉を受けたのは”指揮官の”イバン・テルーズであった。


王国軍総指揮官——元帥コーラットより授与された勲章を胸に付け、さも満足げに敬礼をするイバン。不敵な顔を一層大胆に歪め、己を飾る勲章にさらなる輝きが加わったことを噛みしめる不遜の若人。

そしてその横には――カエルのように平べったい笑みを満足げに浮かべる杖つきのブリオ・アルガスタスもいた。


イバンに勲章を授けた元帥コーラット――軍の最高責任者たる彼もまたブリオに好意的な感情を持つ者の一人。それもそのはず三年前に行われた七公による元帥を決める選挙にて、三対三に分かれた決選投票の最後の一票をコーラットに投じたのはブリオだったからだ。元よりブリオの熱心なファンであったコーラットがこの一件を機に、完全なブリオの『信者』になったと裏で囁かれているのもまた事実である。


するとコーラットは横のイバンを満足げに眺めるブリオに言った。


「彼の抜擢はアルガスタス卿の御推薦と聞いております。いやはや――閣下の慧眼には恐れ入ります」


「フッフッフ⋯⋯まあイバンの力なら驚くことでもない。それに、僕のやることに間違いなんてものはないからねえ」


イバンを推薦したのはブリオ――即ちイバンの後ろ盾であるブリオも同様に誉を受けるのが勇者の世界の習わしだ。魔界の思わぬ快進撃を止めた、その立役者を見出したとなればイバン、ブリオ両名への賛辞が高まるのも自明の理。


「彼は若い⋯⋯いずれ英傑への抜擢もあるでしょう」


コーラットもイバンを気に入ったようで彼の肩にポンと手を置く。


「期待しているぞ」


「万事お任せを⋯⋯このイバンに失敗はありません」


それを大聖堂の片隅で――感情の無い眼差しで見送る一人の女騎士。

まるで”腫れ物に近づきたくない”かのように彼女の周りだけ不自然に空いた空間。アルガスタス卿の毒牙にかかったと噂される女に周りの反応は残酷だった。そんなイブキは勲章の授与と同時に沸き立つ万雷の拍手にも、全く力感のこもっていない手でポンポンと手を動かすだけ。『目の前で誉をかっさらわれた』ことに対して怒る段階はとうに過ぎ、今はただ虚無の心境であった。


双子勇者の抜擢——飛行船の手配に、兵をどう動かすかの詳細な指揮と攻めるタイミングの指示まで全て部下のグエルに伝えたのはイブキだ。きっとイバンはグエルの言う通りにしただけであろう。そうすれば後は将が寝ていたとしてもこの結果は概ね完成する。


本音は勲章授与式も欠席したかった――だが、誉あるこの席を拒否するはイバンへの敵意を公然と認めるも同じ。今の状況下——ファン・レオン家の立て直しなど、自身を取り巻く状況が不安定極まりない中で自ら敵を増やす判断をするのがいかに愚かであるかをイブキは分かっている。だからこそ、肝を握られるような屈辱を胸に抱きながらも彼女は今日この場へ姿を現したのだ。


―—ふざけるな、という己の本音を押し殺して。


願うならもう金輪際私から何も奪うな。誉はもう十分に手にしただろう――私を踏み台にして得られるようなものは全て手に入れたはずだ。ならばもう私に関わるな――そんな思いが端正な顔の奥に秘める烈火の如き怒りとして表情に出ていたかは彼女自身には分からなかった。


そうして式は終わり、彼女は場を後にしようとした――


――のを突然、濁ったブリオの声が止めた。


「⋯⋯後にと言わず、今英傑になるのもいいんじゃないかい? イバンをここで英傑と認めてしまってもいいんじゃないかと僕は思うねえ。いずれ英傑になるのなら出来るだけ早く決めてしまった方がいい」


ニマニマと笑みが浮かぶブリオから放たれた突拍子もない言葉。


それはその場の空気を凍らせるように止めた。


ここでイバンを英傑にする――それは”勇者のルール”を知っているのなら絶対に起こりえるはずがないことを七公であるブリオが知らないはずがないからだ。


流石の親ブリオ派のコーラットも困惑げに返す。


「しかし⋯⋯英傑第一位から第十位まで全ての席が埋まっております。代々英傑は空位となった席に新たな若手ルーキーが入ることで席を埋めておりますので、今ここでイバンを英傑とするのは⋯⋯」


だが、その言葉にフフンと鼻を鳴らしたのはブリオである。

まるで稚児の稚拙な言葉に呆れるかのように杖をトントンと叩くと肩をすくめる。


「そういう”しきたり”があることは僕も知ってるさ。だが、千年以上続く王国の歴史にも転換点があってもいいと僕は思うんだよねえ。実力ある勇者が英傑の座を奪うことこそ本来あるべき競争じゃないのかい?」


「それはそうかもしれませんが⋯⋯」と力なさげに返すコーラット。浅黒い肌に汗が浮かんでいる様子は対峙するからこそ分かる、アルガスタス卿の独特な『圧』を感じているのかもしれない。しかしそれでも言葉を返した。


「⋯⋯ですが英傑の任命は全勇者の内の三分の二と、四名以上の七公による連名の血判——さらに王国全土の自治地区首領たちの賛成も必要になります。何故なら英傑とは独断で勇者たちへ命令を下す権利と、軍の指揮権を持つことを許された『将軍』の立場であり、故に英傑を選ぶには大変に厳正な審査を⋯⋯」


「ああやだねえやだねえ!! もし英傑が魔王軍に殺されて新たな英傑を選ばなきゃいけない――そんな非常時が起きた時に、やれ選挙だ賛成だとノロノロと動いていたら王国が滅びてしまうじゃないか。僕はずっと前からそのルールを変えるべきだと思っていたんだよ」


「し、しかし⋯⋯仮に彼を英傑にするとして、代わりに誰を外すのですか? 現在の英傑は全員が信任を得て実績もある陣容⋯⋯代々英傑は己が力の衰えを認め引退、もしくは『戦死』以外では席を譲っておりません」


「そんなの決まってるじゃないか⋯⋯いるだろう? そこに”席を譲るべき英傑”がねえ」


杖である場所を指すブリオ――


杖が指す先に場の全員の目が注がれる――


――イブキに。


するとブリオは大げさなほどに芝居がかって天を仰ぐと、嘆く様に頭を振りながら言った。


「可哀想に⋯⋯勇者イシュアはそこの無能な指揮官の指示で命を奪われたんだ。勇者が魔王軍との戦いで命を奪われたのは八年ぶり、それもイシュアは将来の英傑候補の一人でもあったらしいじゃないか!! そんな優秀な勇者を失わせた責任を負って、イブキ・フィニータスを英傑から除名すべきじゃないのかね!!」


それはブリオにとって勝利宣言のようなものだったのだろう。

ジークを失い、後ろ盾の揺らいだイブキがブリオに楯突くことなど出来ない。そしてイバンの功績を”仕立て上げた”タイミングでイブキを吊るし上げて、あわよくば英傑から除名、仮にそれが叶わなくとも今後の活動に支障が出る程度にはイブキの評判を傷つけられる。そうしてイブキもろともファン・レオン家を消す。それが狙い。


目を見開き口角を天に届くかとばかりに吊り上げて嗤うブリオと、その横でブリオにベッタリと身を委ねて偽りの名誉を誇るイバンが見えた。


―—イブキは、怒らなかった。


怒る段階はとうに過ぎている。


虚無の段階も、今過ぎた。


――敵はこんなにも多いのか。


身内——マテウスだけではない。

目の前の敵すらこれほどに多いのか。


イブキは内心、そう呟いた。


「⋯⋯閣下」


イブキは口を開いた。


「イシュアの死は私の不徳の致すところ。弁解の余地はございません」


認めよう。


イシュアの死は自分のせいだと。


自分がもっとしっかりしていれば彼は死なずに済んだ。

それは紛れもない事実なのだから。


ただし――


「⋯⋯しかし、閣下。それでも一つ申し開きをしなければなりません」


この気持ちに嘘は付けない。


認めよう。イシュアの死は自分の責任だと。自分が”イバンのような無能”にイシュアの命運を託すような真似を許さなければ、彼が死ぬようなことはなかったと。


「私は⋯⋯」


青髪は逆立つのが分かる。

体に眠っていた血潮が熱く滾る。


「閣下の推薦する無能より⋯⋯遥かに有能です」


イブキは——


「イバン程度の男に誇り高き英傑の座は譲れません!!」


どうしようもなく激怒していた。

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