第6話 傍観の女騎士⑤
グリムンド城——マーケットのある城の敷地と違い、”城の内部”に入るには城の出入りが認められた王家の認める貴族三人以上による推薦状、もしくは七公のいずれかによる推薦状が必要となるため、入るためのハードルは一層高くなる。
だが、イブキはファン・レオン家の加護を持つ者。加えて王国が認める英傑である。「推薦状を見せよ!」と高圧的に迫る守衛に顔を見せ、「申し訳ございません!」のセリフを聞くいつもの流れでイブキに入城の許可が下りた。
グリムンド城内部——まるで迷路のように入り組んだ城は、地図があっても迷うと囁かれるほどであり、新人の使用人が迷子になるのは風物詩とも言われる。それもそのはず、古代の魔法がかけられた城は時間によって通路や部屋が消えたり現れたりするピーキーなじゃじゃ馬であり、特に『夜』は未だに誰も全容を掴めていないとすら言われるほど道が頻繁に消失する。
それは城の防衛のための仕様とされており、不思議なことに王族だけは道に迷うことなく城を行き来できるのである程度”防衛”は機能しているのだろう。しかし命がけの仕様に付き合わされる者達にはたまったものではなく、興味本位で夜間に城を出歩いたメイドが白骨死体になって見つかったというホラーな話まであるくらいだ。
なので夜間に城で働く者は、王族の近くを片時も離れずにいるしか身を守る術はない。さもなくば『城に』殺されてしまう――なお、城のこの仕様は城で働く者以外には極秘とされているため、稀に城の秘密を知らない野蛮な盗賊が宝目当てに夜の城に愚かにも入り込み、入った数秒後に賊の断末魔が城に響き渡るというのも年に数回はあるらしい――とイブキは聞いた事があった。
しかし今は朝の時間帯。夜行性のグリムンド城も朝は眠たいのか、最も城内部が安定している時間帯だ。城で働く人々は朝日を待ってから城に入り動き出す――その波に入るようにイブキも城に入った。
普段は使用人たちに交じって警護の兵にも頻繁に行違うのだが、兵の数がいやに少ない――恐らく魔王軍との戦いに駆り出された兵も多いのだろう。イブキは蜘蛛の巣のように入り組んだ階段を昇り続けるが、広々とした廊下の隅にひっそりと置かれた古時計を見つけるとそれに近づいていく。そして古時計に耳打ちするような声量で、時計の短針の位置に口を運ぶと囁いた。
「⋯⋯イブキ・フィニータスです」
イブキの背丈よりもやや大きめで、琥珀色のウッディな基調に使用感を感じさせる傷のあるボディ、下では真鍮の振り子がリズムを刻むそれが――
『剣を見せたまえ』
しゃべった。
するとロートーンの男性の声にイブキは帯びていた剣を見せる。
『剣を差し込みなさい』
時計の真ん中にある縦目の穴——ちょうど幅広の剣の刃が入りそうなところに剣を抜いたイブキは刃を入れた。
『⋯⋯よろしい。貴君はイブキ・フィニータスと確認された。奥の部屋に入るがいい』
するとカチンと音が鳴り、『時計ごと』壁がパカリと開き戸のように開くと、その奥に広々とした大広間がある。入り口の古時計は、選ばれし者しか入れないこの部屋に人を通すための儀式のようなものだった。愛用の剣と、そこから伝わる所有者の魔力——その両方が揃わねば決して扉が開くことはない。
その扉の先にはイブキを待つ男がいた。
「朝早くから呼び出して済まないな⋯⋯イブキよ」
ゴホッゴホッツ!!と乾いた咳に、しゃがれた声。彼と最後に会ったのは最後にこの城に来た半年前のことだったが、その時とはまるで変わってしまった彼の有様に一瞬クッと息を呑むイブキ。しかしすぐに片膝をつき、利き手で拳を握り地につける――王国に古来から伝わる敬礼でもって男に応えた。
「イブキ・フィニータス、只今参上仕りました。御身体のほどはいかがあられますでしょうか? ファン・レオン閣下」
「ゴホッ⋯⋯ああ、今日は悪くない。食欲もあってな⋯⋯粥を椀一杯ほど食べられた。ゴホッン!!⋯⋯まあ座れ。拝したままでは落ち着いて話せないだろう」
用意された椅子に腰かけるイブキ――しかし胸中は不安に満ちていた。全盛期は一人大型獣住み着く山へ出かけ、豪快に仕留めた獣を焚火で炙り喰らったとも語られる英傑。それがかくも弱る様は直視にたえなかった。窪んだ頬に、白髪の目立つあごひげ、獅子の如き逆立つ毛髪は白く染まり抜け落ちてしまっている。
イブキの後ろ盾——サイレンの幼き娘を見出し、勇者としての全てを彼女に教えた元勇者にして七公の一角に名を連ねる男——ファン・レオン家の当主、ジーク・ファン・レオンその人がまさに今、イブキの目の前にいた。
主治医より渡された薬湯を震える手で掴み、一滴一滴を苦闘するように飲み干す。かつて酒を浴びるほど飲んでいた男とは思えぬ繊細な様子。すると彼は口ひげより飲み損ねた薬湯を垂らしながら言った。
「ゴホッ⋯⋯フフ、思うことは分かるぞイブキよ。私の様はさぞ痛々しかろう。肉も落ち、飯もろくに食べられぬ⋯⋯情けないことよ。病などにこの私が負けるとは」
「⋯⋯養生なさればすぐにも回復いたします。それまでの辛抱です」
「いいや⋯⋯お前も分かっているだろう。私は病に侵され、もう長くはない。希望を語っている場合ではない⋯⋯私の意識があるうちに私が死した後のことを語らねばならぬのだ⋯⋯ゴホッゴホッ!!」
ジークが病に倒れたのはつい半年前のこと。病状が日に日に悪化していくのが見て取れたジークは己の弱り目を見せぬため王都を離れ、地方の別荘で療養にあたっていた。だがその彼が城に戻った――それはある一つの意味がある。
「⋯⋯死して家督を譲るわけにはいかぬ。今日にも私は王へ隠居の旨を伝え、引退する。ファン・レオン家は息子のマテウスが継ぐことになるだろう」
当主が病に倒れて死んだとなれば七公を始めとした『政敵』にファン・レオン家に付け入る隙があると知らせるようなものである。それを避けるためこうして内密に城に入り、家督の継承を王に伝えることにしたのだ。
だが、それを聞くイブキには大きな不安があった。
「しかし⋯⋯マテウス様は⋯⋯!!」
「分かっている。マテウスは勇者としては勇猛な豪傑だ⋯⋯しかし素行に大きな問題がある。私がマテウスを王都から地方都市イルフィスに飛ばしたのもあの子が自分を顧みて目を覚ましてくれることを期待してのことだったが⋯⋯」
地方都市イルフィスはジークが療養していた都市でもある。もしや息子の成長が見れることを期待して療養地にイルフィスを選んだのではないか、と推測したイブキだったが、ジークの表情はそれが叶わなかったことを如実に示していた。
「だが、あの子に家督を託すことが栄光あるファン・レオン一千年の歴史を終わらせるのではないかと、そんな不安がどうしても拭えぬのだ。しかし次男のマテウス以外に家督を譲ることは出来ん⋯⋯」
その時、イブキはジークが無念極まるとばかりにしぼんだ拳を握り、失望の色を強く見せたのを見逃さなかった。
「⋯⋯もう長男のマーレッドはいないのだからな」
「⋯⋯閣下」
「よい、もうよい。過ぎた話だ。今更言ったとて何も変わらぬ」
ジークは顔色を元の色に戻し——病で青白くなった顔とは別に私情を消した当主としての様を取り戻すと、続けた。
「イブキ⋯⋯どうかマテウスが過ぎたことをせぬように見張っておいてはくれないか。英傑であるイブキが目を光らせてくれるのなら、マテウスももしかすると襟を正し当主として更生してくれるやもしれぬ⋯⋯」
それを聞いた――イブキ。
よぎる昨日の言葉。
『勇者を辞めたい』
言わなければ。
もう自分は限界ですと。
指揮の任も解かれ、国に対しての不信感もある――叶うなら今すぐ剣を置きたい。
置きたい――
「はい⋯⋯ファン・レオン家のためこの身を捧げます」
だが言えなかった。
イブキには分かる。ジークと会うのは恐らくこれが今生最後。彼女を見出してくれた彼に対し、その今際の言葉で彼を絶望に突き落とすことは出来なかった。
「ありがとう――イブキ」
その言葉を聞くために彼はイブキをここに呼んだのだろう。イブキの幼き頃、勇者たるもの例え仲間が幾千死すとも決して涙を見せるなと猛々しく説いていたあのジークが薄く涙を浮かべている――そんな彼に対し鬼になれなかった。
すると席を立ち王に謁見すべく純白の聖衣を纏うジーク――しかしその足取りはおぼつかず従者に支えられねば立つこともままならない。不安を感じたイブキはジークに駆け寄るがそれをジークは弱々しい手で制し――擦れた声で言った。
「⋯⋯イブキよ」
「⋯⋯閣下?」
「マテウスに言ったとて、きっと成してはくれぬだろう⋯⋯お前に託しておきたい言葉がある。我が息子、マーレッドにもし会えたならお前から伝えてくれ――『一足先にルードに会いに行ってくる――お前を永遠に愛している』と」
「⋯⋯はい」
言葉の意味はまるで分からなかった――ルードとは何者なのか分からなかった。だがイブキはそれを脳に刻んだ。ジークはやっと己の足で立つ感覚を掴んだのか、弱々しいながらも支え無しで立ち上がる。
「では行ってくる」
「ご武運を――閣下」
するとジークは――そんな格式ばった様のイブキを見て、どこか昔を懐かしむように、あるいは思いを馳せるように薄く笑みを浮かべると言った。
「⋯⋯イブキ。最後に⋯⋯かつてのように私を呼んではくれないか。あの幼き頃の⋯⋯無邪気な頃のお前のように」
その言葉にイブキは一瞬戸惑い――昔の記憶に想いを馳せて、そして思い出す。かつてはジークをそう呼んでいた――やがてジークのファン・レオン家当主としての威厳を知り、また淑女としてのたしなみを知る中で消えていったかつての呼び名。
不思議なことに自然とイブキは笑っていた。
「行ってらっしゃい⋯⋯おじさん」
すると彼も返す。
かつての、”おじさん”だった頃のように。
「⋯⋯ああ、行ってくるよイブキ」
王への謁見は彼一人のみ。そして謁見が終わり次第、彼は静養地のイルフィスに戻り――恐らく王都に己の足で戻ることはないだろう。
小さくなった彼の背中が王の間に向けて遠く消えていく。しかしイブキはその姿に最後の意地を――かつての勇猛な男の背中を見た。
そして本来敬礼で見送るはずのそれをイブキは――小さく左手を振って、かつての控えめで引っ込み思案な少女のように見送った。
それは彼女が今できる最上の別れ――そしてジーク・ファン・レオン卿であり、イブキのおじさんでもある彼への敬意でもあったのかもしれない。
それを見送る彼女の心中で――
微かに育つこの思いに、敢えて彼女は蓋をしなかった。
『ファン・レオン家は終わりだ』と。
そして――家督の継承はなされた。
ジーク・ファン・レオンから、息子のマテウス・ファン・レオンへ。
そして家督継承の一週間後、
療養地イルフィスの穏やかな朝日が昇る早朝――ジーク・ファン・レオンは静かに息を引き取った。
かつて王国最強の英傑と呼ばれた男の死は王国中に知れ渡り、ジークの死に王国は嘆き悲しんだ。そしてジークの死に伴い、次男のマテウスがファン・レオン家の家督を継ぐこととなった――
――が、その直後に、ファン・レオン家傘下の地方貴族およそ五家がファン・レオン家からの離脱を宣言。彼らは「七公」マクデスシュブルム家傘下へ入ることを一方的に本家へ通達し、ファン・レオンは貴重な地方貴族を失うこととなった。
それは彼らが、ファン・レオン家に未来はないことを知っていたが故であるのかもしれない。ジーク亡き今、もうこの一族に先はないと知っていたのか。
さらに、ファン・レオン家に近しい上級貴族たちからはマテウスが当主となるのならファン・レオンには従えないという旨の書状が連名でイブキの元に届けられた。それはこの一家が――”内部崩壊”の予兆を示している何よりの証拠であった。
直ちにイブキはイルフィスの新当主——マテウス・ファン・レオンに書状を送った。内容は『当主として己を律し、ファン・レオン家傘下五十六の貴族たちを納得させる振舞いをお願いしたい。まずは心を入れ替える意志を書状として全傘下貴族に送ってほしい――』という嘆願に近い内容であった。
――が、返答はなかった。
いや、返答はあるにはあった。
イブキの送った嘆願書に対する返答はなく、代わりにイルフィスに新しくカジノを建設したいので家の金庫から金貨を送るようにという――自堕落極まる内容。
マテウスの要求額は、傘下貴族五十六が血と汗を流して貯めた税収のほぼ全てを使い果たすような法外な額。到底受け入れるものではなかった。
そして脅し文句のように――
『もし断ればお前の故郷——サイレンの税を倍にする』という文言。
そして追い打ちのように、傘下貴族から送られる追加の書状——その全てがマテウスに対しての不満であり、英傑であるイブキにマテウスを何とかしてほしいという嘆願であった。
上からは理不尽を――
下からは無理難題を――
上と下から板挟みにされたイブキ。
そしてイブキは――揺らぐファン・レオン家に対し何を思ったか。
彼女の中で何かが――
ふつふつと湧き上がり、積みあがる『苛立ち』が――
”極めて怪物的な何かが”育ち始めていた。
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