第5話 傍観の女騎士④
古城グリムンド――王都メルシージャにそびえ立つ王国1500年の歴史の生き証人。
初代王が巨人族を従えて建設されたと言い伝えられるそれは、その名残を残すかのように一つ一つのレンガが手作業で丹念に積みあげられたことを示す巨人族の手形がいくつかのレンガに残されている。今や魔界の奥地に僅か生息するのみとなった巨人族の生態を示す貴重な痕跡として考古学者の間では知られていた。
王の住むこの古城は要塞としても機能し、高さ150メートルの城の上空は常に飛行船が周回している。王が執務を行う執務室には最低5人の勇者が常駐し、1万の王国軍の精鋭が日夜武装し警備にあたるなど城そのものが不落の砦の如し。過去の魔界との戦争でもグリムンド城が陥落したことは一度もない歴史がそれを何よりも示す。
王国の繁栄を見届けてきた古城は、今日もそして明日も、この国の象徴であり続けるのだろう。
さて――夜の明けた王都メルシージャ。まだ人影の少ないこの時間に、マントを羽織って足早にグリムンド城へ向かう一人の影があった。
腰には剣を帯び、足を運ぶ速度に対し殆ど足音はない。体術に優れた手練れであることは明らか。それは城の中に続くグリムンド城の門まで一言も発さぬままだったが、人影を認めた城の門番——突如現れた人影の物々しい雰囲気に一様に門番たちは警戒の色を強めた。
「止まれ。顔を隠して城に入ることは認められていない。名前を名乗り、許可証を見せよ」
マントのフードで顔を隠していたその者は、顔を隠していたフードを外した。
すると門番たち全員が知る――青髪の端正な顔立ちの女性が現れた。
「私はイブキ・フィニータス。王国の第八位英傑です」
「こ、これはこれは⋯⋯イブキ様でしたか。これは大変失礼いたしました⋯⋯おい、イブキ様のお通りだ! 門を開けろ!」
イブキの顔を見るなり強硬な口ぶりは何処へやら、いそいそと開門準備を始める門兵たち。英傑ともなると城に入るのに許可証はいらない。彼らのバックに七公やそれに類する権力者がいることを知る者なら、彼らの代理人といっても過言ではない英傑たちに許可を与えることすら大変な無礼であることを分かっている。仮にもグリムンド城の門番を任される者ならなおさら必須の知識だ。
ギギギ⋯⋯と重苦しい音と錆の擦れる不愉快な音。前に門を開けた時はこんな音はしなかった――門のメンテナンスを怠っているのかと内心思うが、今はそんなことに構っている暇はないイブキ。
イブキは門番たちへ「ありがとう」と慣例的な挨拶もそこそこに城内に入る。彼女がここに来たのは半年も前——王族の警備も職務に入る英傑としては間隔が空きすぎているが、それは単純に彼女が『城での仕事』を嫌っているからである。
その理由は――すぐにも分かる話だ。
曲がりくねった道を歩いていくとやがて城下町が見えてくる――門を”越えた先”にある街。即ち許可なく入ることのできない城の中だけの街である。
それが見えてくるとイブキはマントを羽織り直し、フードを被ると目を閉じる――目で見ずとも至近距離から放たれた矢を気配だけで躱すことの可能なイブキにとって、目を使わず群衆の間を歩き抜けるなど朝飯前だったが、彼女がそうした理由は――彼女がこの城下町を”嫌悪する理由”でもあった。
するとイブキにとんっ、とぶつかってきた軽い物体の感触。
人か、それとも小型の動物か――とイブキが薄く目を開けると、そこにはボロを着た小さな瘦せ細った少女の姿。骨が目立ち肌はまともに睡眠もとれていないのかガサガサに荒れている。無垢な顔に笑みはなく、イブキを暗い眼差しで見つめていた。
「⋯⋯ダメよ」
イブキはその子の――『財布の入った己の懐』に伸ばされた手を掴んでいた。イブキでなければスられたことすら気づかないであろう手つきは初犯のそれではない。恐らく盗みで小銭を稼ぐことを生業とした哀れな子供——イブキは持っていた財布から銀貨を取り出すと彼女に握らせた。
そして彼女を見つめる――ただし見るのは少女の目ではない。
少女の首に刻まれた、血のように赤い『奴隷』と書かれたタトゥーを。
「⋯⋯きっと逃げてきたのね。でも、私は貴方に何もしてあげられない。せめてこれを――この先の門の門番に渡しなさい。そうしたらきっと門を開けてくれるわ」
すると少女はイブキと銀貨を何回か交互に見るとコクンと頷いてとっとっと、と裸足の足音も軽く門の方へと走っていった。彼女に渡した銀貨——門番への賄賂代わりのそれは薄給と聞く門番へのいい手土産になるだろう。何故ならグリムンド城の門番とは『汚銭の守衛』と揶揄されるほど頻繁に賄賂を受け取っては門を開けているのは周知の話——その理由こそこの先の城下町にある。
城下町に入る――と、すぐに噺家口調の調べが聞こえてきた。
「今日はいい奴隷が三人入ったよ!! さあさあ紳士淑女の皆さん、まずはこちらの筋骨隆々、若くて逞しいキーワ育ちの19歳!」
城下町の中心の地面より五メートルほど高くなったステージ――そこに並べられた三人の人間。全員手には鉄の枷が付けられ、足には鎖で繋がれた鉄球。若い男と、同い年ぐらいの女——そして今にも折れそうな木の枝を杖にした老人。
「辺境地キーワから『幸運にも』やって来たこの青年! ここに来るまでに我々の仲間を十人ほどのしてしまいました!! 元気たっぷり! 病気もなし! 奴隷になる気もないという反骨心!! さあどうです? いい男でしょう?」
幸運——ステージを主催する男が辺境地で幸せに暮らしていたであろう農民を、金で雇った盗賊に攫わせて連れてくることが幸運か。イブキはそれだけで反吐を催しそうだった。
ステージを囲む群衆——身なりを整え着飾った面々は愉快痛快とばかりに笑っている。すると奴隷の男——まだ諦める気配を微塵も見せない男は鎖をきしませながらさながら野生の猛獣のように睨みを利かせた。
「⋯⋯お前ら全員呪ってやる」
「おやおや⋯⋯皆さん聞きましたか? 彼はどうやら我々を呪いたいようです。呪術でも使うのでしょうか? しかし呪術は魔界で使われる魔法のこと――つまり、使うのは魔獣ですので――」
バチンッッ!!!
男の絶叫と風をきる鞭の音。
「獣は”調教”いたしましょう!!」
ビシッ!! バシンッ!!
目を使っていないイブキも思わず耳を塞ぎたくなる。苛烈極まる鞭の音には手加減がまるで感じられず、それを囲む群衆はむしろ楽しむようにエキサイトしている。やがて男の絶叫が止んだ時——群衆からは失望のどよめきが広がった。
「おや、どうやら気絶してしまったようです。これでは競りになりませんね。仕方ない、これは後回しにして女から売ることにしましょう」
鞭はたった一撃でも失神——最悪の場合痛みによるショックでも死に至る凶器だ。数は二十発以上、ほぼ連撃のようなペースで浴びせられた男はこのまま目を覚まさないことも――いや、奴隷として彼を待ち受ける人生を考えればここで目覚めないほうがいいかもしれない。イブキは悔しくもそう思ってしまった。
「次は女——年は18。 ご覧ください上玉です!! 化粧にドレスにヒール⋯⋯仕立てるのにも金がかかっておりますので皆さまお高く買ってくださいますよう!!」
ボロを着た上裸の男たちに対し、女には上物のドレスに化粧までさせて貴族の娘のようななりであったが――枷をされた女の目は死んでいた。彼女は「ルイス⋯⋯ルイス」と涙を流して呟いている。恐らく鞭打たれた先ほどの男のことだろう。知り合いか、幼馴染か、はたまた伴侶だったのか定かでないが、その声は絶望に満ちていた。
「⋯⋯百! いや百五十!! まだまだ上がって⋯⋯二百!! これ以上はいないですか? よろしい!! 女は二百ゴールドでヴィンチ公が落札です!!」
女を落札したのは長髪に黒の帽子を被った男——獲物への執念を隠さぬ男は年以上に若々しく見える――女の奴隷を尽きぬ大金でかき集めていると噂のヴィンチ伯爵だった。この悪趣味極まるショーの常連と名高い彼が奴隷を買うのに費やしたのは実に五千ゴールド――どこからそんな大金を得ているのかイブキは謎だった。
「さて⋯⋯おっと、気が付けば残ったのは一人だけになってしまいました。皆さんに”一応”聞いておきますが⋯⋯この人いりますか?」
最後に残ったのはしょぼくれて今にも折れてしまいそうな老人。最早枷などなくともここから逃げ出せるとは思えず、木の枝に必死に掴まってプルプルと震えながら立っているのは見るだけで痛々しいほどである。
群衆から欲しいという声は上がらない――いや、既に『何か』を期待している雰囲気。ある者は押し殺すように、またある者はすでに行き着く結末を確信して声高らかに笑っている。それは暗黙の了解——誰もこの老人を”買ってはいけない”という空気。このショーを締めくくるデザートを全員が期待していた。
――これ以上は無理だ。
イブキは駆けだした。
「まあそうでしょうねえ⋯⋯こんなのは銅貨一枚ほどの価値もありません。一体誰がこんなものを連れてきたのでしょうねえ」
ハッハッハ!という群衆の笑い声。
叶うのなら彼ら全員が地獄に堕ちればいいのにと願わずにはいられない。
これだから嫌なのだ――イブキは思う。
この城では金のない人間の命が軽すぎる。
公然と行われている奴隷市。表向きは禁じられている奴隷を裏で金持ちたちが買うための市場。それがこの国の中枢で行われている。それも奴隷だけでなく、流通が禁じられている麻薬や、違法な武器にいたるまで全てが金で買える闇市場。それがこのグリムンド城の城下町、『グリムンド・マーケット』なのだ。
「では皆さまご注目を。このマーケットでは、”金”にならない人間は――」
カチン。
金属音。イブキにはそれが何か分かる。
銃の撃鉄を起こす音だ。
私はこんな者達のために勇者として戦っているのか――—
バンンッッ!!!!
無情の銃声が城内を轟いた時——そんな思いがイブキの心をよぎった。
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