第8話 冷血の女騎士①
怒りに身を任せることがいかに愚かであるか。それをイブキは”理性”で理解はしていた。しかし、理性でこの感情を抑えるには限界があった。
――マテウスの子守り
――アルガスタス卿の政治工作
――英傑の地位
――事情も知らず言いたい放題のファン・レオン家傘下貴族たち
――故郷サイレンからの期待
全てが重荷だった。
もう限界だった。
『品行方正』で『優等生』なイブキの姿ではこの修羅場を解決することは出来ない。ならば為すべきことは一つしかない。
ブリオ・アルガスタスと、イバン・テルーズ。
彼らだけではない。
大聖堂に集まった全ての勇者たちと、国を動かす為政者たちに向けて彼女は言った。
「私は―—私自身の力を証明します」
言い訳などしても意味がない。
ここでイブキがイバンを責めるように詭弁の類を捲し立てたとて、全てブリオ・アルガスタスに言いくるめられて立場を悪くするだけだろう。そう判断するだけの冷静な頭は保っていた。
イブキは踵を返して聖堂を立ち去ることにした。
「おやおやおやあ!!! あれだけ威勢よく啖呵をきっておいて逃げるのかい!? 全く無様だねえ!! イブキ・フィニータス!!」
挑発——ブリオの声は愉悦に満ちている。
イブキが己のかけた罠に囚われたように思えて仕方がないのだろう。現に国の核心に近い面子が集まったこの場でイバンを無能と断じた挙句、説明もしないまま出ていけば彼女に対する信頼は地に堕ちるだろう。英傑にふさわしくないと彼女を引きずり下ろす言論も生まれるに違いない。
するとイバンも一歩前に出る。
「勇者学院を最優秀で卒業した俺が力不足って言うなら、今ここでそれを証明してくださいよ。それとも⋯⋯俺に恥をかかされるのが怖いんすか?」
イバンは剣を鞘に固定する留め具を既に外している――実力行使でイブキを捻じ伏せられる自信があるとでもいうかのように。
愚かな――イブキは心で思う。
聖地たる大聖堂で剣を抜く。まして七公の目前でなど処刑台送りにされても文句の言えない大罪だ。
――それが分からぬほどイブキも愚かではない。
「⋯⋯今は、”真実”を証明することが出来ませぬ故、身を引かせていただきます」
そう告げるにとどめた。
そして場を去ろうとして――
と、ここで彼女はイバンの手首に巻かれたリストバンドのような――目立つ赤い彩色の麻で縫われた紐のようなものがあることに気づいた。
(あれは求愛のミサンガ⋯⋯!! 勇者は恋愛をしてはならないと掟で決まっているのに!)
若者の間で、無論イブキもまだ十分に若いが――関係を持った男女が赤と青のミサンガを対にして身に着けるのが流行っているというのは知っていた。
しかし勇者は、現役でいる間は人と関係を持ってはならないと掟で定められている。その理由は国防の観点から勇者がハニートラップに掛けられるのを避ける意味や、激しい恋慕の感情が勇者の持つ能力——『霊装』という能力に悪影響を及ぼすことがあるからだ。さらに悪辣な魔女の中には恋の感情を楔にし、人を傀儡にする呪術を用いて人を操る者もいるため、恋愛は厳しく制限されている。
勇者学院の初日の授業で習うほどの初歩的な知識——イバンが知らぬはずはない。にも関わらずかの行為を平然と行い、かつそれを周囲は咎める気配もない。
それを成しているのがイバンの横の老骨であることに気づかぬイブキではない。
(——アルガスタス卿の寵愛を受けるイバンの前には、掟も骨抜きということですか)
あれではいずれイバンは闇に堕ちた魔女——”黒魔女”の標的になること間違いなしだ。
だがそれを明らかでありながら”指摘できない”ことこそ、この場に明らかな腐敗があることの証明。ブリオの寵愛を自覚するからこそイバンもこうして公の場で己の『ルール違反』を見せつけるようなことを平然と行えるのだ。
――腐っている。
こんな男を英傑に推薦するなど―—王国滅亡の序章になりかねない。
何より――こんな連中の掌で転がされることすらイブキにはどうしようもない屈辱であるように思えて仕方がなかった。
「⋯⋯これ以上語ることはありません」
背を伸ばし己に恥じるべきものはないと姿勢で示す様に大聖堂を去ろうとするイブキ。
だがそれを見逃すブリオではない。
勝利宣言の如く杖を振り回し唾を飛ばして叫ぶ。
「逃げたなこの雌豚め!! もういいっ!! あんな女はこれきりだ!! 僕の力で君を英傑から追放してやる!!」
我慢だ。
ここで彼に逆らったとて吊るし上げられるだけだ。
反撃の機を待て――それが最善だ。
「コーラット!! 今すぐあの女を追い出せ!!」
⋯⋯我慢だ。
「それにい⋯⋯!! イバン君を無能と言ったことをここで詫びろ!! そしてイバン君を推薦した僕に対しても同じように詫びろッ!!!」
我慢——
「そうだねえ⋯⋯僕とイバン君の靴をここで全裸になって犬の真似をしながら舐めるというなら許してやっても⋯⋯!!」
―――――我慢
「いやっもういい!! イバン君!! ここであの女を斬れっ!! 遠慮なくやれっ!! そして空いた席に君が座るんだッ!!!」
背後から聞こえた音——カチンと鉄が触れ合う音。
イバンが剣を抜いたのだ。
その音を確かにイブキは聞いた――
その時だった。
「⋯⋯うんざりです」
声の主は――イブキ。
イブキが目を見開く――そして覇気を放った。
その時大聖堂を――『爆風』が走り抜けた。
「⋯⋯⋯っつ!!!!???」
仰け反るように老体が”反射的に”回避の姿勢を取る――ブリオ・アルガスタスがかくも俊敏な動きを見せたのはいつ以来だろうか。
そしてイバン・テルーズは――
振り返るブリオ。
そこにいたのは――
「イバン⋯⋯イバンくんっ!!!」
剣の柄に利き手の右手が置かれたイバン・テルーズ。
立ったまま白目を剝き口角からは涎が垂れる。
見るも明らかに――イバンは気絶していた。
「⋯⋯閣下の御手前でありますが故、『気絶』に留めましたが」
静かなイブキの声が響く。
『怒り』の音はない。
ただ淡々と、事実だけを告げる声。
「私の『霊装』は彼の霊装を遥かに上回ります。実力勝負であれば、彼は私に指一本触れられずに倒されるでしょう⋯⋯私が本気で彼を殺そうとしたならば霊装による威嚇のみで彼は死にます」
勇者であれば全員が会得する力——霊装。
大地の精霊の加護を呼び寄せ、己に纏うことで手にする力。
努力により会得する者もいれば、”生来”にこの力を持つ者もいる。
そして多くの場合——後者の霊装の強さは前者の比ではない。
イブキはこの霊装を生まれながらに操る天性の勇者であった。
しかしそれを――公衆の面前で見せることがいかに『品行方正』から遠く離れた行為であるかも彼女は分かっていた。だが、そんなことを気にしていてはこの先の⋯⋯『悪意に満ちた世界』を生き延びることなど叶わないのだ。
「⋯⋯”イバンのことを想うなら”、彼を英傑にしないことをお勧めいたします。この程度の霊装による威嚇で気を失ってしまうのなら、英傑となってから対峙しなければならない魔物や敵軍を相手になど到底できません」
そしてフッと少しだけ笑みを――
その場にいる全員が今まで見たことのない――
――陰に満ちた笑みをイブキは見せた。
「まあ『裸の英傑』として⋯⋯”誰かが操るだけ”の木偶であるのなら、そんな高尚な力など必要ないのかもしれませんが」
あのブリオ・アルガスタスに――
あの『残虐卿』に対し発するにはあまりに無礼な一言。
しかし彼女の目に――自暴自棄の色はなかった。
彼女は勝負を挑もうとしている。
何かに対してかは分からない――ブリオかマテウスか、あるいは他の誰かか、それとも全員かもしれないが――
「⋯⋯堕ちたか。イブキ」
ポツリと――元帥コーラットが呟いた一言。
しかし彼女はそれに嗤った。
皮肉なことに、それは普段の鉄仮面のような表情とはまるで違う――妖艶さと美しさが入り混じったようなイブキの笑みだった。
「いいえ堕ちてなどいません。私はただ――」
踵を返すイブキ。
後悔はない。
いっそ晴れ晴れとした気持ちだった。
「⋯⋯もう我慢する必要はないと気づいたのです」
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