第43話 チョロい聖騎士様
王宮の長い廊下は、磨き上げられた大理石が窓からの光を反射し、静謐な空気に満ちていた。
魔王軍に関する定例報告を終えた俺は、少しばかり気の抜けた頭で自室への帰路についていた。
「オージ様……! 先日は、ありがとうございました」
ふと、前方から声をかけられる。
振り返ると、そこにいたのは私服姿のファムナーレだった。
聖女の装束を脱いだ彼女は、どこか普通の少女のような親しみやすさがある。
「聖女様もお忍びか? あまりうろついていると、また面倒なことになるぞ」
「ふふっ。気をつけます。ですが、あなたに会えるのなら、少しの面倒くらいは……」
そう言って悪戯っぽく微笑むファムナーレ。
二言三言、他愛のない会話を交わす。この穏やかな時間も、悪くない。
だが、その親密な様子を、廊下の角から射抜くような鋭い視線が捉えていることには、まだ気づいていなかった。
ファムナーレと別れ、一人になったところを見計らったかのように、その人物は俺の前に静かに、しかし威圧的に立ちはだかった。
白銀のプレートアーマーに、王家の紋章が刻まれた青いマント。腰に下げた長剣は、鞘に入っていてもなお、ただならぬ気配を放っている。
何より、その涼やかな顔立ちに宿る、氷のように冷たい瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
「貴殿が“深淵の目”隊長、オージ・グランファルム殿か。私は聖騎士団長、セレスティア・フォン・ローゼンブルグ」
その名乗りを聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
(セレスティア……! 原作のもう一人のヒロイン、そして俺を破滅させる重要人物か……! よりにもよって、最悪のタイミングで接触してきたな……)
俺は即座に内心の警戒レベルを最大に引き上げる。
目の前の女は、魔王軍の幹部以上に危険な、歩く破滅フラグだ。
「単刀直入に問う。聖女様に対し、馴れ馴れしい態度……真意は何か? 貴殿の悪評は私の耳にも届いている。奴隷を弄び、金で人を釣るそのやり方、騎士道とは相容れない!」
彼女の言葉は、一切の揺らぎがない正義感に満ちていた。
下手に刺激すれば、問答無用で剣を抜いてきかねない。
戦闘は回避し、どうにかして無力化しなければ……。
俺は思考を巡らせながら、最大の武器を発動する。
(《鑑定》……!)
彼女の強さの根源、そして……弱点を探るために。
名前:セレスティア・フォン・ローゼンブルグ
称号:聖騎士団長
才能:聖剣技【A】、王家護衛術【A】
隠された才能:被虐への天稟(ギフト)【SSS】、単純思考(ピュアハート)【A】
状態:正義感による興奮。内心では、敬愛する聖女様を誑かした不埒な男から、強烈な言葉で“お仕置き”されることを期待している。
鑑定結果を見て、俺は一瞬、思考が停止した。
(は……? 被虐への天稟……SSS? なんだこの才能は……!? まさか、このクソ真面目な騎士様は……叱られたいのか? 俺に?)
混乱する頭でセレスティアの瞳の奥を覗き込むと、確かにそこには、非難の色と共に、微かな期待の光が揺らめいていた。
なるほど……理解した。
こいつは、自ら叱られに来たようなものか。
「答えに窮したか! やはり貴殿は……!」
俺が黙り込んだのを好機と見たのか、セレスティアがさらに一歩踏み込み、その指先が俺の胸元に触れようとした、その瞬間だった。
俺は、彼女を頭のてっぺんからつま先まで、まるでゴミでも見るかのように、冷ややかに一瞥した。
そして、心底から面倒くさそうに、溜め息混じりに言い放つ。
「聖騎士団長……? くだらないな。その程度の正義感で俺の前に立つとは……。時間の無駄だ。俺の視界から消えろ、目障りだ」
その言葉は、刃となって彼女の心の鎧を貫いた。
「はぅっ……!」
セレスティアの喉から、奇妙な声が漏れた。
厳しい光を宿していた瞳は潤み、頬は一瞬にして真っ赤に染まる。
その体はビクッと硬直し、足はガクガクと震え、その場に崩れ落ちそうなのを必死で堪えている。
完全に思考がショートした聖騎士団長。
俺は内心で勝利を確信した。
「話はそれだけか? なら俺は行くぞ。……まあ、また説教がしたくなったら、いつでも来い。気が向けば、もっと罵ってやる」
「は、はいぃっ!」
俺が背を向けて歩き出すと、彼女はほとんど反射的に、しかしはっきりとした裏声でそう返事をした。
その場に一人残されたセレスティアは、しばらくの間、顔を真っ赤にしたまま呆然と立ち尽くしていた。
一人になった廊下で、俺は静かに息を吐く。
(それにしても、チョロすぎるだろ、この聖騎士様は……)
原作の『グランドファンタジー』では、確か彼女は主人公カイルの忠実な剣であり、最も信頼の厚い仲間の一人だったはずだ。
だが、カイルは彼女のこの奇妙な性質に、最後まで気づかなかったんだろうな。
(なにせ、原作の主人公くんは“めちゃくちゃいいやつ”だったからな。仲間である女性を罵倒したり、わざと見下したりするなんて発想、微塵も持ち合わせていなかったはずだ)
彼の優しさと誠実さが、逆に彼女の本性を覆い隠していた。
だからこそ、セレスティアのこの厄介な才能は、気高い聖騎士という仮面の下で、誰にも知られず眠り続けていたわけか。
(皮肉なもんだ。悪役である俺だからこそ、聖騎士の“本当の顔”を暴けた、なんてな)
最大の破滅フラグの一つを、こうもあっさり無力化できたのは僥倖だった。
(さて、このチョロい聖騎士様、どう使ったものか……)
俺は口の端に不敵な笑みを浮かべながら、自室へと歩を進めるのだった。
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