第19話
午後になると、空の色がわずかに鈍くなった。
天気が崩れる前触れだ。風の匂いが少しだけ湿り気を帯びていて、遠くの空に灰色のしみが浮かんでる。あれが吹雪に変わる前に、祠の整備を終わらせたかった。
祠は村の中央、小さな丘の上にある。石を組んだ台座の上に、かつての語り手たちが残したと言われる石柱が建っていて、そのまわりに枝と布で囲いを設けていた。けど、風雪に削られて今はほとんど骨組みだけ。精霊の居場所としては、あまりにも寂しすぎる。
「リラ、木彫り持ってきたか?」
「うん、これ。父さんの形見だったけど……今はここに置いた方がいい気がする」
渡された彫像は、両手を上げて空を仰ぐ人の姿だった。人なのに、背には羽のような文様が刻まれていて、目の部分には黒曜石がはめ込まれている。触れると、少しだけ熱を感じた。
「カムイノカリの像……これは、祈りの起点になるな」
「……うん。精霊も、きっと応えてくれる」
俺は石柱の根元に膝をつき、深く息を吸った。
語り手の声は、ただの言葉じゃない。祈りであり、約束であり、命を運ぶ“風”だ。
だからこそ、軽々しく口にしていいものじゃない。
それでも今、この村の“核”として、俺は一つ、声を放つ。
「──ホイサー……チセ・トゥカ・カムイ……ここに、命を繋ぐ」
風が一瞬止まり、音が消えた。
次の瞬間、周囲に立てた木の枝が、かすかに揺れた。
まるで見えない手が、そっと布を撫でたように。
リラが息を呑む気配を感じた。
俺も目を開けた。
石柱の根本に、小さな光の粒が浮かんでいた。
それは火ではなく、氷のようでもなく、ただ淡く揺れる“存在”の気配だった。
「……応えたな」
「うん、……これで、この場所が、“目印”になる」
目印。精霊にとっての、そして人にとっても。
ここに来れば、声が届く。
ここに来れば、祈りが繋がる。
この祠は、村の中心になる。
精霊と共に在るという“証”として、ここに在り続ける。
「明日から、祈りの時間を決めよう。朝と夕の二度。言葉を交わして、精霊に“在ること”を知らせ続ける」
「うん、私も手伝う。子どもたちにも教えるね」
その言葉に、俺は心から安心した。
俺ひとりじゃできないことも、誰かと一緒ならできる。
村は、そうやって育つ。
風が少し強くなった。吹雪の気配が近い。
「もう戻るか。あとは小屋で続きの準備だ」
「うん。……ねえ、とうが」
「ん?」
「精霊が、あんたの声を待ってたって、私……今わかった気がする」
俺はその言葉に、返す言葉を選べなかった。
ただ、小さく頷いて、彼女と一緒に雪道を下った。
振り返ると、祠の布が風に揺れていた。
それはまるで、“いってらっしゃい”と手を振っているように見えた。
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