第12話

 祠を出たとき、空は夕暮れの色に染まりつつあった。

 潮の香りが濃くなり、風がやや強まっている。けれどそれは、脅威の兆しではなかった。

 むしろ、海が静かに、俺の背中を押してくれているような、そんな優しさを含んだ風だった。


 シーナは俺の隣に寄り添い、ゆっくりと歩を進めていた。


「……どうして、レン様はそこまで迷いなく進めるのですか?」


 ふと、彼女が訊いた。


「最初から、すべてが見えていたわけじゃないはずです。

 それなのに……何も恐れていないように見える」


 俺は立ち止まり、海を見つめる。

 夕陽が水面を黄金に染め、波が優しく砂浜を撫でていた。


「最初は、怖かったよ。今でも、怖くないわけじゃない。

 だけど――逃げたら、何も変わらない。

 俺は、追い出されたあの日、全部を失ったんだ。だからこそ、今、ここにあるものを信じて前に進むしかない」


 シーナは目を伏せ、小さく頷いた。


「あなたは……強いですね」


「強いっていうより……もう、弱いままでいるのが嫌になっただけだよ」


 彼女は小さく笑った。

 その笑顔は、潮風よりも柔らかく、俺の中に染み込んできた。


 


 村に戻ると、広場には焚き火が灯されていた。

 村人たちが囲み、魚を焼き、果実を煮込み、穏やかに語らっている。

 どこか、儀式のような雰囲気すらある。


「これは……?」


「“潮の夜宴”です」

 シーナが言った。


「外からの者を迎え入れ、新たな契約を祝うための儀。

 本来は、波の巫女が成人を迎えるときに行われるものですが……今回は特別です。

 レン様が、この島に“波”をもたらしたから」


 焚き火の灯りが、村人たちの表情を照らす。

 皆、昨日までとは違う目をしていた。

 俺に対する“よそ者”としての警戒ではなく、仲間を見るまなざし。


 「レン、こっちだ!」


 若い漁師が、俺を手招きしている。

 俺は思わず、肩の力を抜いた。


 ああ……あったかいな、って思った。


 


 宴の中、オルーが立ち上がった。


「皆の者よ!

 このレン・タカナが、龍と契約を果たし、島を魔魚より守った。

 さらに、“律潮の使い”との対話にも一歩も退かず、この島の“波の意思”を貫いてくれた!」


 拍手が起こる。

 それは、祝福と感謝が込められた本物の拍手だった。


「そして今宵、彼は潮核石の啓示を受けし“真の契約者”として、我らと並び立った!

 ここに宣言する――このミリアナの島は、レン・タカナを“波の守り人”として迎え入れる!」


 その言葉と同時に、村人たちの歓声があがった。

 椰子の葉の冠が、オルーの手によって俺の頭に乗せられる。


「これより、波の名のもとに、君をこの海の“息子”とする」


 涙が出そうになった。


 もう、“捨てられた”んじゃない。

 俺は、受け入れられたんだ。

 この海に。この島に。この人々に。


 どこか遠くで、潮騒がひときわ強く響いた。


 それは、まるで――“おかえり”と言ってくれているようだった。

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