第13話

 宴の賑わいは夜が更けても衰えなかった。

 椰子酒が回され、焼かれた魚の香りが海風に混じる。

 焚き火の炎はゆらゆらと揺れ、その周囲には子供たちの笑い声、大人たちの穏やかな語りが絶えず響いていた。


 島に満ちるのは、恐怖でも疑念でもない。

 確かな信頼と安堵の波だ。


 その中心に、俺がいる。

 かつて居場所のなかった俺が、今はこの“輪”の中にいる。


「レン様」


 背後から、シーナの声がかかった。


 振り向くと、彼女は焚き火の影で立っていた。

 その手には、浅い陶器皿。中には月果の実を煮詰めた甘いジュレが入っている。


「少し、歩きませんか?」


「ああ」


 皿を受け取りながら、俺は立ち上がる。


 二人で宴の輪から外れ、浜辺へと降りた。

 波の音だけが響く、夜の海辺。

 月が高く昇り、海面に道を描いている。


「……あのとき、レン様が初めてこの島に現れた日、

 私は……この風景を、夢の中で見ていました」


 シーナの呟きは、波に溶けるように柔らかかった。


「この浜辺に、月の光を背にして立つ“契約者”の姿を。

 誰にも理解されず、けれど、確かな強さを持ったその人が、

 波に語りかけていた――“ここにいていいのか?”って」


「……俺だよ、それ。間違いなく」


 思わず、苦笑がこぼれた。


「でもな。今は、もう訊かなくていい。

 ここに“いていい”って、もう分かったから」


 それは、俺の中で揺るぎないものになっていた。


 この島に来てからのすべてが、

 失った過去を悔やむより、今を大切にする力をくれた。


「ありがとうな、シーナ。お前がいたから、俺……前に進めたよ」


 彼女は、目を伏せたまま、けれど確かな声で言った。


「いいえ。私はただ、レン様に“導かれた”だけです。

 あなたがこの島を変えた。海の音を変えた。

 それは、どんな巫女にもできなかったことです」


 ふいに、夜風が吹いた。

 潮の香が濃くなり、波が少しだけ強く浜を洗った。


 その音に混じって、かすかに“呼ぶ声”が聞こえたような気がした。


 ――レン。


 誰かが、名を呼んでいる。

 俺の中の《潮の眼》が、微かに反応した。


「……来るな、何か」


 シーナが顔を上げた。

 彼女の瞳にも、微かな緊張の光が宿る。


「どこからですか?」


「南……違う、東南の海域。早い……風に乗ってる」


 俺は目を閉じ、深く息を吸い込む。


 確かに感じた。

 あの“波の気配”は、昨日の魔魚や、律潮の使いとも違う。


 もっと純粋で――だが、力強い。


「……これは、“試す”波だ。俺を、そしてこの島を」


 俺は立ち上がり、手の甲の紋章にそっと触れた。


 波が呼んでいる。

 風が囁いている。


 “次なる航海”が、すでに始まっている。

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