第25話
導師として迎え入れられたその日から、俺の生活は一変した。
それまで旅をし、各地の精霊と対話してきた自由な時間は終わり、王都の中心、天光殿にある“導師の間”に拠点を置くこととなった。
そこは王宮の中でも特に静寂と清浄が保たれた一角であり、神官たちと精霊信徒の祈りが絶え間なく響く場所だった。
俺は毎朝、精霊の神壇に向かって祈りを捧げる。
火の炉には香を、風の窓には布を、水の壺には花を、地の祭壇には石を――
雷には太鼓を打ち、幻には夢石を置き、光には水晶を、闇には黒羽を捧げる。
すべての精霊に感謝し、そして問いかける。
「今日、何を成すべきか。どこに導くべきか」と。
神託というものは一方通行ではない。
精霊の意志に耳を澄ませ、人の意志と重なる“道”を見出す。
それが導師の本質であると、霊王から教わった。
そして、俺が王都に留まりはじめて七日目の朝、第一の試練が訪れた。
北の国境地帯にあるナコン・パトム砦にて、未曾有の魔瘴霧が発生したという報告がもたらされたのだ。
その霧は、アスラの残滓とも呼ばれ、精霊の加護が届かぬ“死の空間”を生み出す。
砦の兵は全滅、偵察に向かった神官も行方不明。
さらに、隣国ソンクラーの使者からは、「これはアユータヤの神封が緩んだことによる天罰である」との非難が寄せられていた。
「……王国の境が、試されている」
王の言葉は短かったが、そこには多くの意味が含まれていた。
単なる災害ではなく、内外の動揺をもたらす“政治的危機”でもある。
その会議の場で、俺はひとつの提案を口にした。
「俺がナコン・パトムに向かう。精霊の力が通じないというのなら、それを確かめる必要がある。アスラの痕跡が残っているのなら、なおさらだ」
神官たちの間にざわめきが走った。
導師が王都を離れるなど、かつてない前例だったからだ。
だが王は頷いた。
「よかろう。お前が導師であるならば、その“歩み”もまた、民を導く光となる。だが、単独では行かせぬ」
その言葉とともに呼ばれたのは、王国随一の近衛部隊“金獅子隊”。
その隊長は、かつて王の幼馴染として育ち、今や軍を動かす男――ターニン・ヴィチャイ。
長身で黒褐色の肌を持ち、雷を模した刺青を左腕に刻む男は、俺を見るなり薄く笑った。
「ナラヤン・ラーチャ。お前が国を救った男か……精霊の加護だけで何でもできると思うなよ。戦場は、もっと汚い」
その挑発に、俺もまた一歩前へ出た。
「だからこそ、俺は行く。清らかさだけでは、守れない現実があることを、俺は旅で知った」
二人の視線がぶつかり、やがてターニンが笑みを深める。
「いいだろう。導師と共に戦場を歩くのも、悪くはない」
こうして、俺たちは王の命により、王都を発ち、ナコン・パトム砦への行軍を開始した。
それは、新たなる“精霊の戦場”への序章に過ぎなかった。
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