第17話

 雷の加護が宿ったあと、世界の見え方がほんのわずかに変わった。


 音の輪郭がより明確になり、気配の揺れにも敏感になった。

 まるで雷が持つ“感覚”が、俺の中に根付いたかのように。


 風に乗る葉の震え、地を這う虫の微かな音、遠くで流れる川の響き――

 すべてが、雷の脈動とともに伝わってくる。


 だが、それは暴走する力ではなかった。

 五つの加護が相互に調和し、互いを律し合っている。


 そして俺は、その中心に立っている。


 「あと三つ……」


 雷鳴の頂を下りながら、次なる目的地を確認する。


 地図に記された次の印、それは“夢見の森”。

 そこには“幻”と呼ばれる精霊が棲み、人の記憶や感情を操る力を持つという。


 幻の精霊――それは形なきもの。

 記憶と夢を渡り歩くその存在は、“真実”ではなく“意味”を問う存在。


 その力に触れるには、また違った覚悟が求められる。


 俺は雷鳴の残響を背に、森の方角へと歩を進めた。


 下山の途中、ふと頭上を見上げると、青空が雲の隙間から覗いていた。


 雷が晴れた空の下を、太陽の光が地上へと差し込んでいる。


 その光を浴びながら、俺は思う。


 この旅が始まったとき、俺は“何者かになりたい”と願っていた。


 だが今は違う。


 “何者かとして、何をするか”。

 その問いが、胸の中で明確な形を取り始めていた。


 五つの精霊がくれたのは、力だけではない。

 それぞれが俺に、異なる視点と価値を授けてくれた。


 だからこそ、次の精霊――幻に挑む価値がある。


 真実を越えて、自分の“意味”を問う旅へ。


 夢見の森は、遠くに霞む青緑の木々の向こうに、静かに眠っていた。


 夢見の森――それは、地図の中でも唯一、明確な境界線が引かれていない領域だった。


 「入った者が皆、道を失う」と語られるその地は、霧と幻影に包まれ、現実と夢の境が曖昧になると言われている。


 それでも、俺は足を進めた。


 雷鳴の頂を離れ、平原を越え、三日目の朝。

 霧のようなものが森の輪郭をぼやかし始める。


 気づけば、木々は密度を増し、陽の光すら届かなくなっていた。


 「……ここか」


 森に入った瞬間、空気が変わった。

 温度も、匂いも、音の質さえも違う。


 まるで、すべてが“水中”にいるような感覚。


 だが、水ではない。

 これは、記憶と夢が染み出した空間――精神の深層を歩く場。


 やがて、視界が歪み始めた。


 目の前に現れたのは、懐かしい村の風景。

 それも、まだ俺が幼かった頃の姿だ。


 「……幻か」


 目の前には、若い母が笑いながら薬草を干していた。

 その隣には、兄が薪を割っている。


 そして、まだ何も知らない幼い俺が、そのそばを駆け回っていた。


 懐かしさと、痛みが胸を締めつける。

 それは幸せな記憶。けれど、もう戻れない過去でもあった。


 「これは……試練なのか?」


 問いかけに、誰も答えない。

 だが次の瞬間、世界が一変した。


 目の前の光景が崩れ、今度は“もしもの世界”が現れる。


 ナラヤン・ラーチャが選ばれなかった世界。

 神獣に出会わず、ただ畑を耕し、村で朽ちていく人生。


 平穏で、何も起こらない日々。

 だが、その目には光がなかった。


 「……俺は、あれには戻れない」


 言葉を紡ぐ。


 「幻が何を見せようと、俺はもう“選んだ”。戻らない。進む。それが……俺の答えだ」


 その言葉が、森に響いた瞬間、霧が裂ける。


 前方に、白銀の花を纏った“幻の精霊”が現れた。

 その姿は老若男女、瞬きごとに形を変え、定まらない。


 だが、その声だけは穏やかだった。


 「よくぞ、自らの幻に打ち勝った。汝は、真実を知る資格を持つ」


 光が舞い、六つ目の加護が、俺の胸へと宿った。

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