第16話

 雷鳴の頂――それは、空と地の境界が剥き出しになったような場所だった。


 荒れた山道を登るにつれ、風は鋭く、空気は薄く、空には常に雷雲が渦巻いている。

 空の青が消え、黒灰の雲が昼も夜もなく空を覆い続ける。

 雷は、まるで呼吸のように一定の間隔で轟いた。


 登山は過酷を極めた。


 岩肌は滑りやすく、風は時に身体を押し戻すように吹き付けてくる。

 だが、俺は一歩一歩を確かに刻んだ。


 大地の加護が、足元を確かに支えてくれている。

 風の力が、体勢を崩しそうになるたびに重心を調整してくれる。


 火と水の精霊の力も、鼓動と呼吸に宿っていた。


 四つの加護が、確実に俺の身を支えている。

 それがある限り、どんな嵐にも飲まれない。


 やがて、頂きが見えた。


 雲に覆われた空の裂け目から、稲妻が幾筋も落ちている。

 その中心に、黒曜石のような大岩が立ち、その上に一対の“雷の角”を持つ影が佇んでいた。


 それは、人の形に似ていたが、明らかに人ではなかった。

 蒼白い皮膚、雷光のような瞳、そして背に羽のように広がる稲妻の残響。


 雷の精霊――かつて神々が戦を行った時代、最前線で轟いたとされる存在。


 俺が近づくと、その影がゆっくりと振り返る。


 「……ナラヤン・ラーチャか」


 名前を呼ばれた瞬間、雷が真横に落ちた。


 轟音と閃光が世界を塗りつぶす中、雷の精霊は言葉を継いだ。


 「我が力を欲する者よ。問う。破壊を恐れるか?」


 俺は、迷わず首を横に振った。


 「破壊は終わりじゃない。創造の始まりにもなる。俺はそれを知っている」


 雷の精霊は、わずかに目を細めた。


 「ならば、受けてみよ。我が試練を。雷は選ばぬ、ただ、撃ち抜くだけだ」


 その言葉と共に、天が吠えた。

 無数の雷が空を裂き、頂上に落ち始める。


 俺はその中心に、ひとり立った。


 次の試練が、始まる。


 雷は、容赦がなかった。


 それは精霊の怒りでも、慈悲でもない。

 ただ自然の摂理として、天から地へ、選ばれし対象を問うことなく打ち下ろされる。


 だが、俺は逃げなかった。


 四つの加護が、俺を守る。

 火が雷の熱を受け止め、水が衝撃を和らげ、風が進路を逸らし、大地が足元を揺るがさない。


 それでも、全身を貫くような圧力と音の奔流が容赦なく襲いかかる。


 視界が白く染まり、肌が焼けるような感覚に包まれた瞬間――


 「……ナラヤン!」


 雷の精霊の声が、意識の中で響いた。


 「貴様が選ぶのではない! 雷が貴様を選ぶのだ!」


 その意味を、俺は直感的に理解した。


 これは“受ける”試練ではない。

 “貫かれる”覚悟を持って立つ試練だ。


 意志を差し出し、全てを晒し、なお立ち続ける者だけが、雷の“真意”に触れることができる。


 「……なら、俺を撃て。俺のすべてで、それを受け止める!」


 その瞬間、空が裂けた。


 一本の雷が、真っ直ぐに俺の胸に落ちた。


 激しい衝撃が全身を駆け抜け、意識が飛びかける。

 けれど、俺は倒れなかった。

 雷は、俺の中に吸い込まれ、胸の文様が蒼白く燃え上がった。


 稲妻が、俺の血管を駆け巡る。

 心臓の鼓動が一瞬止まり、次の瞬間、より強く、より力強く鳴り始める。


 ──雷は、俺を選んだ。


 精霊の影が微笑んだ。


 「見事。お前の意志は、天にも届いた。雷は破壊ではない。“真実を暴く光”だ。忘れるな、ナラヤン・ラーチャ。お前の一歩が、やがてこの国の闇を照らすであろう」


 そう言って、精霊は雷の雫のような結晶を俺の手に託す。


 触れた瞬間、それは光となって胸に宿り、五つ目の加護――雷の力が、俺の中に根を下ろした。


 雲が裂け、空に一筋の青が戻ってきた。

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