第15話
風すら届かない、重苦しい沈黙の中。
岩でできた細い橋が、深い断崖の間をまっすぐ伸びていた。
その幅は、大人一人がやっと通れるほど。
下を覗けば、底が見えないほどの闇が広がっている。
「揺るがず……渡れ、か」
試練の言葉が胸に響く。
これは肉体の力を試すものではない。
恐れ、迷い、焦り――内なる“揺らぎ”が試されている。
一歩目を踏み出す。
岩がきしむ音が、異様に大きく耳に届く。
ふだんなら気にも留めない小さな振動が、全身を通して揺らぎを生む。
(落ち着け……呼吸を整えろ)
深く息を吸い、吐く。
心臓の鼓動を、あえて数える。
それに合わせて、次の一歩。
また一歩。
視界の端では、谷の淵で何かが蠢いているのが見えた。
幻か、あるいはこの渓谷の精霊が見せる恐怖の化身か。
けれど、目を逸らさない。
足元の道だけを見据え、進む。
(信念だ。俺の道を、俺の足で歩く)
その言葉が胸の中で何度も繰り返される。
歩くほどに、恐怖は薄れ、身体が岩と一体になっていくような感覚が広がっていく。
そして、最後の一歩を踏み出した瞬間――
橋の奥がぐらりと揺れ、崩れ始めた。
瞬時に反応し、地面に飛び移る。
背後で橋が崩れ落ち、石の破片が谷底へと吸い込まれていった。
息を呑む間もなく、石像の巨人がゆっくりとその右手を差し出した。
その掌の上には、黒曜石のような石が浮かんでいる。
それは、まるで大地そのものの“核”のような存在感を放っていた。
「よくぞ踏み出した、選ばれし者よ。汝の足は、もはや迷わぬ」
石がふわりと宙を舞い、俺の胸に吸い込まれていく。
その瞬間、身体の奥で“芯”が生まれた感覚が走った。
熱でもなく、流れでもなく、広がりでもない。
それは、“揺るぎ”を知らぬ重さ――
第四の加護、大地の力が宿った。
大地の加護が宿った瞬間、全身に確かな“重み”が広がった。
それは身体が重くなるという意味ではない。
存在そのものが、地に根ざすような感覚。
浮つきが消え、焦りが抜け、胸の奥に確固たる“軸”が生まれる。
(これが……地の力)
俺は拳を握りしめた。
その拳の中には、揺るぎない決意があった。
火、水、風、そして地。
四つの精霊の加護が、俺という存在の中にひとつの円を描き始めていた。
試練を終えた俺の前で、巨人は再びまぶたを閉じた。
そのまま、石と同化するように動かなくなる。
石の塔も、次第に元の静けさへと戻っていく。
俺は一礼し、その場を後にした。
渓谷を抜ける頃には、日が傾き始めていた。
空には夕焼けが広がり、雲が金色に染まっている。
谷を見下ろす高台で腰を下ろし、俺は地図を広げた。
次に目指すは“雷鳴の頂”――雷の精霊が眠るとされる、標高の高い岩山地帯。
そこでは、神の咆哮と呼ばれる落雷が一年を通して絶えず鳴っているという。
雷――破壊と創造の象徴。
最も危険で、最も強大な力。
けれど、今の俺は恐れていなかった。
火で意志を得た。
水で心を見た。
風で自由を知り、地で自分を確立した。
それらの土台が、俺に“進む意味”を与えてくれている。
「ナラヤン・ラーチャ……お前は、もう戻れない」
自分で自分に言い聞かせるように呟いた。
でも、それは恐れではなかった。
俺はこの先に進み、王都カンチャナブリーで行われる“選定”に臨む。
そのためには、あと四つ――精霊との出会いと、力を手に入れる必要がある。
遠くで雷が鳴った。
その音は、まるで俺を呼んでいるかのように、大地を伝って響いてくる。
「次は、雷か……」
地図を畳み、背を伸ばし、再び歩き出した。
道はまだ続く。
力の全てを集め、俺は、運命の門を叩く。
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