第16話 真の芸術とは何か

 夜、アトリエの暗がりで、如月ミカは自らに問い続けていた。


 ──私は、なぜ描くのか。

 ──これは、芸術と呼べるのか。


 かつて、排泄は生きる証だった。

 いま、筆を持つ手もまた、生を証明する行為のはずだった。


 だが、芸術とは何か。

 ただ美しさを追うことか。

 ただ新しさを競うことか。

 ただ人々を驚かせることか。


 違う、とミカは思った。


 芸術とは、生きることそのものだ。

 生きる痛み、喜び、苦しみ、歓び、そのすべてを外へと押し出す行為だ。


 かつての彼女が身体で押し出していたもの──排泄。

 いまの彼女が絵筆で押し出しているもの──表現。


 本質は、何も変わっていない。


 「私が描いているのは、私そのものだ」


 そう呟いた瞬間、ミカの胸にひとすじの光が差した気がした。


 芸術とは、何かを飾ることではない。

 何かを隠すことでもない。

 ただ、ありのままに晒すことだ。


 どれだけ醜くても。

 どれだけ恥ずかしくても。

 どれだけ哀しくても。


 それでも、晒し続けること。

 それが、彼女にとっての“真の芸術”だった。


 ──そして、恐れないこと。


 己の内部を覗き込み、そこに潜む汚れや未熟さや愚かしさをも直視し、筆に乗せること。

 誰にも理解されないかもしれないという孤独を、それでも抱きしめること。


 「私は……生きるために描く」


 低く、震える声でミカはもう一度つぶやいた。


 生きるとは、出すことだ。

 それはかつて便器の上で為され、いまはこの白いキャンバスの上で為される。


 生きるとは、さらけ出すことだ。

 隠していたら、何も始まらない。


 ミカは新しいキャンバスを引き寄せた。

 まだ何も描かれていない、まっさらな白。


 この白に、すべてを叩きつけるために──。


 彼女は、静かに、しかし確かに、絵筆を握り締めた。


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