第3話【試し読み最終話】
次の日も、そのまた次の日も俺は昼休みにプールへと向かった。俺が向かう頃には、すでに高西という女は熱心に掃除を始めていた。とは言っても、掃除に集中できるのは三十分ある昼休みの内十五分くらいで、残りの十五分くらいは高西の遊びに付き合わされていた。
今日だってそうだ。前半の十五分でプールの床を掃くのを終わらせた後、箒とテニスボールで野球のバッティング練習に付き合わされていた。
「さあ九回裏ツーアウト満塁で、代打高西! ピッチャーには疲労困憊のヘロヘロの大野が立っています」
「誰がヘロヘロだ!」
「ピッチャー第一球、投げました!」
これまで何度も空振りをしている高西の振るコースに合わせ、ふわりと山なりにボールを投げた。バシンと箒の中心を捉えたテニスボールは俺の頭上を超えていき、ポテンとプールサイドに落ちた。
「やったー! ホームラン、ホームランです! ついにやりました高西選手!」
高西は俺の周りを四角形になるようにして周る。俺も面倒だが、なんとなく拍手してみる。
「ねえねえ! すごかったよね私のホームラン!」
プールを一周した後に俺の元に駆け寄る高西。相手の息がかかりそうなくらいには近い。
大きな瞳に飲まれそうになる。
心臓が僅かに跳ねた気がした。
「ねえ、聞いてる?」
「え、ああ。良いホームランだったんじゃないか?」
と褒めたが、高西は頬を膨らませてどこか不満気だ。
「なーんか適当」
「そんなのいつも通りだろ。俺は人に関心が無いんだ」
「ふーん」
高西はプールサイドに腰を掛けた。
「浩司君って人に関心がないっていうより、人を信頼してないよね」
「まあそうだな」
「私だって信頼されてないし。どうしてそうなっちゃったの?」
こいつなら分かってくれるかもしれない。いや、分かってほしい。
僅かに芽生えた希望と期待が俺の口を滑らせた。
「俺の両親、離婚したんだ」
プールサイドに座る高西を見上げると、高西は一瞬驚いた表情を見せたが「何があったの?」と訊いてきた。
「俺が小四のとき、クソ親父が会社の人と不倫したらしいんだよ。家ではあれだけ真面目そうな親父を演じていたのに、とんだ変態野郎だったのさ」
普段の俺だったらこんなこと口にするはずがない。
だが、俺は自然と言葉を続けていた。
「それだけならまだいい。親父の不倫を耳にした母親も不倫したんだ。そしたら、お互いに罵り合うようになって、俺への態度もおかしくなっていったんだ。そこで俺は学んだんだ。人間誰も信頼しちゃならないって」
高西の「そっか」という声の後、沈黙が訪れた。どうしてこんなことをよく知らない女子に話してしまったのだろうと後悔の気持ちで一杯になった。これでは弱みを握られたのと一緒じゃないかと。
「話してくれてありがとうね。私、やっぱり君のこと素敵だと思うな」
君のこと素敵だと思うな?
途端に俺の頬が熱くなる感じがした。
「初めて浩司君を見たときから思ってた。本当は責任感のある人なんだなって」
「そうか?」
「うん。そう思う。だってなんだかんだ毎日掃除に来てくれるしね」
「それは成績落とすって脅されているからで」
「それでも偉いよ。成績落としたくないって真面目じゃない?」
真面目と人生で初めて言われてなんと返せばいいか分からず、俺は後頭部を触りながら「いや、まあうん」と返す。
「それに人に裏切られた経験があるってことは、浩司君はその分お父さんとお母さんを信頼していたんだよ」
「それは違う! あいつらは俺のことをほっといて恋愛に興じていた」
恋愛なんてクソ。両親なんてクソ。人間なんてクソだ。
喉元まで出かかっているそんな汚い言葉、不思議と高西の前では発するのを止めようとする自分がいた。
「確かにもうお父さんとお母さんには信頼出来ないかもしれない。じゃあ、私はどう?」
「どうって何が」
「私のことだけは信頼してくれるかな?」
まだ会って数日のこのロクでもない女に信頼する?
そもそも信頼っていうのはなんだ。弱音を吐くことか? 長話に付き合ってくれることか?
分からない。
分からないが、彼女の言葉に返す言葉があるとするのなら。
「別に、友達くらいならなってもいいぜ」
週が明けた月曜日、朝から雨が降り続いていた陰鬱とした日だった。雨の日はプール掃除をしなくても良いと言っていたのでラッキーだった。
だが、急にやることが無くなった俺は、特に用もなく隣のクラスの様子を見に行ったりしていた。決して隣のクラスにいると言っていた高西に会いたいとかそういうことではないが、彼女の姿はなかった。思えば、隣のクラスと合同でやる体育のときも、高西の姿は見当たらなかった。
台風の日に畑の様子が気になる心理と一緒なのか、窓からふとプールの様子を眺めた。
すると、一人の生徒がプールの中にいるのが見えた。
「っておいおい。マジかよ」
気づけば制服のまま階段を駆け下り、飛び出すかのように昇降口を出ていた。
なんでこんな日にもあいつはいるんだ。
更衣室の扉を開き、プールサイドに立つと、そこには雨の中デッキブラシで床を擦っている高西清華の姿があった。
「おい高西! こんな雨の日に何やってんだ!」
そう叫んでも高西は反応せず、床を磨き続けていた。
ったく世話の焼ける女だ。
俺もプールの床に降り立ち、持っていた傘を高西の上に広げた。
「え、浩司君。来たの?」
「来たの? ってそれはこっちのセリフだ。どうしてこんな日にもプール掃除なんかやってんだよ」
「暇だから」
「暇だからって、わざわざ雨の日にやらなくてもいいだろ」
「……浩司君には話してもいいか」
高西は鈍色の空に向かって一つ息を吐いた。
初恋はプールサイドで【試し読み版】 逢坂海荷 @Umikachan
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