第31話 天津鳴雷

 灯凛の神穿ノ禍祓から放たれた光は、禍津日の体を包み込んだ。

 禍津日は苦悶の咆哮を上げる。空が震え、大地が唸る。

 かつて多くの命を奪ってきたその咆哮も、今は苦しみに満ちていた。


『さ、させぬ……! 我が千年の怨念を、今更……!』


 だが光は容赦なく、禍津日の体内へと浸透していく。

 まるで、長い呪縛を一つ一つほどいていくように。

 その光景を前にして、俺は傷だらけの体で再び立ち上がった。

 肌は焼け爛れ、爪の奥まで雷に貫かれ、脚は重く、ひと息ごとに血が口元を伝う。

 禍津日はまだ、完全には倒れていない。

 穂積の身体の奥に巣くう禍津日の核となった禍月石。その憎悪の残滓を、俺たちで打ち砕かねばならない。


『いくぞ、灯凛ィィィ!』


 俺は吼えながら、燃え上がる炎と、雷光の嵐の中を突き進む。

 巨大な爪が振るわれる。雷が走り、大地を抉る。

 禍津日の胸部へと飛び込み、手を押し当てる。

 肉の奥から、うねるような邪悪な気配が伝わってくる。


『ここが核か!』


 その瞬間、背後で灯凛の声が風に乗って響いた。


「穂積を解放する!」


 灯凛は神穿ノ禍祓を構え、光の奔流の中へと踏み込んだ。

 その刃が突き立てられたのは、穂積の魂を縛る枷――禍津日の核である禍月石。


「〝魄刃魂刀はくじんこんとう!!!〟」


 祈りの言葉と共に放たれた刃が、禍津日の中心に突き刺さる。

 その瞬間、禍津日の体から黒い霧が一気に噴き出した。

 それは千年分の怨念の塊。

 濃密な殺意と呪詛の塊が、霧となって天へと昇り、龍のような姿に変貌する。


『愚かな……! 我が怨念は、不滅……!』


 霊体は凄まじい圧で周囲を巻き込み、雷鳴を呼び、焼け焦げた地面をさらにえぐった。

 俺は咆哮と共に、全力で飛びかかった。


『お前の相手はこっちだ!』


 雷を纏った爪で、怨念の霊体を斬り裂く。対する霊体も、炎と雷を放ち応戦してくる。

 激突と轟音が繰り返される。火と雷が入り混じる混沌の中、俺は一歩も退かずに抗い続けた。


 ふと振り返れば、灯凛が穂積を抱きとめ、そっと地に横たえる姿が見えた。

 彼女の表情には疲労が色濃く滲んでいたが、諦めなど微塵もなかった。

 立ち上がった彼女が再び神穿ノ禍祓を握る。


「煌天丸! 共に決着を付けるぞ!」


 俺は力を振り絞って頷いた。

 脚は震え、視界も霞んでいたが、最後の一撃にはすべてを賭けられる。

 俺たちは叫び声と共に跳躍する。


『「〝天津鳴雷あまつなるかみ〟!!!」』


 俺の雷爪が、怨念の胴体を引き裂き、灯凛の神穿ノ禍祓が、怨念の真芯に突き刺さる。


『な、何故だ……! 何故、妾が人間如きにぃ!』


 断末魔の叫びが木霊する。

 黒い霧は次第に薄れ、光の奔流に飲み込まれていく。


 残ったのは、ほんのわずかな塵だけだった。


 長きにわたりこの国を蝕んできた禍津日の怨念は、ついに滅んだのだ。

 空を覆っていた雷雲が消え、赤く染まっていた大地にも、穏やかな風が戻ってくる。

 灯凛がその場に膝をつき、静かに呟いた。


「……終わったんですね」


 彼女の顔には無数の傷と煤が残っていたが、その瞳だけは確かに希望を見ていた。

 俺は人の姿へと戻り、手を構えていた灯凛と軽くハイタッチをする。


「よくやったな、灯凛」


 それから二人で倒れている穂積へと近づいた。

 彼女の体からはもう、あの禍々しい気配は消えていた。

 ただ静かに眠る、ひとりの娘の姿があった。

 俺はそっと彼女の手を取り、呼びかける。


「穂積……もう、大丈夫だ」


 その声に応えるように、彼女のまぶたが微かに動いた。


「……私は生きているのか?」


 弱々しいながらも、それは間違いなく穂積自身の声だった。


「ああ、もう大丈夫だ。全部片付いた」


 俺は穂積の頭を撫でながら静かに告げた。

 やがて、地平線の向こうから朝日が昇る。

 穏やかで、まるでこの世界が新しく生まれ変わるかのような光だった。

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