第2話 人外転生と異世界転移

 それから薙刀が刺さっていた胸の傷も塞がり、灯凛もようやく落ち着いた頃。

 俺たちは焚き火を囲んで話をしていた。

 電撃で火花を起こせば火なんていつでも起こせる。

 枯れ木や枯草が転がっていて助かった。


「あの……その、先ほどは……本当に、申し訳ございませんでした……」


 灯凛がもじもじと目を伏せ、手のひらを膝の上で握りしめていた。耳まで真っ赤だ。

 さっきまで尻で顔面を踏みつけていたとは思えないか弱さである。


『ハッ、忌々しい封印から解放してもらったのだ。謝られる筋合いはない』


 生まれて初めてのラッキースケベも堪能させてもらったしな。


「そ、そう言っていただけると、助かります……」

『そう畏まるな。普通にタメ口でよい』

「……た、タメ口、ですか?」

『畏まる必要のない。フランクな口調のことだ』

「こっちでもタメ口とかフランクって言うんですね。すみません、慣れるまでは難しいかもです」


 ようやく顔を上げた灯凛は、火の明かりで朱に染まる頬をかすかに揺らして笑った。

 焚き火の炎が、彼女の髪を照らし、まるで銀糸のように輝かせている。

 儚げでありながら、芯の強そうな瞳をしていたのが印象的だった。


『何故、いきなり裂けた空から落ちてきたのだ』

「それが、学校の帰り道にコンビニに寄って……その、肉まんを食べながら歩いていたら、足元が光ったんです」


 コンビニ。懐かしい響きだ。こっちじゃ似たような屋台はあるが、あの便利すぎる文化が恋しいのも事実だ。

 人に化けて屋台巡りしたけど、食文化の面では日本には遠く及ばない。

 和風ファンタジーの世界なんだからもっと頑張ってほしいところだ。


「それで、気がついたらあなたの上に落ちていました」


 自分の状況を口に出したことで再認識したのか、灯凛は肩を落とす。


『そりゃ災難だったな。ま、俺としては助かったけどな?』

「あはは……お役に立てたようで何よりです」


 俺がそう言って笑うと、灯凛は力なく笑った。

 ふと、地面を見遣ると、そこには異世界転移の拍子に落ちたであろう紙に包まれた肉まんが転がっていた。


『地面に転がってた肉まん。あれはお前のか?』

「え? あ、はい。あれが私の最後の晩餐でした……」

『まだ死んでないだろ』


 苦笑しながらも、俺は妖力を抑えて人型へと変化する。


「よっと」

「ひ、人になった!?」


 灯凛は驚いていたが、少々リアクションがオーバーな気もする。

 前世の妖怪漫画の類だと、強い奴は大体人型に化けられたろうに。


 まあ、俺も人化の術は下手くそだったから友人だった鎌鼬に教えてもらったんだけど。


「それっぽい口調も疲れるな……もう普通にしゃべるか」


 拾い上げて食べてみると、昔懐かしい味が口の中に広がる。肉の旨味と皮の甘みが混ざり合い、俺の舌が小躍りする。

 これこれ、この感じ。これぞ文明の味だ。


「うんめぇ! これだよこれ、この味だよ!」

「肉まんおいしいですよね。特に冬に食べる肉まんは格別なんです」


 灯凜がにこりと微笑んだ。だがその笑みの奥に、ほんの少しだけ陰が差すのが見えた。


「もう食べられないんでしょうか……」

「これほど手軽で旨いもんはなかなかないぞ」

「ですよね」


 ポツリと呟いた灯凛の声に、少しだけ寂しさが混じっていた。

 焚き火の火がぱちぱちと音を立てる。暗闇に包まれた山頂で、俺たちはただその炎を眺めていた。

 空には星が瞬き、遠くでフクロウの声が響いている。自然の静けさのなかで、灯凛の吐く息が白く立ち昇った。


「ここは天津皇国って国の、辺境の地にある八雲霊山だ。俺が封印された五十年の間に地名が変わってなけりゃな」


 言葉の重みに、灯凛が小さく瞬きをした。

 ふたりのあいだに再び沈黙が流れる。風が木々の葉をそよがせ、焚き火の炎がゆらめいた。


「日本、じゃないんですね?」

「残念ながらな」

「やっぱり異世界、なんですね……」


 焚き火の光が、灯凛の目を潤ませていた。彼女の表情には困惑と不安が入り混じり、今にも涙がこぼれそうだ。


「異世界転生、異世界転移……そういう類の事象だろうよ」

「まさか本当に、あるなんて」


 目元をぐしぐしと拭く灯凛。

 その動きはどこか子どもっぽかった。

 その仕草を見ながら、俺はひとつ、覚悟を決めた。


「安心しろ。お前が元の世界に戻る方法、俺が見つけてやる」

「……本当に?」

「ああ、本当だ」


 その時、灯凛の瞳が、かすかに光ったように見えた。


「どうして、そこまでしてくれるんですか?」

「封印を解いてくれたこともあるが、同郷の人間は放っておけないだろ?」


 そこで言葉を区切り、少し間を置いてから深呼吸をして告げる。


「俺も、前世は日本の高校生だった。学校は慶明高校。落雷事故で死んで、この世界に妖怪として転生したんだ」

「えっ……高校生だったんですか!?」


 灯凛の目が大きく見開かれる。驚きの余韻が、夜の静寂に溶け込んでいった。


「転移と転生、違いはあれど、俺たちは同じ日本から来たってわけだ」

「ちなみに、落雷事故はいつだったんですか?」


 灯凛の問いかけに、俺は少し視線を遠くの山影に向ける。


「2010年、だったような気がする……」


 この世界では、既に俺が生まれてから150年の月日が流れてしまっている。記憶も若干曖昧だ。何なら前世の名前も朧気である。


「私は、2025年からです」

「そうか。15年後の人間だな」


 こっちでは150年経っていることを考えると、この世界は日本の十倍の速さで時が流れているのかもしれない。


「15年って、いろいろ変わってそうだな」

「なんかありましたっけ……あっ、圏外でした」


 灯凛は懐からスマホを取り出したが、ネットが繋がらないという当たり前の事実に肩を落とした。

 また落ち込んでしまったようだ。


「そう、気落ちするな。そうだ。せっかくだし、出来立ての肉まんでも食べるか?」


 俺は妖力を掌に集め、ふっと吹きかける。

 数秒で、ほのかな湯気を立て、見慣れた肉まんへと姿を変えた。


「俺は一度体内に取り込んだものなら、妖力で再構築できるんだ」

「す、すごいです!」


 灯凛がそっと肉まんに齧りつく。


「……おいしい。さっきのより、皮がもちもちしてる……」


 安堵の笑みが灯凛の唇に浮かぶ。

 風が彼女の髪を優しく揺らし、焚き火の明かりがその輪郭をやさしくなぞる。

 俺はただ黙って、その様子を見守っていた。結局、他にもポテチやカロリーバーなど、手持ちのものは一通り食べさせてもらった。

 夜も更け、焚き火の火が小さくなっていく中、灯凛は枯草をかき集めて、自分なりに寝床を整えて眠りについた。

 焚き火の残り火が揺れる中、彼女の寝顔は驚くほど穏やかだった。


 そして、翌朝──


「いやぁぁぁっ!? な、なな、何で服が!?」


 甲高い悲鳴が耳を貫き、俺は思わず飛び起きた。

 瞬間的に周囲を警戒するが、敵の気配はない。


 代わりに目に入ったのは、地面に座り込んで膝を抱え、ぶるぶると震えている――裸の灯凛の姿だった。

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