第一章 蠍座の女篇

“炎の角”の覚醒。

第1話 夕暮れのSOS信号

 キュッキュッ!とシューズの音が体育館に鳴り響く。

 試合終了まであと少し……チャンスはきっとあるはずだ。

 ボールに追いつこうとしても、相手のパスに翻弄されるだけ。

 同じメンバーの親友・春風 芹はるかぜ せりもどうやら焦っている様子だ。

 芹がどれだけ走ろうと、ボールは芹の手には渡らない。


「芹、落ち着いて!」


「分かってるって!」


 芹を思っての言葉だったが、鋭い声で言われてしまった。

 このことだけじゃない。少し前では、落ち着いてプレーをしていた芹の様子がここ最近おかしい。

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 プレーに集中しなきゃ!

 相手がパスを出した瞬間、味方が華麗な動きでボールを仕留め、ゴールの方向へ走り出した。

 

はるか!」


「っ……了解っ!」


 ボールがこっちに回ってきた。

 残り時間は約10秒。

 逆転もあり得る最高のチャンスでありながら、失敗の許されない最大のピンチだ。

 心臓がバクバク鳴っている。

 観客席から歓声か悲鳴か分からない、黄色い声が飛び交っていた。

 急いでネットの下へ向かう。

 だけど、どうしても時間が足りない。


(賭けてみるしかない……イチかバチかに!)


 私はボールを突き上げながら、体を浮かし、ネットに向かってボールを放った。

 残り時間は5秒しかない。

 最後のチャンスだ!


(お願い!届いて!)


 私の手から離れたボールは、選手の頭の上を通り過ぎ、ネットのもとへ向かっていった。

 そして、ボールは見事にリングの中に入り、ネットを潜り抜けていった!


「やったっ!」


 私、空野 遥そらの はるかは試合終了直前にスリーポイントシュートを決めた。

 残り時間わずかにして、私たちのチームの逆転勝利だ!

 これで高校女子バスケ部県大会予選は突破だ!


 バスケ部のみんなが私の方に駆け寄って、みんなでこの感情を共有し合った!

 みんなで繋いだパスを、最後に私がシュートできたんだ……!

 でも、コートの脇の方を見ると、一人で微かに微笑む芹がどこか不気味に見えた。


 ♢♢♢


「遥、すごいじゃん!遥のおかげで予選は突破!遥はうちのバスケ部、みんなのヒーローだよ!」


「ヒーローって大袈裟だよ……」


 試合のあった翌朝、芹が明るく話しかけてくれた。

 良かった。あのこと、怒っていなかったんだ。


「あたしなんかすごい焦っちゃってさ。

 プレッシャーが凄いんだよね。」


「分かる!予選とはいえ、決勝だったもんね……」


「それもそうなんだけどさ、あたし、最近悪夢を見るんだよね。」


「悪夢?」


 そういえば、バスケのことで必死だったから気づかなかったけど、芹の目元には少しクマができている。

 芹は目をうつむき、ユニフォームの袖を不安そうに握りしめた。


「例えば、黒い影に『お前は失敗しろ。』とか言われたり。」


「うわ、最悪だね。」


「それだけじゃないの!遥のことにも干渉してくるんだよ!」


「え、私......?」


「『お前の親友を妬み、恨め。』って言われるんだよ。」

 

「な、何それ!?」


「大丈夫、あたしが遥のことを恨む訳ないじゃん!

 遥はずーっと、あたしの親友!」


「そう……だよね!」


「なにその反応!本当は信じてないでしょ!」


「そんなことないよ!」


 私は咄嗟に否定した。

 だけど、本当は少し引っかかっている部分がある。

 試合の件もそうだけど、最近は、私に対して少し当たりが強いような……。

 私たちは本当に仲が良くて、だけどバスケではいいライバル関係で、それでも常に笑いあっていた。



 

『遥!フリースロー対決しよう!』


『いいよ!負けた方がアイス奢りね!』


 


『遥!帰りにみなとみらいのワーポ寄ってかない?』


『行こ行こ!ニャル星人のグッズ買いたーい!』


 

 

 楽しかった高1のあの頃が遠く感じる。

 

「そういえば今日、本選のメンバー発表じゃない!」


 芹の言葉でハッとする。

 そういえば、今日が県大会本選のメンバー発表だった。


「本当だ!急いで行かなきゃ!」


 ♢♢♢


 監督の口からは本選に出場するメンバーの名前が次々に発表されていた。

 ありがたいことに、私の名前はきちんと告げられていた。

 でも、芹の名前が監督の口から出ることは決して無かった。


「以上のメンバーだ!本番に向けて気を引き締めるように!」


「「「「はい!!」」」」


 いくら弱肉強食の世界といえども、親友の名前が呼ばれないことは辛い。

 私ですら辛いなら、芹本人はきっと……。

 芹は俯き、目には涙を浮かべていた。

 気のせいか、芹が黒いオーラに包まれているような……。


「せり……」


 芹の名前を呼ぼうとしたその瞬間だった。


空野そらの先輩!練習付き合ってください!」


 血気盛んな後輩からの声が体育館中に響き渡った。


「で、でも今は……」


「お願いします!バスケの試合に出場することは、中学のころから夢だったんです!」


 芹のことが気になる。

 でも、後輩の熱い思いを無視するわけにはいかないし……。

 芹と話すのはLINEでもできるし、明日の朝にでも話すことができる。

 今は、この後輩の面倒を見てあげよう。


 でも、この判断が間違いだった。

 この時、芹に話かけていたならば、救うことができたかもしれないのに……。


 ♢♢♢


 予想外の出来事だった。

 後輩の練習に付き合った後、後輩にご飯を誘われてしまった。

 後輩と解散すると、空は既に暗くなっていて、幾つかの星が輝いていた。


 (流石に早く帰るか……。)


 駅に向かおうとした瞬間、私のポケットに入っていたスマホが鳴り出した。

 芹からの着信だった。

 何故だか嫌な予感がする。

 電話に出ると、声の様子がおかしい芹が切羽詰まった様な声でこう言った。


「たすけ……て……」


「芹⁉︎助けてってどうしたの⁉︎今、どこにいるの⁉︎」


「赤レンガ……の……裏……」


「赤レンガって、あの赤レンガ倉庫?」


「たすけぇ」


 芹が言い終わる前に、電話が切れた。

 私は気が動転してしまっていたけど、芹が私に助けを求めていたこと、そして芹を放置してしまったことに罪悪感を覚えていたこともあって、すぐにファミレスを出ることにした。


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