第1.5話 夜の後悔、そして覚醒

「はぁはぁ……」


 電車やタクシーでさえ待ってられなかった。

 私は、星に導かれるかのように、横浜の夜の街をとにかく走った。

 きれいな星にも、建物のライトアップにも目を振らずに無我夢中で走った。

 赤レンガ倉庫と呼ばれる場所は、海のすぐそばにあり、海上保安庁の基地も近くにある。

 後輩と一緒に行ったファミレスから倉庫までは走って10分くらいだった。


「芹!どこにいるの⁉︎」


 日は既に沈んでいた。

 私の大きな声が、夜空と海に響いていた。

 だけど、芹からの返事は無い。

 私の心とは対照的に、倉庫のライトアップがキラキラと輝いていた。


「ママ見てー!お空に何かあるよー!」


 声のした方を振り返ると、小さな可愛らしい女の子が空の方を指差して言っていた。

 女の子の指の方を見ると、黒い光の様なものが宙に浮かんでいた。

 あれは何だろう……?

 目をよく凝らしてみる。

 黒いモヤモヤとしたものがゆらゆらと揺れている。

 その奥には、人の顔のようなものが歪んでいる。

 腕?らしきものに何か持っている。

 あれは……私とお揃いの『ニャル星人』のキーホルダー⁉︎


「まさか、そんな筈は無い……よね。」


 ショックの余り、心の声がふと漏れる。

 もう一度目をよく凝らしてみる。

 あれは瞳……

 だけど、何かを諦めたかの様な冷たい瞳だ。


「芹……?」


 そんなことはあり得ないと思いつつ、確認のため叫んでみる。


「はる……か……」


「っ……えっ……!」


 声にならない声が漏れる。

 観光客たちの視線がこちらに集まるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 あの声は、間違いなく……


「おい!どこかに飛んでいったぞ!」


 スマホを空に向けていた男がそう言った。

 男の言う通り、芹と思われる黒い光は東の方角へと進んでいた。


「待って……芹、待って!」


 逃してはいけない。そんな予感がした。

 空にふわりと宙に浮かびながら空を飛行する芹を、私は必死で追いかけた。


 ♢♢♢


 5分ほど走っただろうか。

 随分と人気の無い所に来てしまった。

 芹と思われる物体はぷかぷかと地面に降りてきた。

 芹、と思われる人物は奇妙な気配を醸し出していた。

 なんというか、輪郭や、体のラインが歪んでいるような……。

 そこにいるのは芹……の筈なんだけど……。

 どうしてかは分からないけど……怖い……。

 私は、すっかり変わり果てた芹を遠くから眺めるしかなかった。

 その時だった。

 塾帰り……なのかな?芹の背後を通りかかった男子中学生が急に倒れ出した。


「うっ……。」


 (えっ……大丈夫……なの?)


 倒れた中学生と芹を見つめていると、恐ろしい光景が私の目に映った。

 芹が中学生に話しかける。

 

「そこの君、ちょっといいかな?

 君の持っている元気、分けてもらうよ。」


 そう言うと、芹は中学生に跨り、いきなりその子を殴りかかった。


「ぐはっ……やめっ……。」


 殴られた子が必死に抵抗する。

 だけど、芹はその子の手を押さえつけ、また殴りかかった。

 その時の芹の顔は、今までで見たことの無いくらい楽しそうだった。


 (助けなきゃ……。)


 足がすくむ。

 あの子が死んじゃうかもしれないのに……。

 でも、でも、芹に纏わりついているあの黒い影が怖い。

 意思を持っているみたいで、近づきたくない。

 でも、助けなきゃ。

 

「せ、芹……!」


 声を掛けられた芹は、驚いたかの様にこちらを見る。

 その瞬間、芹が押さえつけていた手を緩めた。

 やっと自由になった男の子は急いで逃げて行った。


「うん、芹だよ。」


 芹は優しい様な口調で私に行った。

 その声を聴いて、何故だか私はゾッとした。

 確かに、声の質は芹そのものだった。

 だけど、明らかに芹の声ではない。

 なにかが、芹を乗っ取っていて、全てを諦めたような暗いトーンだった。

 もしかして、私が芹のことを放置していたから?

 私のせいなの?


「遥って私のこと、全然見てくれなかったよね。

 親友だと思っていたのに。」


「そんなことない!だって……。」


「言い訳は聞きたくない。

 遥、一緒にバスケ全国目指そうって言ったよね!」


「言ったよ!

 今回が駄目でも、また次がある!

 今度こそは二人で一緒に......!」


「ふざけないで!」


 芹の鋭い声が夜空に響き渡る。

 こんなに怒っている芹、今までに見たことない……。


「あたし、あんたが憎かった。

 バスケの腕も日に日に上達していて、あたしなんかと比べ物にならないくらい。

 誰とでも仲良くなって、あたしのこと構ってくれなくて……。

 ずっと親友でいようってあんたが言ったのに、あんたが先に裏切るなんて……。」

 

 そう、芹は大切な親友。

 それなのに、芹のクマにも気づかなくて……。

 芹を一人にさせちゃって……。


「遥、本当はあなたを傷つけたくなかった。

 でも、仕方なかったんだよ。

 あたしに黒い影を止める力は無かった。」

 

 黒い影……?

 どういうこと……?

 もう一度芹の方をよく見てみる。

 すると、気のせいか芹の後ろで黒い影がこちらを見て笑っているみたいだった。

 その瞬間だった、私の頭の中に何かの声が入り込んでいた。

 

 そっか。

 わたしのせいで、せりはおかしくなったんだ。

 わたしなんかだいきらいだ。


 な、何これ……!

 この声が頭の中で響いている、だけど私の考えていることじゃない。

 もしかして、芹も私と同じように……?


 シンユウヲウラギッタ、ワタシガキライダ。

 違う……!

 チガワナイ、ワタシガニクイ。

 違う……こんなの私じゃない!

 メノマエガマックロニソマル。

 やだ、なにも見えない……。

 ヒザカラクズレオチル。

 私が黒い影に飲み込まれちゃいそう……。

 ワタシトイウソンザイガ、フノカンジョウニノマレル。

 やだよ……。

 ソレガ、セリヘノツグナイダ。

 そんな筈ない、だって、だって……。


 真っ黒になる風景を見ながら、私は少しの間、走馬灯を見ていた。



『遥見て!このニャル星人のキーホルダー可愛い!

 二人で一緒に買お!』




 

『あーあ、あたしがアイス奢りか……。

 でも、さっきのシュート良かったよ!』




 

 私の思い出にある芹は、こんなにも明るかったのに……。

 セリヲ、カエテシマッタノハワタシダ。

 芹は誰よりも優しくて、私を信じていた。

 ソンナモノ、ワタシノゲンソウニキマッテイル。

 芹を、助けたい……!

 ヤメロ……!

 いや、助けてみる、私が親友として!

 ワタシニナニガデキル!

 いや、私ならきっと!!

 ヤメロヤメロ!ヤメテクレ……


 その時だった、私を明るい光が包み込む。

 黒い影なんて、白く塗りつぶすかのように。

 ニャル星人のキーホルダーに光が反射している。

 その光の眩しさに、思わず目を閉じる。

 

――覚醒


 私が再び目を見開くと、私は私ではなくなっていた。

 白く輝いた髪が、風になびいている。

 頭の上に生えた角が、夜空に突き刺す。

 尖った牙が、月光に光る。

 すっかり変わり果てた私の体は、星屑のように軽く、流れ星のように今にも空を飛べそうだ。

 力があふれてくるのを感じる。

 今までに感じたことのない感覚。

 だけど、私が何者なのかは、本能か、遺伝子に刻まれているのか分からない。

 だけど、直感的に理解していた。


「私は牡羊座の星座使い!

 またの名を "炎の角"!」

 


 この力が一体何なのか、考えている暇は無い。

 そう、今はただ……。


「待っててね、芹!今あなたを"救済"してみせる!」

 

 この謎めいた力で黒い影から芹を救うことを、私は夜空に誓った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る