甘いケーキと可愛いという囁きは、どちらが致死量の爆弾であるかについて

約束の日曜日。わたし、橘恋春は、待ち合わせ場所に指定された、駅前の少しお洒落なパティスリーの前に、約束の時間のきっかり10分前に到着していました。服装は……先日の反省(!?)を踏まえ、知的な印象を与えるシンプルなブラウスとスカート。決して、今日の「祝福行為」のために新調したわけではありません。あくまでTPOを考慮した結果です。


(これが、あの時の約束の履行……仕方ありません。彼が合格したのは事実ですし、わたしの指導の成果でもありますから。指導者として、ささやかな祝福を示すのは当然の責務。しかし、これは断じてデートなどでは……!)


言い聞かせるように心の中で繰り返しますが、早瀬くんの姿を探してしまう自分に気づき、内心で激しく舌打ちします。落ち着かない心臓が、やけにうるさく鼓動を打っていました。


約束の時間ちょうど。


「よっ、恋春ちゃん。待たせた?」


声と共に、早瀬蓮くんが現れました。彼は、シンプルなジャケットを羽織り、いつもより少しだけ大人びて見えるような……気がします。その、不覚にも爽やかに見えてしまう笑顔に、わたしの心臓がまたドクン、と大きく跳ねました。


「……時間通りですね。当然ですが」


わたしは努めて平静を装い、返答しました。彼の私服姿を直視すると、思考が停止しそうです。


「はは、厳しいなあ。で、お店、ここでいいんだろ? この前、雑誌で見てさ、ここのケーキ、芸術的だって評判なんだぜ」


彼は、わたしが内心「なぜこんなお洒落すぎる店を……」と思っていたことを見透かしたかのように言いました。


「……わ、わたしは別に、場所にこだわりはありません。あくまで、あなたの合格祝いですから」


動揺を隠し、あくまで主導権はこちらにあるという体で店内へと促します。


案内された席は、窓際の明るいテーブル席。メニューを開くと、そこには見た目も華やかなケーキやパフェが並んでいます。どれもこれも、推定カロリーが恐ろしいことになっていそうです。


「うわー、どれも美味そうだな。恋春ちゃんは何にする?」


彼は目を輝かせながらメニューを見ています。


「わたしは……紅茶だけで結構です。甘いものは、あまり得意ではありませんので」


わたしは、完璧な自己管理として(そして、彼との甘い時間を過ごしてたまるかという意地で)そう答えました。


「えー、そうなの? せっかくの合格祝いなのに? じゃあさ、これなんかどう? 新作のモンブラン。甘さ控えめで、栗本来の味が楽しめるって書いてあるぜ? 僕が責任持って味見してあげるからさ」


彼は勝手にわたしの分のケーキまで選ぼうとしてきます!


「け、結構です! 人の注文を勝手に決めないでください! ……では、一番カロリーの低そうなフルーツタルトを」


わたしは、彼のペースに乗せられまいと、必死に抵抗しました。


注文した品が運ばれてくると、早瀬くんは嬉しそうに芸術的なチョコレートケーキを堪能し始めました。わたしは、フルーツタルトを、あくまで栄養素を分析するかのように、少しずつ口に運びます。……悔しいですが、確かに美味しいです。


「それにしても、恋春ちゃんのおかげだよ、本当に。あのスパルタ指導がなかったら、今頃僕は補習地獄だった」


早瀬くんが、しみじみと言いました。


「……当然の結果です。わたしの指導計画に抜かりはありませんでしたから」


わたしは少しだけ誇らしげに(いえ、客観的な事実を述べただけです!)答えました。


「だろ? だからさ、これはそのお礼。つまり、正真正銘、今日のこれは『デート』ってことで、いいんだよな?」


彼は、悪戯っぽく笑いながら、核心を突いてきました。


(デ、デート!? やはり、そう認識していたのですか! 違うと言っているのに!)


「ち、違います! これは、あくまで合格祝いの『祝福行為』であって、断じてデートなどという、非論理的で浮ついたものでは……!」


わたしは慌てて否定します。


「ふーん? でも、今日の恋春ちゃん、いつもよりなんだか可愛いし、僕と二人きりでケーキ食べてるし。傍から見たら、完全にデートだと思うけどなあ?」


彼は、わたしの服装にまで言及し、さらに追い詰めてきます!


(か、可愛いですって!? こ、この服装が!? い、いえ、それは単なる偶然で……! しかも、デートに見える!?)


顔が一気に熱くなり、心臓が早鐘のように打ち鳴らされます!


「そ、そんなことはありません! 周囲の目など、わたしには関係ありません! これはあくまで義務の履行です!」

「義務、ねえ。じゃあさ、恋春ちゃん」


彼はフォークを置くと、テーブルに肘をつき、わたしの目をじっと見つめて言いました。


「その義務を果たしてる時の君の顔、なんでそんなに赤いの? まるで、僕のこと……」


(わ、わたしの顔!? 赤い!? そ、それは、この店内の照明のせいで……! あなたのことなど、断じて……!)


彼の真っ直ぐな視線と、核心に迫る言葉に、わたしの思考回路は完全にショート寸前です!


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」


わたしは声にならない悲鳴を上げ、持っていたケーキ用のフォークを、思わず彼に向かって突きつけそうになりました!


「こ、こ、こ、こ、殺しますよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!! あなたのその! 合格祝いを盾にしたデート強要と! わたしの外見や表情に対する不躾な言及と! そのわたしの心を勝手に分析するような傲慢極まりない態度は!!! このパティスリーの全ケーキの総カロリー数を合計したよりも高い致死率の死に値します!!! 今すぐその不埒な視線と発言を撤回しなさい! さもなくば、この! フォーク(鋭利)で!!! あなたのその! 人の心を見透かすような瞳を! 美しくデコレーションして差し上げます!!!!!!」


涙目で、全身をわなわなと震わせながら、わたしはフォークを握りしめ、完全にパニック状態でした! 周囲のお客さん(特にお洒落なカップル!)が、完全に引いています!


「おっと、危ない危ない」


早瀬くんは、わたしの剣幕に一瞬驚きながらも、すぐに楽しそうな笑みを浮かべました。


「フォークでデコレーションとは、またアーティスティックな。でも、やっぱり図星だった? そんなに真っ赤になっちゃって」


彼は全く懲りずに、さらにわたしをからかいます。


(ず、図星ですって!? ち、違います! 断じて……!)


「だ、黙りなさい!!! この悪魔! 観察者! わたしの論理の破壊者!」


わたしは、もはや支離滅裂な言葉を叫ぶしかありませんでした。


「はいはい、悪魔で観察者で破壊者ね。光栄の至りだよ」


彼は肩をすくめると、伝票を取りました。


「まあ、今日は楽しかったし、僕のおごりってことで。合格祝いだしね」


彼は悪びれもなくウインクすると、さっさと会計を済ませてしまいました。


「なっ……!? おごり!? け、結構です! これはわたしが支払うべき……!」

「いいってことよ。これも指導者への感謝の印、ってことでさ」


彼はわたしの反論を軽くいなし、店の外へと促します。


(くっ……! またしても彼のペースに……!)


パティスリーを出て、駅へと向かう帰り道。夕暮れの光が街をオレンジ色に染めていました。わたしはまだ、先ほどの興奮と、彼におごられてしまったという事実(新たな借り!?)に混乱していました。


「……まあ、なんだ」


早瀬くんが、少し照れたように言いました。


「今日は、その……悪かったな。からかいすぎた」


不意打ちの謝罪。しかも、少しだけ、本気で反省しているような響きが……。


(え……?)


わたしの心臓が、ドクン、と不規則に跳ねました。


「べ、別に……! わたしは、あなたの軽薄な言動には慣れていますから……」


わたしは、動揺を隠してそっぽを向きました。


「そっか。……なら、よかった」


彼は少しだけ安心したように笑うと、付け加えました。


「でも、今日のワンピース、本当に似合ってたぜ。あと、ケーキ食べてる時の顔、すごく可愛かった」


(!?!?!?!?!?!?)


最後の最後で、最大級の爆弾発言! しかも、不意打ちで!


「~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!」


わたしはもはや声も出せず、顔を真っ赤にして固まり、彼を睨みつけることしかできませんでした!


彼は、そんなわたしを見て満足そうに笑うと「じゃあ、また明日な!」と手を振って、駅の改札へと消えていきました。


(ああああああああもう!!! この方は!!! いったいなんなのです!!! デート(!?)に誘い、心を掻き乱し、可愛いだの似合ってるだの言い、謝ったかと思えば最後に最大の爆弾を投下して去っていくなんて!!! 絶対に許しません……! いつか、いつか必ず、この借りは……あなたの全ファッションを、わたしが完璧にコーディネートし直して(そして請求書を送付して)お返しします!!!)


自室に戻り、わたしはベッドに倒れ込みました。顔の熱さが、まだ引いていません。心臓も、まだドキドキと高鳴っています。そして、鞄から例のノートを取り出しました。


『早瀬くんを殺したい99の理由』


深呼吸を一つ。今日の、不本意な(はずの)デートと、そこで受けた精神攻撃、そして最後の破壊的な一撃について記録しなければ。新たな「理由」として。わたしはペンを握りしめ、#92とナンバリングしました。


理由#92:追試合格の祝賀という名目でデートを強要し、パティスリーという不慣れな空間で精神的動揺を引き起こした。さらに『デートに見える』『可愛い』等の発言で混乱させ、最終的には謝罪と見せかけて油断させた直後に『似合ってた』『可愛かった』という不意打ちの賛辞で、わたしの思考回路を完全に破壊した罪。


……違う。これでは単なる被害報告です。もっと本質的な、彼との特別な時間(デート)を過ごし、彼の言葉に一喜一憂し、最後の褒め言葉に完全に心を奪われそうになった(!?)、わたしの危険な心の状態について記さなければ。わたしは書いた文章を、今日の出来事を思い出し、無意識に口元を緩ませながら(!?)、ぐしゃぐしゃと線で消し、改めてペンを走らせました。


理由#92:彼との『合格祝いデート』において、お洒落な空間、甘い食べ物、そして彼の容姿や言動(特に最後の賛辞!)によって、わたしの論理的な思考能力が著しく低下し、彼に対する特別な感情(断じて恋ではない!)が危険なレベルまで増幅された。このままでは、彼とのデートを重ねるたびに理性を失い、最終的には彼の言葉一つで幸福を感じ、彼の存在なしでは生きていけないような、完全に骨抜きにされた状態に陥る危険性が極めて高い。その致命的な精神的溶解を回避し、橘恋春としての尊厳と論理性を守るための、緊急かつ絶対的な殺害動機。……しかし、彼が褒めてくれたワンピースは、客観的に見ても良い選択だったのかもしれない。


……ふぅ。これで、よし。今日の出来事の本質と、それがもたらす、もはや廃人化(!?)レベルの重大な危機を、極めて冷静かつ客観的に記録できたはずです。わたしはノートをパタンと閉じ、深く息をつきました。これでまた一つ、彼をこの世界から(わたしの心を溶かそうとする彼の甘い言葉から)排除すべき、明確かつ正当で、そして極めて論理的な理由が積み重なったのです。


わたしは、クローゼットにかかった今日のワンピースを、ぼんやりと見つめました。「似合ってた」「可愛かった」……彼の声が、まだ耳に残っています。


(まったく、本当に厄介で、危険で、そして……不意打ちで褒めるのは、反則です……! しかも、あんな優しい声で……)


彼の、あの少し照れたような、でも真っ直ぐな瞳が、忘れられません。


(……早瀬くん。あなたのその、人を食ったような態度も、無神経な言葉も、強引な誘いも、甘い言葉も、不意打ちの賛辞も、全部全部、腹立たしいのです! だから、また一つ、あなたを殺さなければならない、極めて論理的で正当な理由が増えてしまいました! ……それなのに! それなのにどうして! わたしは、次に彼に会う時、今日彼が褒めてくれたこのワンピースを、また着ていこうか、なんて、ほんの少しだけ……ほんの少しだけ……考えてしまっているのでしょうか! ……ばかぁーーーーーっ!!!)


結局、わたしは今日も彼に振り回され、心を、感情を、そしてお洒落への意識(!?)まで滅茶苦茶にされ、そして……どうしようもなく、彼との初めての(お祝いという名の!)本格的なデートが、忘れられない、甘くて苦い(主に精神的に)一日になってしまった自分に、気づかないフリをするしかありませんでした。……彼が美味しいと言っていたチョコレートケーキ、今度一人で食べに行ってみましょうか。いえ、もちろん、味の分析のためですが!

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