第15話 お名前は伏せましょうか
「瀬又くん!出たよ!」
宮司の声が弾んでいた。
息を切らしながら、手に何かを持っている。
「すごいの来たぞ。古賀さんが!」
渡されたのは、古びたスマートフォンだった。
「これは?」
「中に音声が入ってる。古賀さんが、付き合いのあった嶺岡の元秘書から直接手に入れた。」
朔の背筋が粟立った。
急いで充電器を探し、スマートフォンを起動する。
―ルートは変更する。選果場を通せ。あそこが補償対象になれば、—
聞き覚えのある、爽やかで軽やかな声だった。
『すでに反対運動は指示してある』
身震いがした。これは、言い逃れはできない。
朔は宮司と無言でハイタッチした。
数日後、統括会本部。
会長室に瀬又朔、林監査部長、早坂専務が集まった。
「古賀さんに感謝状でも贈ろうか」
権藤会長は、3人前のコーヒーを注ぎながら穏やかに言った。
「嶺岡の所属政党を長年応援してきたのは、実質うちですからね。下手すれば統括会にも火の粉が降りかかる」林部長が懸念を示した。
朔は、しっかりと前を見た。
「でも、俺たちがここまで調査してきたのは、会の存亡のためじゃないでしょう」
会長がにやりと笑った。
「よし、瀬又くん。頼むぞ。次は嶺岡を震撼させる番だ」
県議会参考人として「瀬又朔」を招集させるための手筈を、会長室に集結した4人で、楽し気に企画した。
—プレッシャーの嵐の中。
杏子がそっと、手を握ってくれた。
「大丈夫。あなたは信じた道を行けばいい。ミスったら辞めたらいいんだし、命まで取られないでしょ」
「大丈夫、命かけんといかん仕事とか、この世にないよ」退職の決意を悟られたのかと思い、内心どきどきしながら、朔は妻の手をしっかりと握り返した。
久しぶりに、宮司と土肥と八重に集まった。
土肥が、いつもの飄々とした顔で言った。
「昔はさ、上司から“また暴走した”って怒られてたでしょ?ここまで暴走すると、怒られなくなるんだね」
3人で笑った。
その夜、久しぶりに腹の底から笑った気がした。
議会参考人控室。
「緊張してるのか?」
付き添いの、早坂専務が皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そりゃ…少し」素直に認めた。
「ほぉ、お前も緊張するんだな」朔は、早坂の笑顔を久しぶりに見た。
壇上に立った瀬又朔。
無数の閃光、カメラのシャッター音。
無数の目が、自分に注がれている。
「これより、参考人への質問を始めます」
議長が宣言した。
質疑応答が始まった。
「あなたは、サラサの段ボール資産水増し疑惑を指摘しましたね?」
「はい」
「おやさい広場への農産物横流し疑惑も?」
「はい」
「あなたは、なぜ次々と不正を暴くことができたのですか?まるで、初めから知っていたようなスピード感ですよね」
朔はきっぱりと言い放った。
「長年、監査部で様々な事業の手続きを検証してきました。棚卸資産の計上や販売手数料の帳票の不備、不正な保険加入実績などは、いわゆるスタンダードな、やり尽くされてきた手段で、監査資格を持つ者ならすぐに気付けるレベルです」
「それはサラサの不正の手段が、ずさんであったと理解してよろしいでしょうか?そのようなレベルの低い農民組合を管理監督できなかった責任は統括会にあるとお考えでは?お聞かせください」
ざわめきが起きた。
「レベルが低いとは言っていません。あの手口を役員ぐるみで実行されたら、見抜くことは難しいと思います。あ、そういう意味では、あそこの役員の質が低いということなので、言い方が難しいな」
議場が小さな笑いに包まれた。
「瀬又さん。あなたは、地元選出の国会議員が主導したとされる、新幹線高架のルート変更に関しても、何か証拠を掴んだということですが?」
その問いに、朔は静かに頷いた。
「証拠は、すでに提出済みです」
「私も確認しました。赤と白のルートが示された地図ですよね。庄司組合長が手書きで日付と議員のお名前を記載していますが、それだけで国会議員がルート変更を指示したという証拠にはならないと思いますが」
―お名前。―この人は嶺岡と同じ、みん旗党の議員だったか。
朔は「確かに、証拠にはなりませんね」
傍聴席がざわついた。議長が「静粛に!」と一括した。
「では、国会議員が関与した可能性を舞聴新聞にリークした行為は、名誉棄損にあたりませんか?」
「なぜ、サラサや新聞社の名前は出すのに、国会議員先生のお名前は伏せたまま発言されるのですか」朔は落ち着いた声で聞いた。
質問に立つ県議の目に怒りが灯った。
「参考人は質問に答えるように」議長は静かに言った。
「はい。では議長、追加の資料を証拠として提出させていただきたいのですが、よろしいですか」
その夜、八重では宮司と土肥が珍しく静かに飲んでいた。
「…マジかよ。お前すごいな」
土肥がグラスを傾けながら呟く。
「瀬又くんが、ひとりでやったわけじゃないもんな」
宮司が、笑いながらビールを煽る。
「元秘書も、元々は、あいつを支えようと動いていた。農業を腐らせた連中への、逆襲やね、倍返しだ!って流行ったよね」
統括会本部、翌朝。
「…やったな、瀬又」
権藤会長が、珍しく声を震わせながら言った。
「君のあの音声が出たことで、嶺岡は焦っているだろう」
早坂専務が、眉を寄せた。
「嶺岡も必死になるだろう。注意しろ」
朔はうなずいた。
「分かっています。警戒します」
県議会は緊急動議を可決。
「関係議員、関係組合役員に対する集中審議の実施」
嶺岡正義衆議院議員に対しても、説明を求めるとして、県議会に招集した。
だが、嶺岡は出てこなかった。
参考人招致要求を拒否、東京で籠城策を採用したらしい。
宮司が珍しく本気で怒って言った。「この期に及んで、逃げるんか」
朔は動いた。
記者会見で堂々と発表した。
「関係するすべての資料、証拠を県議会に提出します」
「どんな圧力があろうとも、私は引き下がりません」
集まったメディアのフラッシュが、朔の決意を照らした。
この発言は、瞬く間に県内外へ拡散された。
「農業界に現れた告発者」
「瀬又朔が、農組の不正に挑む」
「統括会職員が暴いた国会議員の闇」
SNSも、嵐のように盛り上がった。
嶺岡正義は焦っていた。
「県議会参考人招致?馬鹿な!」
衆議院会館で叫ぶようすが週刊誌にリークされていた。
—もはや、完全に追い詰められていた。
朔たちは静かに、嶺岡包囲網を強化していった。
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