第14話 はつらつ合併
「—花輪常務、そろそろ本当のことを話してもらえませんか」
農民組合統括会、林監査部長の声がFUサラサ本所4階会議室に響いた。
壁際には、監査部のメンバーたち。
長テーブルの前には、瀬又朔。
その正面に、花輪博一(はなわ・ひろかず)営農常務が座っている。
花輪は強気だった。
「すべて理事会承認を得た案件です」と、何度も繰り返した。
だが、瀬又が示した土谷のバックアップデータ。
・選果場ゼロ稼働と出荷記録の一致
・おやさい広場への裏取引契約
・売掛金の支払い保留指示
それらを突きつけられて徐々に、花輪の態度は崩れていった。
「そ、それは…販路拡大のための、…」
「横流ししていながら、手数料を取ったのは?」
林部長の追撃に、花輪は額を押さえた。
「私だって、サラサを守ろうと…っ」
「守るために不正をするのですか?」
花輪は、言葉に詰まる。
会議室の空気が重く、淀んだ。
誰もが息を潜め、次の言葉を待っていた。
おじさん達の攻防に退屈していた朔は、調書を見ながら「花輪常務は昭和29年2月9日生まれか。俺と、ちょうど30歳差だな」などと考えていた。
—その時だった。
総務の職員が、顔面蒼白で飛び込んできた。
「大変です!品川専務が……!」
品川専務は、FUサラサ本所にほど近い河川敷のベンチに倒れていた。
周囲には強烈な薬品臭が漂っていたという。
—幸運だった、のだろうか。
今どきの農薬は、毒性が低いことを彼は知らなかったのだろう。
救命処置により、一命を取り留めた。
未だ意識は戻らないらしい。
サラサの混乱は、加速する一方だった。
FUサラサの新たな専務理事には、統括会OBの伊達勝之(だて・かつゆき)が就任。
組織立て直しのために、白羽の矢が立った。
「組織風土を変えていかなければ、サラサは消滅します。これから組合員の信頼を取り戻すために、真剣にひとりひとりが意識を改革しなければ、みなさんの職場はなくなります」
伊達は就任挨拶で全職員の前で宣言した。
彼の視線は鋭く、情け容赦を一切感じさせなかった。
選任後、最初の仕事に臨む男を包む空気は、異様に張り詰めていた。
組合員説明会。
庄司組合長は、震える手でマイクを握っていた。
FUサラサ本所大会議室に詰めかけた組合員たち。
折り畳み椅子がギチギチに並び、後ろでは立ち見の列ができている。
最初の挨拶が終わるや否や、怒号が飛び交った。
「なぜ、こんな不正が起きたんだ!」
「不正に徴収した販売手数料は当然、返還されるんですよね」
「俺はもう組合員やめる。脱退の手続きについて、この場で説明してくれ」
怒りの声が津波のように押し寄せる。
庄司は汗をぬぐいながら、必死に応えようとするが、「こ、個別案件にはお答えできませんが…後日必ず文書にて正式なご回答をお届けします。」と繰り返すばかりだった。
質問者の中には、かつて庄司を支えてきた顔ぶれもいた。その視線が、今は鋭く、冷たい。
「庄司さん、あなたを信じて選んだんだぞ!」
「裏切られた気分や!」
庄司は、言葉を詰まらせ、マイクを強く握りしめた。震える手、滲む汗。
壇上でひとり、孤立していた。
3週間前に選任された伊達専務が、組合長に代わってマイクをとった。
できることできないこと、分かっていること分かっていないこと、理路整然と淡々と説明する伊達の言葉に皆が耳を傾けて、場の雰囲気は少しずつほぐれていった。
説明会の最後には笑い声まで起きるほどだった。
壇上の庄司組合長の姿は、ますます小さく、弱々しくなっていた。
説明会は3時間で終了した。
ふらふらと壇上を降りていく、組合長の後ろ姿に拍手する者は一人もいなかった。
説明会翌日には、サラサの支店に組合員が殺到した。
「預金を全額引き出したい!」
「定期を下ろしたい!」
「保険を全部解約する」
支店ロビーは、怒鳴り声で溢れた。
長蛇の列。金切り声。
職員たちはただ、必死に頭を下げ、謝り続けるしかなかった。
「待たせすぎだろ!」
「俺のカネだぞ!」
ATMには『一時利用停止』の貼り紙が貼られ、
怒った組合員がガンガンと機械を叩く。
窓口では、手続きに慣れない非常勤職員が震えながら対応していた。
緊張と混乱、絶望が支店内を満たしていた。
「もうイヤです」と泣き出す女性職員もいた。
「—もう、無理だな」
支店長のひとりが、ぽつりと呟いた。
その呟きは、周囲の職員にも伝わっていた。
—この組織は、もう持たない。
そして、大鉈が振り下ろされる。
【FUサラサは、FUはつらつへ吸収合併する】
新組織発足は3ヶ月後。
サラサの名称は消える。
支店はすべて、はつらつ支店に編入される。
職員の多くは配置転換を希望したが、離願退職も相次いだ。
新聞は一面トップで報じた。
「県内最大手農民組合、瓦解」
かつて「地域農民組合の先駆者」とまで称され、全国各地から毎年のように視察が殺到した組織の末路だった。
ヒアリングの最後、花輪常務が、ふと口を開いた。
「…瀬又くん」
その目は、どこか諦めたような光を湛えていた。
「この不祥事の全容を追及すれば、統括会も無事では済まないぞ」
その言葉は重く響き、会議室に冷たい沈黙が落ちた。
瀬又は、ゆっくりと立ち上がった。
「それでも構いません」
凛とした声が、会議室を貫いた。
夜、朔は杏子とベランダに出た。
「…これで、少しは落ち着く?」
杏子がぽつりと呟いた。
「まだだよ」
朔は、遠くの夜空を見ながら答えた。
「まだ、奴が残ってる」
—嶺岡正義。
すべての根源。本丸だ。
瀬又朔は、そっと拳を握った。
(必ず—)
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