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久我山家。
それは、かつては日本という国を呪術的に守護する九曜家と、対になる唯一の家柄だった。
九曜家と共に《二極》と畏れられ、歴史の陰に暗躍し、日本が滅ばぬように支えてきた一族だったのだ。
しかし、第二次世界大戦に日本が敗北したことで、その事実に亀裂が入った。九曜家の急進派を中心に、
「日本の敗戦は、久我山に責任がある」
とする動きが活発化したためだ。
この流れに呼応するように、久我山による不正が次々に明るみに出た。不正の内容は様々だが、どれもが久我山の我が身かわいさ故に、敗戦を招いた、とも取れる内容であった。事の真偽が争われ、亀裂は溝となり、溝は対立へと徐々になっていった。
もし、久我山と九曜の関係がもとより円満な物であったなら。関係は、対立で留まったかもしれない。しかしながら、久我山と九曜は、同じ役目を負う家柄同士であったが為に、そして、それを仲裁できる上位の存在がなかったために、最悪の結果を迎えるに至ったのだ。
抗争。
それも、互いが互いを根絶やしにする事を目的とした、終わり無き憎悪の応酬が始まったのである。
その結果、双方に多大な損害を与えつつ、辛くも勝利したのが九曜家だった。
九曜家は勝敗が決まった後も、久我山家残党殲滅の手を緩めることはなく、その方針は今現在も続いているのである。
このような経緯で、長きの時に渡り同じ役目を負った二つの家は、追う側と追われる側に分かれたのである。
「じゃあ、私もそうなんじゃないんですか? なのに」
静音は、自身も九曜家に連なる人間だという認識があった。
だから、最初から龍彦が静音に対して友好的に振る舞う理由がわからなかったのだ。それでも、龍彦から差し伸べられた手を取るしかないほど、追いつめられていたのだが。
「貴女は、柊家の《神木の巫女》。九曜の人間じゃない。《神木十家》は、久我山と九曜の確執には、本来は中立の立場だから、僕は貴女を敵とは見なしていない。無論、他の《神木十家》やその巫女たちも、ね。現在、久我山より九曜の方が、実効力と影響力を大きく持っているから、《神木の巫女》たちは九曜の祭祀に添っているけれど」
《神木十家》とは、神州日本に存在する十本の神木を文字通り守ることを目的とした十の家柄のことで、神木を直接護る女性を《神木の巫女》という。静音も龍彦の指摘の通り、その一である柊家の《神木の巫女》だ。
「《神木十家》は、そもそも久我山や九曜からは独立した存在で、神木を護る事を目的とする集団だから、目的を達する為には、組む相手は選ばない。家の存続のためにウチや九曜から養子を取ることはあっても、嫁や婿を《神木十家》の他には原則出さない。特に、守護家である久我山・九曜や、その支える家である陰陽二家には、絶対出さないことになってる」
「陰陽二家?」
「久我山と九曜が、それぞれの家を維持することを目的として創られた家柄さ。ウチは日向と景山。九曜は日色と影浦のことだね」
静音は、龍彦の話の内容が自分の属する枠組みの話なのに、何一つ知らないことに恥ずかしさを感じ、俯く。
「貴女が知らなくても仕方ないんじゃないかな。所詮は世俗の事情。《神木の巫女》が知る必要もない話だからね」
龍彦はグラスを傾ける。
「勿論、僕らみたいな『世俗の塊』には、常識なんだけど、ね。ただ、柊の家は、貴女には普通の女性としての生活を随分させてきたみたいだね」
「え?」
思わず、静音は龍彦を見た。
「普通って……《神木の巫女》のお役目は物心ついたときから、ずっとしてきたんですよ?」
早朝のお勤めや夕刻の禊ぎを始めとした、幾つもの儀式を組み混まれた日常が「普通」だとは静音には到底思えない。そのため、部活動をすることは愚か、修学旅行などの研修旅行は一切参加できなかった。けれども、龍彦の言葉は、そんな静音の思惑を遙かに超えた物だった。
「でも、高校も、短大も――通信制だったみたいだけど――行ったでしょ? 学校外部からの接触がほとんど無いお嬢様学校や、家の外にほとんど出なくてもいい通信制とはいえ、《神木十家》以外との接触は避けられない。《神木十家》は、それを最も嫌うんだよ。特に《神木の巫女》は余計にね。だから、基本的に小学校も行かせないんだよ」
「小学校って、義務教育じゃないですか」
「たしかに、小学校・中学校は、日本国民の義務教育だけど。《神木の巫女》は、正式には日本国民としての扱いは受けないから、義務教育の枠には入らないんだよ。《巫女》は、国民――臣民ではなく、臣民にかしずかれる王族――支配者側の存在だから」
静音は絶句した。
「《神木の巫女》に戸籍はない。《神木十家》の人間にも、ない。選挙に行ったことはある?」
「……ない……です」
思えば不自然だった。郵便物に、投票用紙が入っていた記憶がない。両親が選挙に行っている光景も、静音は見た覚えがなかった。
「だろうね。保険証も投票権もないから、病院には行かずに、どこからか呼ばれた医者が往診に来るし、役所は投票用紙を送っては来ない。住民票も無いはずだよ。役所は、《神木十家》の存在を、書類上の把握をできていないんだ」
「……そんな。私は、ここにいます」
「存在していても、不可侵な存在、それが《神木十家》や、僕ら《二極》に連なる家々なんだ。だから、僕にも戸籍はない。貴女と同じだね」
これまで常識としてきた内容が、自身に当てはまらないのだと龍彦は言う。
「ここからが重要だから、聞いて、覚えていて欲しい」
龍彦は、グラスをテーブルに置いて、静音に向き直った。
「君を含めて僕らは、僕らの間で起きたトラブルに、官憲の助力は得られない。つまり、警察は、一切アテにならない。法律も、僕らを縛らない代わりに守ってはくれないんだ」
思慮深げな瞳が、静音の眼を見つめた。
「だから、襲撃を受けたり、最悪、殺されたとしても、公的機関は、何もしてくれない」
突きつけられた事実に、静音は身を固くする。それを見て取った龍彦は、やや厳しかった表情に笑顔を少しだけ乗せた。
「僕らだって、消費税みたいな税金は払っているのにね。まぁ、公園や信号使用代、ってトコだろうね」
「……」
沈黙した静音を思いやるように、龍彦は視線を逸らして席を立った。
「何か飲んだ方がいいだろうね。何か作ってくるよ。ノンアルコールで」
「……お酒で、お願いします」
「わかった」
龍彦は言葉少なに返事をすると、カウンターに立った。棚に並ぶ酒を数本選びだし、冷蔵庫から備え付けのジュースを取り出すと、目分量でグラスに注ぎ、そっと混ぜた。
「どうぞ。口に合うといいんだけどね」
差し出したグラスには、乳白色に鮮やかな青が沈むカクテルだった。瑞々しいグレープフルーツのほろ苦い味が、今の自分には相応しいように静音は思った。
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