第二節《神木の巫女》たち 1

九曜家・本邸。


 それは東京都心にありながら、うっそうとした森に囲まれた広大な平屋の屋敷だ。


 屋敷の一番古い部分は、江戸幕府開幕の頃、およそ四百年ほど前建造物だが、それ以外、ほとんどの棟が建てられたのは明治初頭で、現存する棟の全てが築百年を優に超える古い建造物である。


 建て替え時期は、ちょうど明治天皇が京都から東京に遷ったのと時期が重なる。


 これは、政の中心が京都から東京に移ったことを受けて、国家の呪術的守護を存在意義とする者たちが移動したのだから、当然のことだ。自らの本拠地を国の心臓部の傍らに置くことは、彼らにとって必要不可欠な事項だったのである。


 無論、それより前の江戸の世にも、九曜の邸宅は別宅としてこの地にあった。それが、先に述べた四百年前に建てられた屋敷の一番古い部分である。


 当時の東京である江戸は、徳川氏によって開かれた江戸幕府が置かれていた。そこで徳川氏は日本の内政を取り仕切っていたからだ。だが、徳川の政治の主は内政であって、外交・祭祀の部分はさほど重要ではなかった。ゆえに、九曜も久我山も江戸という土地にあまり重きを置いていなかったのだ。


 それが改築・増築を経て本宅として扱われるようになったのは、やはり東京が首都となったからだった。


 建築様式には、京風が重んじられた。それは、京風が上だの関東風が下だの、ということではなく、九曜家が抱えていた大工の多くが、宮大工だったからだった。職人には、その得手を十分に発揮させる、という考え方は、当時、屋敷建築の一切を任せられた久我山熾龍(おきたつ)のものだったが、その思想はこの屋敷を使っている九曜家にも受け継がれていた。


 その九曜本邸を、物々しい空気が取り巻いていた。

 《継承の儀》の最中に、《神木・柊の巫女》が文字通り消えたことを受けて、邸内はあわただしくなっていたからだ。《神木の巫女》の失踪など、前代未聞の不祥事。逃亡か誘拐なのか、それすらも定かではない状態で、儀式を取り仕切っていた九曜の《神木の巫女・柊 静音》捜索が始まっていた。


 このただならぬ気配は、《継承の儀》の為に日本各地から招かれた他の《神木の巫女》たちの控えの間にも届いていた。


「騒がしいことね。何事かしら、唄子?」


 部屋に、おっとりとした若い女の声が響いた。


 《神木・榎の巫女》である榎 芙貴が、自身が伴って来た侍従である唄子に尋ねたのだ。

「なにか、手違いがあったようでございます」


 唄子と呼ばれた女性は、脇息にもたれてくつろぐ芙貴に恭しく答えた。


 芙貴も唄子も、その歳六十をとうに越えている。唄子は年の割には若く見えるが、それでも五十前後の容貌だ。だが、芙貴の容貌は、せいぜい三十歳程度にしか見えぬ若さを保っている。というより、《神木の巫女》は総じて老いにくい。その様は、誰にでも平等に訪れる筈の時間が、《神木の巫女》だけは素通りしているようでもあった。


唄子はその違いに馴れはしたが、唄子も女性であるが故に、羨ましく感じる事も少なくなかった。とはいえ《神木の巫女》の役目の凄まじさを知るが故に、若さのために同じ立場に成り代わろうとは微塵も思わないのだが。


「なんでも、《冬》の家あたりに怪があった、とか」


「《冬》の……あそこは、まだ歴が若いお方だったと記憶しているけれど。お身に大事がないとよいわね」


 芙貴は、何の含みもなく、心配そうな面持ちで語った。


 《冬》というのは、柊家を指す《神木十家》言葉だった。神木を護るが故に《神木十家》は皆、氏に木偏が付く。また、話題に取り上げるにしても、直接名指しするのでは、据わりが良くないし、験も悪い。なにより、格に差がない相手に対して失礼だ、ということで、木偏を取り去った残りの文字を字として、互いに使うようになったのである。


「怖い思いを、していなければよいのだけれど」


 ポツリと、芙貴は呟いた。


  《継承の儀》の最中に、《神木・柊の巫女》が文字通り消えたことを受けて、邸内はあわただしくなっていたからだ。その気配を、何の触れも受けなくとも、芙貴は感じ取っていた。


 《神木の巫女》は、護国地鎮の要。周囲の人間の放つ気配の質を感じ取ることなど、呼吸するよりも容易い。


 そして《神木の巫女》の失踪など、前代未聞の不祥事。逃亡か誘拐なのか、それすらも定かではない状態で、儀式を取り仕切っていた九曜の《神木の巫女・柊 静音》捜索が始まっていた。


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